ACT4 白兵戦

「ワープ終了しました!」
 カーレルのブリッジで、チーフパイロットが告げた。アシュレイは、まだ微かに残るワープの悪寒を振り払うように二、三度首を振ると、艦窓に目をやった。
「しまった! 座標がずれたのか?!」
 ワープが明ければ、すぐ目の前にその圧倒的な姿を現しているはずの、紫に輝く彗星の姿が、遥か彼方にあった。
「修理が完全ではなかったのか……。」
 ブーレイが言い訳するのを捨て置いて、アシュレイは指令した。
「彗星へ向けて全速前進! ハヤトはすぐに来る! 急げよ。」
 ハヤトからは逃れられない。それが、彼の確信である。
 イルーラが、惑星グラディオーナに向かうハヤトを苦もなく見つけ出したように、ハヤトにも、カーレルの、イルーラの位置がわかるのだ。間違いない。それでなくて、どうしてあのような至近距離に現れることができよう。
 安全と呼べるのは、もはや彗星の内部だけである。
 ハヤトがカーレルの位置を突き止めるのに、どれほどの時間を要するのだろう。一時間なのか、それとも一分なのか? とにかく、ハヤトが現れるまでに、何としても彗星にたどり着きたかった。
「彗星までの距離は!」
 アシュレイは、レーダー席を振り返った。
「約六十トローです。」
 トローとは距離を表す単位で、一トローは約二十宇宙キロ、六十トローは約千二百宇宙キロである。
「六十トローか……。」
 その遠さにアシュレイが焦燥を感じて舌打ちすると、前方で、レーダー担当の兵士が声を上げた。
「次元波動確認!」
 次元波動とは、物体がワープアウトして来る直前に観測される、空間の揺らぎである。
「何っ?!」
 もう来たのか、と、アシュレイが窓に目を向けると、宇宙空間がわずかに揺らいで、そこから忽然とハヤトの姿が現れた。
「出た! 正面だ!」
 兵士が叫ぶ。
「ああっ! 正面に……!」
 同時に、ハヤトのメインパイロット席で、剛也も声を上げていた。
「構わん! このまま突っ込め!」
 咄嗟に正面からぶつかることはないと判断したのだろう、土方が鋭く叫んだ。
 これも一瞬にして土方の意図を察した剛也は、その声に励まされて、キッと前方を見据えると、わずかに操縦カンを右に切ってカーレルとの正面衝突を避け、艦側をこするようにして、カーレルの艦体にハヤトを横付けした。
 その瞬間、再び黄金のバリアが展開された。
「しめた!」
 猛は思わず立ち上がった。
 それは、ハヤト側にとって、願ってもない幸運であった。ワープ終了とバリア発生のタイミングがわずかにずれたのが幸いして、黄金のバリアは、カーレルの艦体ごとハヤトを包んでしまったのだ。こうなれば、どれほどの敵の援軍が来ようと、バリアの中のハヤトとカーレルに手出しはできないはずである。
 つまり、ハヤトは、カーレルのみを相手にすればよいのだ。
「戦闘隊、空間騎兵隊、出撃!」
 猛の指令が飛び、戦闘隊及び空間騎兵隊のメンバー合計五十名は、一斉にハヤトを飛び出し、獲物に群がる鷲のように、カーレルのハッチに取り付いた。
「ハヤトは、白兵戦を仕掛けて来る模様です!」
「ワープと今の接触のショックで、エンジンが不調です。航行不能!」
 カーレルのブリッジに、浮き足立った兵士たちの絶望的な声が上がる。
「全艦、白兵戦準備! ハロルド! イルーラをブリッジへ上げろ!」
 矢継ぎ早に叫んでおいて、アシュレイは、
「まさか、こちらの艦ごとバリアで包んでしまうとは……。」
と、悔しそうに独りごちた。
「彗星を呼び出せ!」
 通信士に怒鳴り付けると、ほどなくスクリーンにイゾルデの姿が現れた。
 この黄金のバリアは、ルーナンシア星を覆った銀のシールドとは、性質が違うらしい。あの時のように、通信まで遮断されてしまうのではないか、と恐れていたアシュレイは、ひとまず胸を撫で下ろし、護衛艦隊の消滅から、ルルスが通用しなかったことなど、一連の出来事を報告した。
 護衛艦隊の消滅までは苦い顔をしていたイゾルデも、六十パーセントの出力とは言え、ルルスが全く通用しなかったことを聞くと、さすがに顔色を変えた。
 アシュレイは、無駄とは思いながらも、援軍の派遣をイゾルデに要請した。
『わかった。とにかく、絶対にイルーラをハヤトへ渡してはならん! 何としても、彗星へ収容するのだ!』
 イゾルデは、そう言い捨てて援軍の派遣を手配すると、科学者を招集し、バリアを破る方策を見出すべく、そのエネルギーの分析にかからせた。
 やがて、彗星からの援軍が到着したが、やはり、いかなる攻撃もハヤトのバリアを破ることはできず、ただ手を拱いてカーレルが侵されて行く様子を見守るしかない、という状態だった。
 ハヤトの戦闘員たちは、相手の虚を突いた利を十分に生かし、首尾よくカーレルに侵入して、橋頭堡を築くことに成功した。
「舞。君はここに残って、進むべき方向を指示してくれ。」
 隊員たちに突入を指示し、最後に舞に向かって、恭一郎が言った。
「わかりました。気をつけて。」
 意外に端正な恭一郎の顔を見上げて、舞が頷くと、恭一郎は、
「野郎ども! ここが俺たちの腕の見せ所だ。ドジ踏むんじゃないぞ!」
と、皆を見回し、小型探知装置と舞、護衛の飛翔を橋頭堡に残して、仲間たちと共にカーレルの通路へなだれ込んで行った。
「その通路を真っ直ぐ、突き当たりを右です!」
『了解!』
 舞の前の探知装置には、カーレルの通路と恭一郎たちの位置が示されている。舞は、その位置と、自分の感じる金の娘の気配を突き合わせて、彼らに進むべき方向を指示するのだ。
「皆、ひるむな! 金の娘は近いぞ!」
 そう仲間たちを叱咤しながら、恭一郎は驚嘆していた。
(さすがに銀の娘!)
 進むほどに、防御が厚くなり、抵抗が激しくなる。それは、彼らが着実にイルーラに向けて進んでいることの証拠に他ならないのだ。
「次の角を左へ! 突き当たりのドアの向こうに、金の娘はいます!」
 そう告げると、舞はやおら立ち上がり、激しい白兵戦の戦場と化したカーレルの艦内へ駆け込んで行った。恭一郎の指示通り、それまでは橋頭堡でおとなしくしていた舞だが、いよいよ先頭が金の娘のいるブリッジへ近づいたとあっては、こんな場所でじっとしているわけには行かない。
(必ず会うわ! 絶対に会ってみせる!)
 舞は、強い決意を胸に、戦闘員らが切り開いた通路を、風のように駆け抜けて行く。飛翔が、影のようにそれに付き添った。
『舞っ! 無茶するなよ!』
 舞が動き出したのに気付いた猛の心配そうな声が、ヘルメットの中で響いた。

 その頃、イルーラは、ルルスのシステムから出て、ブリッジのアシュレイの元へ戻っていた。
 いつも夢見るようなその青い瞳に、名状し難い光が揺れる。
 右往左往する人々の叫び、近づく砲撃の音、爆発の振動。それが、イルーラを恐怖に震わせる。しかし、それだけではない。そうしたことの全てが、その身深く閉ざされた記憶の扉に執拗に触れようとするのを、彼女は感じていた。
(以前にも、こうしたことがあったのだろうか……?)
 イルーラは、過去を思い出そうとするといつも感じる頭痛に眉をひそめながら、傍らのアシュレイの顔を見上げた。
 自分を庇うように立つアシュレイの、苦悩に満ちた横顔。それこそが、確かに、いつかどこかで見たことのあるもののような気がする。
 ドカン! と、また激しい爆発音がし、恐怖のあまりイルーラがアシュレイの背に縋り付いた時、風が駆け抜けた。
(お姉様!)
 それは、舞の中のレア・フィシリアが発した言葉である。
(呼んだ……!)
 イルーラは、ハッと顔を上げた。
 ルーナンシア星でハヤトと出会って以来、ずっと自分を呼び続けて来た者。それが、すぐ近くにいる。
(あのドアの向こうに?)
 ブリッジの出入口は厳重に守られ、その向こうで、激しい銃撃戦が繰り広げられている。その銃火の中に、己を呼び続けた者がいる――?
(『お姉様』……?)
 相手はそう言った。今までは、ただ呼ばれているとしか感じなかったのに、その意味が初めて伝わったのは、距離の近さ故なのか。
 お姉様。
 すると、呼んでいるのは己の妹なのだろうか? だから、呼ばれるたびに、あれほどの懐かしさを感じたのか?
(妹……。私に妹が?)
 その疑問はまた、イルーラの身に深く沈む過去に触れようとする。また別の過去に。
 アシュレイやハロルドが言うように、呼んでいるのは、銀の娘なのであろう。それが己の妹であるのなら、なぜ、二人はこうして引き裂かれ、敵対しているのか?
 そうした疑問は、忘れようとして忘れられない、振り切ろうとして振り切れない、イルーラの根源的な疑問を呼び起こす。
 一体、己は何者なのか?
 どのような過去に導かれて、今こうしてここに存在するのか――?
 イルーラの胸は騒いだ。
 遥かな時空を隔てて己を呼び続け、今また、あの分厚い、だが、たかが十数センチの厚さの超合金のドアの向こうで、己を求める銀の娘。
 彼女は、己の過去に繋がる者だ。そして、イルーラに失われた過去を取り戻させたいのだ。今ここで銀の娘に会えば、全ての過去が蘇り、何もかもが解き明かされるのかもしれない。
 イルーラは、ドアに駆け寄り、それを開け放ちたい衝動に駆られた。
 会ってみたい。そして、己が何者なのかを知りたい……!
「怖いか、イルーラ。」
 イルーラの熱い衝動が、そのなよやかな足先を突き動かそうとした時、アシュレイが振り向いた。
「心配するな。絶対に渡しはせん。」
 青い顔で震えるイルーラを労るように、アシュレイが微笑む。その瞬間に、今まさにほとばしろうとしていた思いは影を潜め、疑念と迷いとが、急速にイルーラの心を埋め尽くして行った。
 失われた過去が、現在と整合するとは限らない。もしかしたら、それは、この現実とは相容れないものかもしれない。いや、相容れないものだからこそ、イルーラに過去を取り戻させようとする銀の娘と、こうして戦わねばならないのではないか?
 その疑いは、銀の娘を擁するハヤトの乗組員たちと、こうして実際に戦火を交えることで、決定的なものになっていた。
 妹と敵対するという発想は、イルーラにはない。妹とは、愛すべき大切な家族であろう。胸に残るこの懐かしさが、それを証明している。それが、銃火によって隔てられているこの現実は、間違っているのだろうか?
 ――アシュレイと愛し合ったことも?
「ああ……。」
 イルーラは、か細い声を上げて、激しく頭を振った。自分の心に浮かんだ考えが、恐ろしかったのだ。
 アシュレイと出会い、愛し合ったことが、間違っている。その想像は、イルーラを打ちのめす。
 彼女にとって、誤りとは、正さねばならぬものである。間違っていてると知って、それでもよい、と割り切る強さは、イルーラに持てるものではない。すなわち、過去を取り戻し、現実が間違っていると知ってなお、アシュレイの側に在り続けることは、不可能も同然なのである。
 それでも思い出したいのか? 思い出すべきなのか?
 今ここで過去を取り戻すことが、自分にとって本当に良いことなのか?
 イルーラには、その確証がなかった。
(お姉様!)
 爆音と共に、また一陣の風が駆け抜けた。その中に、イルーラは、込み上げるような懐かしさと、自分を求める悲痛な思いを嗅ぎ取った。
 イルーラは、激しい頭痛に苛まれながら、アシュレイの広い背中に身を寄せた。
 このアシュレイを失うかもしれない。彼女にとって、その想像は、常に絶望的に悲しく、恐ろしい。
(この人を失うくらいなら、過去はいらない!)
 イルーラは心で叫び、銀の娘に会いたいという欲求を振り払おうとした。しかし、一度生じた強い欲求が、そう簡単に消え失せるはずもない。
 それは渇望である。
 会いたい。会いたくない。
 イルーラは混乱し、相反する二つの衝動の狭間で身悶えした。
「さすがにやる。」
 そうしたイルーラの心の動きには気付かぬまま、アシュレイは、不利な戦況に唇を噛んでいた。
 何とかイルーラを脱出艇へ移して、彗星へ向けて脱出させたいのだが、通路をハヤト側に占拠されてしまっているので、ブリッジから一歩も出ることができないのである。
 ハヤトの戦闘員たちはよく訓練されているらしく、戦闘はハヤト側が優勢だった。
 無論、カーレルの乗組員たちも、十分な訓練を積んでいる。だが、何人が、実際にあり得ることとして、それに取り組んで来ただろう。彼ら彗星帝国の艦隊勤務の兵士たちにとって、戦闘とは、常に遥か彼方からの砲撃の一発で片が付くものだったから、内懐に切り込まれるこんな事態を想像できなかったのも、無理からぬことではあるのだが……。
 ハヤトの戦闘員たちは、そんなカーレルの乗組員を次々に倒して、じりじりとこのブリッジへ迫って来る。このままでは、彼らがここへなだれ込んで来るのも、時間の問題だった。
 アシュレイが焦りを感じた時、イゾルデから通信が入った。
『ハヤトのバリアは、増幅された生体エネルギーらしい。ハヤトの兵士を倒せば、弱まるはずである。』
 さすがに帝国の科学力である。ほんの短時間で、バリアの本質、すなわち弱点を、的確に見抜いたものであった。
 だが、倒れる兵士は、圧倒的にカーレルの側が多い。このままでは、それも果たせそうにない。
(生体エネルギー?)
 アシュレイは、ふと、惑星グラディオーナで収容した地上部隊の生き残りの報告を思い出していた。
 惑星グラディオーナで、地上部隊の隊員たちが金の星の隠し場所と目される湖にたどり着いた時、金の星は、既にハヤト側の手にあった。それを奪取すべく、隊員たちは攻撃を加えたのだが、相手を包むように突如として発生した金色のバリアに阻まれて、何のダメージも与えられなかった。
 隊を率いていたのは、シュニック・フラノーバという腕自慢の男である。彼は、はかばかしくない戦況に業を煮やし、単身密かにバリアに忍び寄って、その輝きの中に飛び込み、中の相手と格闘したという。その働きも空しく、金の星は、結局はハヤトに渡ってしまったのだが――。
 その報告と、生体エネルギーという言葉が結び付いて、アシュレイの脳裏に、ある考えが閃いた。
 あのバリアは、武器の類は通さないが、生身の人間なら通すのではないか? 元が生体エネルギーだけに、生きているものは拒まないのかもしれない。
 溺れる者が藁に縋るように、アシュレイは、その考えをイゾルデに告げた。
『面白い。やってみよう。』
 他に良い手も持たないイゾルデも、この案に賛成し、早速、大人数の機動部隊の投入を指示した。

「あっ。新たな敵艦です。」
 ハヤトとカーレルの上空に、新たな艦が現れた。だが、この時、無駄に弾を使わないでおこうというハヤト側の考えが、帝国側には幸いした。どうせ手出しはできまい、と見守るハヤトの頭上で、機動力のある小型の艦は、ハッチを開くと、おびただしい数の兵士を降下させたのである。
「あっ?! 敵艦から兵が降下して来ます!」
「しまった! この手があったか!」
 それが何を意味するのか、瞬時に悟った独が、声を上げた。
 いかなる攻撃も跳ね返す無敵のバリアが、人間を通す。
 惑星グラディオーナで、バリアの中に飛び込んで来た敵の兵士と格闘して再び負傷した時から、それが、彼の心にずっと引っ掛かっていた。だが、傷の治療や、レーダーに突如表れた金と銀の光の解析、波動エンジンの改良などに追われて、バリアの弱点にも繋がるこの点を、彼は、今の今まで思い出せずにいたのである。
「ああっ?! バリアを通過するぞ?!」
 剛也が身を乗り出した。敵の兵士たちは、独の予想通り、難なくバリアを通り抜けると、次々にハヤトとカーレルの甲板に降り立って行く。
「しまった!」
 敵の意図をはっきりと理解して、猛も思わず立ち上がった。
 バリアの中に敵が飛び込んで来た、ということを聞いた時、猛も不審に思いはしたのだ。しかし、金の艦に追い着いてからのことを考えるのに精一杯で、その点について深く考えることを怠った。舞に意識が向き過ぎていた、ということもあろう。だが、そんなことは、言い訳にもなりはしない。独は、負傷していた上に、波動エンジンの改良などの大仕事に掛かりきりだったのだから、戦闘隊長たる猛が、何らかの方策を練っていてしかるべきだったのだ。
(やはり、まだまだ甘い!)
 猛は、己の未熟さに臍を噛んだ。しかし、反省している暇はない。
「全艦、白兵戦準備!」
 今、全ての戦闘員は、カーレル内で戦っている。その隙に、ハヤトに敵の侵入を許すことになったら、一大事である。猛も、コスモガンを手に、第二艦橋を飛び出して行った。
 無事にハヤトのバリアを突破してしまった敵兵は、二手に別れ、一隊はカーレルへ、一隊はハヤトへ向かった。カーレルに乗り込んだハヤトの戦闘員たちの退路を断って、カーレルを援護すると同時に、ハヤト側の人数を削いで、バリアをも弱める作戦である。
 たちまち、ハヤトの艦内は、蜂の巣を突ついたような騒ぎになった。如何せん、ハヤト側の人数は少なく、猛を除けば、こうした戦いには慣れていない。傷つき、倒れる者が続出した。
「何?! 外から新手が?」
 ハヤトからの状況報告を受けて、恭一郎も顔色を変えた。
 カーレルに乗り込んだハヤト側の一団の中には、舞がいるのだ。もし、両側から挟み撃ちに合ったら、今度は舞の身が危うくなる。
「くそっ。」
 舞を守るためには、戦力を前後双方に振り向けざるを得ない。恭一郎は、一団を二つに分け、一方を後方の守備に回した。そのため、イルーラのいるブリッジへの攻撃の勢いが一瞬鈍った。
「よし、今だ!」
 さすがにアシュレイは、その機を逃さなかった。
「行くぞ、イルーラ。」
「……はい。」
 アシュレイは、イルーラを軽々と抱きかかえると、味方の援護を受けつつ、通路を駆け抜けて脱出艇に移り、大混乱に陥っているカーレルを捨てて、一路彗星目指して脱出した。