ACT7 女王レムリアの幻影
「最近、夢を見てな。それがちょっと妙な夢だったんだが……。」
「妙な夢?」
夢と聞いて、また猛はドキリとした。今も、不吉な夢のことを思い出したばかりである。
「ちょっと待てよ。まさか、女王レムリアが宇宙に浮かんで泣いている、とかいう夢じゃないだろうな?」
だが、猛より先にそう言ったのは、隣に座っている剛也だった。猛は愕然とした。自分が見た夢と、全く同じではないか。
「剛也も見たのか? 暗い宇宙空間に女王レムリアがボーッと浮かんで、悲しげに泣いている夢……。」
「そう、それ! ……猛もなのか?」
三人は、訝しげに顔を見合わせた。
三人揃って同じ夢を見るなどという偶然があるのだろうか?
「ただの夢にしては妙にリアルだったんで、ちょっと気になってな。だが、お前たちまで同じ夢を見ているとは……。」
言い出した飛翔も、思わぬ猛と剛也の反応に当惑した表情で呟いた。
ところが、さらに話を続けているうちに、
「俺も見た。」
「俺も見たぞ。」
という声が相次ぎ、何とその場にいるほとんどの者が、同じ夢を見ていたことが判明したのである。皆、レムリアのただならぬその様子が気になっていたのだが、単なる夢じゃないか、と、自分に言い聞かせていたと言う。
「一体、どういうことだ? こんなに大勢の人間が、同時に同じ夢を見ているなんて。」
「……ルーナンシアに何かあったのだろうか? まさかな……。」
まさか、と言いながら、皆の胸には、黒雲のような不安が一杯に広がっていた。
何の理由もなく、これだけ大勢の者が、同時にこんな夢を見ることなど、ルーナンシアと女王レムリアに限ってあるはずがないのである。
ルーナンシアに何かが起こったのだ。レムリアは、夢という形でそれを知らせたかったのに違いない。
それが、皆の共通の認識であった。
だが、ルーナンシアに何事か起こる、とは一体どういうことなのだろうか?
英雄の丘はしん、と静まった。
地球が散々に苦しめられたデイモスさえ、軽く一蹴したルーナンシア。そのルーナンシアで最高の能力を持つ女王レムリアが、地球人たちに夢で知らせなければならない大事とは何なのか?
誰の思いもそこで止まってしまう。その先を考えると、恐ろしさに身が竦むようであった。
ルーナンシアこそは、何ものにも侵されず、永遠に美しく輝いて、宇宙に続く生命を導いて行くべき星であろう。そこに異変を引き起こす何ものかがあるとしたら、誰もそれには抗しきれまい。地球はもちろん、宇宙全体が危機に瀕するのは、目に見えている。
「……私、見てないわ。そんな夢……。」
舞は青い顔で呟いた。ふと仰ぐと、微笑んでいるはずのレムリアの像が、泣いているように見える。
ルーナンシアに何か起こったのだ。それもただ事ではない、重大な何かが。
既に舞は確信していた。だが、別の大きな疑念が、舞の心に浮かび上がって来る。
レムリアは、なぜ自分の夢には現れないのか?
ルーナンシアと最も繋がりが深い地球人は自分だ、と舞は自負している。レムリアの夢なら、真先に見てもよさそうなものだ。それなのに、夢はおろか、何の予感も舞にはないのである。猛に夢の話を聞くまで、レムリアのこともしばらく忘れていたほどなのだ。自分に何の兆しもなく、他の者たちにこれほどはっきりした暗示があるとは……。
今までと違う。舞は漠然とそう感じていた。強い不安が、急速に心を埋め尽くしてゆく。
「あら?」
その時、レアの花びらが一ひら、風に乗って舞の鼻先をかすめて行った。風が遥かに丘を渡り、草の海に波が立っている。
「ああ?! レアの花が……!」
舞は思わず声を上げた。
レアが泣く!
ルーナンシアと地球の地質、気候等の条件の違いからか、ルーナンシアでは一日で散ってしまうレアも、地球では三日くらいは咲き続け、一度に散ることはなかった。そのレアの花が、今、故郷での性情そのままに、一斉に散って行く。月の光を浴びて青い花びらが風に舞う様は、かつて舞が評したように、大地の涙そのものであった。
風が野を分けて激しく吹き、空は俄かに曇って月が隠れ、辺りは暗闇になった。丘を埋め尽くしていたレアの花は、翼を持っているかのように一斉に大地を離れ、風と共に人々の髪を巻き上げて、海へ向けて流れて行く。
「皆、あれを見ろ!」
突然、独が叫んだ。
その指差す方を見ると、舞い上がったレアの花びらが、レムリアの像の周りに吹き寄せられて薄青く光り、中心に美しい紫の光が灯っている。闇を背景に、光は妖しく揺らぎ、柔らかに膨らもうとしているようだった。
「何だ、あれは?!」
「発光しているぞ!」
人々が騒然と見つめる中で、その紫の光は、高貴な輝きを放ちながら次第に明瞭な形を取り、やがて、見覚えのあるレムリアの姿になった。
「ああっ?!」
「女王レムリア?!」
その妖しい光景に、一同は息を呑んで立ち尽くした。
変わらぬ威厳に満ちた立姿。それは、まさしく、ルーナンシアの女王レムリアであった。
夢では伝えられなかった何かを伝えるために、遥かな宇宙を翔けてやって来たというのだろうか。だが、その姿は透き通るように頼りなく、まるで亡霊のようであった。
「女王レムリア! 一体どうなさったのです。ルーナンシアに何かあったのですか?」
舞は思わず駆け寄っていた。しかし、それは、実体のないイメージだけの像であり、差し出された両手は虚しく空を切った。
「……ああ、ようやく……、地球の勇士たち……。」
レムリアは、今にも消えそうな声で、力なく呟いた。
その口元がわずかにほころびはしたが、皆が夢で見たように、レムリアは泣いていた。絶え間なく流れる涙が輝いて散っては、切れ切れに風に紛れて消えて行く。
「レムリア……!」
舞は、その悲痛な表情に胸を突かれる思いだった。いつも愛と優しさに満ちて舞を見下ろしていた美しい瞳に、今は例えようもない悲しみと苦しみが溢れている。
「ルーナンシアは……、滅びます……。」
レムリアは苦しげに、しかし、確かにそう告げた。その言葉に地球人たちは大きな衝撃を受け、今にも倒れそうになった。
ルーナンシアが滅びる!
その意味することの重大さが、誰の脳裏にもくっきりと浮かび上がったからである。
「恐ろしい敵……。ハヤト……。ラ・ムーの星を……、早く……。」
レムリアは、途切れ途切れにそう呟くと、かき消すように見えなくなってしまった。
「ああっ! 女王レムリア! 待ってください!」
舞が叫んで手を伸ばしたが、それきり紫の光は消えてしまった。
「消えた……。」
地球人たちは、レムリアの幻影を追うように、まだ茫然と立ち尽くしている。
「……確かに、ルーナンシアは滅びる、と言ったようだが……。」
「……恐ろしい敵、とも言ったぞ。」
一同は、青ざめた顔で、幻のような今の出来事を囁き合い、それが自分だけの錯覚でないことを確認し合っていた。そのまま受け入れるには、あまりに衝撃的な出来事だったのである。
「やっぱり、ルーナンシアに何かあったんだ。間違いない。レムリアは、必死にそれを俺たちに伝えようとしていたんだ。」
猛は、初めて暗示の意味を悟った。
かつてティアリュオンのアルフェッカがそうしたように、レムリアは、全身全霊を傾け、百万光年の時空を越えて、地球人たちにメッセージをもたらそうとしていたのだ。
「だが、わからん! 一体、何が起これば、あのルーナンシアが滅びるというんだ!」
独が大声で言い、一同は声もなく頷いた。
ルーナンシアが滅びると言われても、とてもすぐに信じられるものではない。しかし、たとえ幻影であろうと、現実に、他ならぬ女王レムリアが、自身で告げたのである。
ルーナンシアは滅びる、と。
しかも、レムリアは「恐ろしい敵」とも言った。ルーナンシアを滅亡に至らしめるほどに強大な、新たな脅威が出現したというのだろうか?
できることなら夢であって欲しい、という思いが、誰の胸にもあった。ルーナンシアの危機、それは、取りも直さず地球の、ひいては宇宙全体の危機なのである。得体の知れない恐怖と不安が、不気味な静けさの中に広がって行った。
「……おーい!」
その沈黙を破るように、英雄の丘を息せき切って駆け上って来る者があった。
「大変だ! 第六区輸送船団が……!」
「第六区輸送船団だと?!」
飛翔の顔が、サッと青ざめた。第六区輸送船団の病院船には、唯子が乗務しているのである。
口々に叫ぶ者、慌てて丘を駆け下りてゆく者、辺りは、たちまち戦場のような騒ぎになった。どうやら、何か大事件が起こったらしい。
(時が動くのだ……。)
行く手に途轍もなく重く大きな何ものかが待ち受けていることを、この時、舞ははっきりと予感していた。
舞は、暗然たる気持ちでただ立ち尽くし、人々の動きを黙って見つめていた。