ACT8 謎の紫色大彗星
混乱の一夜が明けた。楽しかるべき宴の夜は、一転して悲劇の夜になったのだ。
第六区輸送船団は、火星空域付近で原因不明の強い重力波を受け、飛翔の婚約者花月唯子の乗った病院船は、接触事故を起こして爆発、乗組員は全員死亡という不幸な事故に遇ったのである。
飛翔は、結婚式を三日後に控えて最愛の婚約者を失った。痛ましくも残酷なことだった。
「飛翔が泣いているわ。可哀そうな唯子……。」
舞が空を仰いで呟いた。
「明後日には結婚するはずだったんだもんな……。」
猛も沈痛な顔で呟く。
物静かで、芯の強かった唯子。
秋の風に揺れる秋桜のように、しなやかで、可憐な娘だった。努力の末に医師となり、ようやく愛する人と結婚し、まさにこれからという時の悲劇であった。
その唯子を心から愛した飛翔が、身を震わせて、男泣きに泣いている。たとえ見ずとも、猛や舞にはそれがわかる。その悲しみの叫びが空を翔けて届き、二人の胸に深く鋭く突き刺さっているからだ。
唯子の生命を奪って行った重力波。その重力波には猛も遭遇しているだけに、舞には余計辛かった。
今、猛が自分の横にいるのは、幸運としか言いようがない。まかり間違えば、自分が飛翔の立場に立っていたかもしれないのだ。それを思うと、胸が張り裂けそうだった。猛を失うようなことがあれば、自分も生きてはいまい。
猛の腕を握り締めている舞の指が、食い込んで痛いほどだったので、猛は足を止めた。舞の顔は、紙のように白くなっている。
「舞。大丈夫だ。俺はちゃんとここにいる。」
「ええ……。」
だが、頷きながら猛を見上げる舞の瞳からは、一筋の涙が溢れてしまっている。
猛の瞳は、強い意志をたたえて燃えている。猛が何も言わずとも、その意志の重さは舞に伝わる。
意志が宿る深い瞳。猛の思いは、既に未知の何物かに向かっている。猛はまた戦いにゆくのだ。生きて戻れるとも知れぬ戦いに身を投じ、強大な何ものかに敢然と立ち向かうのだろう。
「舞には、もう絶対に辛い思いはさせない。俺が守る。」
それは、デイモスとの戦いの後で、猛が胸に固く誓ったことであった。しかし、その言葉さえも舞に不安を呼ぶ。
涙の止まらぬ舞を、優しく労るようにすっぽりと腕の中に包み込みながら、迫って来る何ものかを見据えるように、猛は、遥かな空へ視線を投げている。舞には、それが遠く思われるのだ。自分の窺い知れぬところで猛が決意を固めているような、そんな気がする。
それは、かつて、舞がレア・フィシリアたる者の務めを果たすことだけを見つめていた時に、猛が感じていたもどかしさと同一のものであった。猛は、今の自分からかつての舞を理解していたが、舞には、かつての自分から今の猛を推し量る余裕がない。
唯子は、美央と同じく舞の無二の友人でもあり、飛翔は、同じ通信班長としてハヤトで苦楽を共にした大切な仲間である。親友を失い、最愛の婚約者を失って悲嘆に暮れる飛翔の心に鋭く胸をえぐられ、猛までをも失いそうな予感がして、すっかり動揺し、混乱しきっているだ。
(女王レムリア! なぜ、私の所へは来てくださらなかったのです!)
舞は、心で問い掛ける。揺れが止まらないのはこのせいなのだ。
レムリアは、舞を高みに導く、舞が目指す者の一人である。自分こそが一番近しいと信じていたそのレムリアが、今度に限って自分を素通りして行った。
なぜなのか?
舞の衝撃は大きかった。だから、舞は、レムリアがルーナンシアは滅びると告げた、その本質的な問題になかなか直面できずにいるのである。
舞は、涙に濡れた顔を猛の胸に埋めた。今はまだ、こうして舞は猛の腕の中にある。
(こんなことではいけない! しっかりしなくては……。)
その規則正しい鼓動を感じながら、舞は、できるだけ冷静になろうと努力した。
誰もが、成すべきことを成さねばならない。皆、そのように努めているのだ。これから訪ねようとしている科学局では、すぐさま独が分析を開始していたし、他の誰もが、自分の立場なりに未来を見据えて、可能な手を打っているはずだった。自分だけが動揺していて、その成すべきことを見失ってはならない。
それにしても、と、相変わらずすぐに揺らめく自分を情けなく思う舞であった。こんな自分だから頼りにならぬとして、レムリアは来なかったのかもしれない、とさえ思われる。
二人は途中で剛也と合流し、科学局の主任である独を訪ねていた。
「よう、来たな。」
サイエンスルームの奥から独が現れた。昨夜から徹夜で分析をしていたのだろう。端正な顔がやや面やつれし、顎の線が一層鋭い。目だけが、異様なまでの光を帯びて、輝いていた。
「飛翔は?」
と、独は気遣って、三人が無言でいるのを見て、余計なことを聞いたというように、顔を背けた。
「猛が提出した資料な、分析が終わったぞ。多分、今度の第六区輸送船団の事故とも、関係があると思う。」
「本当ですか!」
独は三人を促し、先に立って分析室に案内した。
広い分析室では、各種の機器が作動している。ここでは、単に鉱物資源などの分析をするのではなく、宇宙に異変が生じたりしていないか、その様子も監視しているのである。
「猛サン、剛也サン、舞サン、ヨウコソ。」
アナライザーが出迎えた。
万能ロボットとしてハヤトでも活躍したアナライザーは、地球へ戻ってから科学局へ引き取られ、ずっと独の助手を務めている。本人(?)は有能だからだと信じているらしいが、アナライザーを上手く扱えるのは独と佐渡くらいのもので、取り敢えず独に預けられた、というのが本当のところなのである。
「よお、アナライザー。ちゃんとやってるかい?」
剛也は、親しさの表現でその丸い頭をポン、と叩いた。
「ヘイ、私、天才。頼リニナリマス、オ任セクダサイ。」
アナライザーは、愛想よく返事をしながら、パネルのセットをしている。「ハイ」と返事できず「ヘイ」になるところは、相変わらず直されていないようだったが、そこがいかにもアナライザーらしい。
「せっと完了、すたーとシマス。」
アナライザーがスイッチを押すと、分析ルームの壁面一杯に広がる大パネルに、宇宙図が投影された。
「見てくれ。これが、突然三日前から見え始めているんだ。」
独の指差す所、宇宙図北天の片隅に、光の点があった。
ティアリュオン星への旅の途中、ワープのたびにハヤトが残して来た観測機器と超光速通信リレー衛星の働きで、アンドロメダ星雲方面の銀河系の様子は、ほぼリアルタイムで知ることができる。
「現在位置、銀河系外一パーセク、地球からの距離、約一万光年だ。」
「突然見えだした理由は?」
傍らから剛也が尋ねた。
「加速して銀河系に接近し、前面に発光ガスを伴った重力波が発生しているからだ。つまり、この前面で、何か爆発が起こっているということになる。銀河系に近づいたことで、星と衝突しているのかもしれない。猛たちの輸送船団や、今度の第六区輸送船団が受けた重力波も、この影響に間違いない。」
「そんな馬鹿な! これは、超光速レーダーの画面なんでしょう? 一万光年先で発生した重力波が、どうしてほんの数日で太陽系にまで届くんですか?」
猛が、半ば抗議口調で質問した。
「それはわからん。」
独は腕組みをした。
「しかし、重力波の波のパターンがピッタリと一致するんだ。同じ由来のものとしか考えられない。それに、まだ分析途中なんだが、途中の観測地点でも、同じような重力波が観測されている。この重力波は、まるで水面を小石が跳ねるように、空間を跳躍して伝わって来ているらしい。あるいは、あまりに大きい爆発の衝撃によって、宇宙に次元回廊とでも呼ぶべき次元の穴が開いて、そこを重力波が突き抜けて来ているのかもしれない。全ては想像の段階だがね。次に、拡大投影するぞ。」
独が操作すると、大パネルには、紫色に輝く巨大な星が映し出された。
「これは!」
剛也が驚きの声を上げた。
「彗星じゃないか! それも大彗星だ。」
と、猛も茫然とパネルを見つめた。
パネル越しに見ているだけで、まるで押し潰されそうな圧倒的な力を感じる。猛の脳裏に、夢で感じた恐怖がまざまざと蘇っていた。女王レムリアの気配を蹴散らして迫って来た何ものかは、この彗星に違いない。
(禍々しい……!)
同じ紫色なのに、こうも違うものだろうか?
この彗星の色には、バイオレット・レアのような高貴さも、アルフェッカの瞳のような気高さもない。衣のようにまとわりつく紫の炎全体から、邪悪な笑い声が聞こえて来るようである。
「ミスター! もしかして、この彗星は、ルーナンシア星の方向から進入して来ているのでは?」
ハッとしたように、舞が尋ねた。
「その通りだ。よくわかったな、舞。」
さすがに、と、舞の相変わらずのカンの良さに感嘆しつつ、独はなおも続けた。
「計算によると、彗星の軌道はこうなる。」
続いて、パネルには、彗星の推定軌道が映し出された。その楕円軌道は、ルーナンシア星を遥かにかすめ、大きな弧を描いて、銀河系へ到達しようとしている。独の視線が、鋭く三人を見返った。
「すると、女王レムリアがルーナンシアは滅びる、と言ったことと、この彗星には、何か関係があるんだろうか?」
「うむ。俺もそう思う。速度、その他、不審な点は多々あるがな。」
剛也の言葉に、独も頷いた。
「もし、これだけの彗星の直撃を受けたら、地球などひとたまりもない。いや、至近距離を通過しただけでも、甚大な被害が発生するだろう。しかし、問題はそんなことではない。あのルーナンシアが、普通の彗星で滅びてしまうようなことは、絶対にないはずだ。レムリアがあんなメッセージを送って寄越すからには、途轍もなく重大な事件が起こったとしか思えない。あるいは、この彗星には、何かとんでもない秘密があるのかもしれない。早急に調べる必要がある。」
「そうですね。よほどのことが起こっていると考えた方がいい。」
三人は、顔を見合わせて頷き合った。
「俺は、これを防衛会議に提出して、検討してもらおうと思っている。まぁ、お偉方の決めることだからな、どういう結論になるかわからんがね。お前たちもそのつもりでいてくれよ。」
独は、やや乱れた髪をかき上げて、ニッと笑った。