ACT3 ルルス
「あ、あれだけの艦隊が、全滅だ……!」
カーレルのブリッジで、彗星帝国第一艦隊旗艦ラフレシアの爆発を目の当たりにし、ハロルドは思わず後退った。
戦闘開始からわずか二時間。そのわずかな時間に、威容を誇った彗星帝国の二艦隊が、全滅してしまったのである。
「一体どうなったんだ。ハヤトは! ラフレシアは!」
その隣で、アシュレイは、目映い光茫をじっと見つめていた。
ハヤトはまだ姿を現さない。鉄壁を思わせたハヤトのバリアも、ゴーランドの命を懸けた体当たりにはかなわなかったのか……?
アシュレイがそう期待した時、薄れゆく白色光の中から、燦然と輝く黄金の光が走り出た。
「あれは……!」
渦巻く爆発の炎と煙の中から現れたのは、紛れもなくハヤトであった。
「こんなバカな!」
アシュレイの端正な顔が、驚きに歪んだ。
金色のバリアは一段と輝きを増し、ハヤトは、傷一つ負っていない。帝国軍の最大級の艦一つ犠牲にしても、ハヤトに何の打撃も与えられないのか? それは、恐るべきことであった。
今や、ハヤトの行く手を阻むものは何もない。そして、そのハヤトは、まさに無敵を思わせる堂々たる姿で、このカーレルに向かって進んで来ているのである。
アシュレイの背に戦慄が走った。それは、ルーナンシア星ではもちろん、惑星グラディオーナで一時ハヤトと対峙した時も、他のどんな時にも感じたことのない恐怖だった。
常勝を当然のこととして来た者が、敗れることを意識する時、その恐怖がどれほどのものか。
アシュレイは、それを知った。
「ブーレイ! エンジンの補修はまだか!」
顔を引きつらせて、アシュレイは叫んだ。
ハヤトが来る。イルーラを連れ去るために。
その直観こそが、彼の恐れの最たるものだった。
「まだです! あと一時間、いや、三十分!」
叫び返すブーレイの声も、微かに震えを帯びている。
「止むを得ん……。」
唇を噛んで、アシュレイは決断を下した。
このままでは、成す術もなくハヤトに接近を許し、イルーラを連れ去られることになるだろう。通常の武器が通用しないのは、もはや明らかだった。となれば、ここはルルスを使うしか、ハヤトを撃退する方法はない。
「ルルス発射用意!」
さすがのハロルドも、これだけの凄まじい劣勢ぶりを見せつけられては、ルルスの発射に反対するわけには行かない。アシュレイの命令に応えて、早速コンソールに飛び付いた。
「ふーむ、これは……。」
表示されたイルーラの精神状態を見て、ハロルドは唸った。通常よりも、揺れの振幅が激しい。やはり、ハヤトに在る銀の娘が、影響を与えているのだろう。
「ルルス発射準備完了! 但し、姫様の状態が不安定なため、百パーセントの出力は無理です。六十パーセントの出力しか得られません。」
「構わん!」
アシュレイは怒鳴り返した。ルルスには、六十パーセントの出力でも、小さな惑星なら容易に粉砕する威力がある。今は、最高の状態を求めている時間の余裕はないのだ。
「目標ハヤト!」
アシュレイは、モニターに映し出されたハヤトの美しい艦影を、火を吹くような瞳で睨み続けた。
一方、ラ・ムーの星の作り出すバリアの加護を得て、敵の大艦隊を壊滅させたハヤトの艦内は、高まる士気に沸いていた。レムリアの言葉に微塵も嘘はなく、今や、金の艦とハヤトを遮るものは何もない。敵艦に接近したらすぐに飛び出して行こうと、既に、戦闘隊員と空間騎兵隊員が、武装を整えてハッチの付近で待機している。
宇宙服を着込み、皆と同じように武装した舞と飛翔も、その中にいた。
(イルーラ……。必ず会うわ。あなたに…!)
決意を胸に、舞も、装備の最終点検に余念がない。
ハヤトは、まっしぐらにカーレルへ向けて進んで行く。そのハヤトの前で、カーレルは、ゆっくりと艦首を巡らし、艦を象徴する巨大な砲をハヤトへ向けた。
(何をする気だ?)
普通の武器が通用しないのはわかっているはずなのに、と、誰もが思った。それでも、土方を始めとする乗組員の何人かは、何か表現できない威圧を感じていたが、今は、そんなことに構ってはいられない。敵がどんな手段でハヤトを攻撃して来ようとも、バリアを信じて進むのみである。
「ルルス、臨界まであと十秒!」
ハロルドが告げた。
(許せ、イルーラ。)
心で詫びながら、アシュレイは、スコープの中のハヤトに狙いを付ける。
「五秒前! 三、二、一、発射!」
アシュレイがルルスの発射装置の引き金を引いたその瞬間、カーレルの艦首に黄金の光が閃いた。
「ああっ?! 物凄いエネルギーがハヤトへ向かって来ます! 計測不能!」
美央が叫んだ時には、エネルギーの発する激烈な光茫が、ハヤトの眼前へ迫っていた。
「うわあっ!」
「きゃあぁっ!」
それは、今までの攻撃の合計の数百倍はあろうかという、エネルギーの束であった。恐らくは、波動砲をも遥かに凌ぐであろうその力は、一瞬のうちにハヤトのバリアに突き刺さった。
「ウウッ!」
猛は、激しい衝撃に呻きながら、反射的に体を支えていた。
それは、まさに、圧倒的な「力」であった。
強大で、とても太刀打ちできない、圧倒的な力。
だが、そこに、猛が夢で感じたような恐怖を伴う圧力や、重力波が放ったような恨みの念はなかった。
美しく、優しい女神の微笑み。
花園に燦然と降る太陽の光。
そこには、そうした暖かさと柔らかさがあって、どうかすると、意識もないまま、フラフラと取り込まれてしまいそうになる。
(いけません……!)
猛の意識の中で、レムリアが告げた。
(取り込まれてしまってはいけません!)
かつて、この力にルーナンシアが敗れたのも、あまりにも己に似た同じ性質を持つその力に、星が自ら結界を解く結果になってしまったからなのである。
(こ……、これは、金の娘の力だ!)
猛は、力の流れの持つ穏やかな誘惑に精一杯対抗しようと努めながら、そう断定していた。そして、その認識は、瞬時に乗組員たちに伝わった。
(取り込まれてはならぬ!)
猛と、そして、土方の発したその認識は、危ういところで、力に対抗しようという乗組員たちの気力を奮い起こした。そうでなければ、乗組員たちの意識は、力の持つ不思議な魅力に幻惑され、己を守ろうとする意思を失っていたに違いない。もしそうなっていたら、乗組員たちの防御本能の具現であるバリアはたちどころに消失し、ハヤトは、まさしく一瞬のうちに、この世から消えてしまっていただろう。
(お姉様!)
その力の中に懐かしい匂いを感じて、舞の中のレア・フィシリアもまた、流れに逆らって精一杯の思惟を投げ掛ける。
(思い出して、私を!)
力の流れがわずかに動揺した。
(思い出してください、お姉様の成すべきことを……。あなたの在るべき場所は、そこではありません!)
必死で投げたその思いが、果たして金の娘に届いたのかどうか――。
人々のそうした様々な動きを呼びながら、ルルスの発したエネルギーは、金のバリアと激しくぶつかり合い、一瞬の後に、ハヤトを突き抜けて去って行った。
ハヤトの後方で、黒色惑星が流れの直撃を受けて爆発した。エネルギーの束は、さらにその太陽をもかすめ、弱い光を放つだけだった白い星を一瞬にして燃え上がらせると、宇宙空間を遠く駆け抜けて行く。
無音のハヤトの第二艦橋には、ハァハァ、というメインスタッフたちの荒い呼吸の音だけが響いていた。土方だけが、じっと目を伏せて姿勢を正している。
「い……、生きているのか、俺たちは……。」
ようやくのことで、猛が口を開いた。
「そのようだな……。ハヤトの防御本能は、金の娘の力に勝ったらしい……。」
伏せた顔だけをわずかに上げて、独がそれに応じた。
惑星を爆発させ、死にゆく太陽を燃え上がらせ、そして、ルーナンシアを滅亡させた、金の娘の力。金と銀のラ・ムーの星を媒介とし、ハヤト乗組員たちの防御本能に支えられたバリアは、その力にも破られることはなかったのである。
そうとわかれば、いつまでも動揺してはいられない。爆発した黒色惑星のかけらが、切れ切れに飛んで来たが、全てバリアに阻まれ、わずかな衝撃を感じさせるだけだった。ハヤトは、やや乱れた態勢を立て直し、金の娘の乗るカーレルへ進路を向けた。
「ルルスでも、あのバリアを破ることはできないのか?!」
ルルスには、出力六十パーセントでも、惑星を破壊するほどの威力があるのだ。その攻撃にあってさえ、びくともしないバリアに、アシュレイは、心底から脅威を感じた。たとえ出力を百パーセントに上げても、あのバリアは、それを防ぎきるかもしれない。
「ブーレイ!」
もはや、アシュレイに、動揺を取り繕う余裕はなかった。ここは、一刻も早くこの場を逃れ、何としてでもイルーラを彗星に収容してしまわなければならない。とにかく、カーレルだけでは、とても勝ち目はないのだ。
「ハッ! あと五分、いや、三分!」
絶対無敵のルルスが全く通用しなかったとあって、カーレルの中は半ばパニック状態である。
「急がせろ! ハヤトに接近されてはおしまいだ。何としても、彗星に帰るぞ!」
アシュレイは叱咤した。無敵の彗星帝国に在って、こんな思いをさせられたのは、恐らくアシュレイが初めてであろう。
万一、金の娘を渡すようなことになれば、カーレルどころか、彗星帝国そのものが終焉を迎えることになり兼ねない。アシュレイは、黄金の球体となって宇宙空間を進むハヤトに、血走った視線を走らせた。
「金の艦までの距離、二十宇宙キロ。」
美央が、落ち着きを取り戻した声で、距離を読み上げた。
「よし、バリアが接するギリギリのところまで接近したら、白兵戦に移るぞ。戦闘隊員、空間騎兵隊員は、金の艦に乗り移れ。」
土方がそう指示した時、前方の空間が揺らぎ、カーレルの姿がかき消えた。寸でのところで修理が終了し、ワープしたのである。
「あっ。金の艦がワープしました!」
美央の声が響いた。
「しまった!」
猛は、唇を噛んで、カーレルの消えて行った空間を見つめた。せっかくここまで追い詰めたのに、あと少しというところで逃げられてしまったのである。
「金の艦のワープ終了地点を探れ。」
すかさず土方の指示が飛び、ほどなく全天球レーダー室から報告が返った。
『金の艦のワープ終了地点は、宇宙座標HC-五〇五、ハヤトからの距離、約二十万光年、銀河系辺縁部から約二千光年、恐らく紫色彗星の至近と思われます!』
「くそっ!」
彗星の至近という言葉に、メインスタッフたちは歯噛みした。金の娘を彗星に収容されてしまっては、娘との接触は、遥かに難しいものになる。
「陣! ワープだ。金の艦を追うぞ。急げ!」
「はい。」
剛也は、抜かりなく、既に座標等のデータを入力している。独ら科学技術班の尽力で、波動エンジンの改造は無事完了し、ハヤトは、二十万光年以下の距離なら、連続して長距離ワープをこなすことができるようになっていた。
「ワープ十秒前! 九、八、七、……。」
剛也の秒読みが、静かに全艦に響いた。
勝負は、ワープ明け後のほんのわずかな時間に懸かっている。とにかく、金の艦が彗星に収容されてしまうまでに、絶対に捕捉しなければならない。当然、彗星から新たな援軍もあろうし、一層苦しい戦いになることは間違いない。
しかし、そんなことでくじけるハヤトではないのだ。
白兵戦に飛び出そうと、手ぐすねを引いて待機している戦闘隊員や空間騎兵隊員たちも、ワープが明けたらすぐに行動できるように、態勢を整える。
「三、二、一、〇、ワープ!」
乗組員たちの決意を乗せて、ハヤトもまた姿を消した。