愛する #とは
こんにちは。あのねです。
今回はナナホシ管弦楽団の抜錨について、自分なりに解釈していきたいと思います。
タイトルにもあり歌詞にも出てくる抜錨って聞きなれない単語ですね。
調べたところによると、「船の錨を上げて出航すること」という意味だそうです。
この曲は失恋について書かれた曲でもあるのですが、果たしてその抜錨がどういった意味で扱われているのでしょうか。
歌詞全体と共に考察していきたいと思います。
まずはこの曲の基本情報について、簡単にまとめたいと思います。
この曲は2018年6月13日に、ニコニコ動画に投稿された楽器になります。
また2022年9月2日にミリオンを達成し、ナナホシ管弦楽団として4曲目となるミリオン達成となりました。
早速1番Aメロから考察していきます。
忘れられぬものだけが 美しくはないのでしょう
忘れることばかりが 美しくはないのでしょう
悲しいことばかりが 人生ではないのでしょう
さりとて喜びとは 比べ往くでしょう
なにかイベントや出来事がある度に、記憶にずっと残り続けるものですよね。
楽しかったり、当時を思い出すだけで今でも心が弾むような気分になれる記憶もありますよね。
その逆もまた然り。
そういう負の記憶というのは、忘れたくても忘れられないことが多いものばかりですよね。
忘れられない記憶が美しいとは限らないし、たとえそれを忘れることが美徳ではないのです。
何故ならば、悲しいことばかりが人生ではないからです。
愛する人との別れは悲しく、その人のことを忘れてしまいたいと思うことがあるでしょう。
しかしその恋人と過ごした楽しかった日々を忘れることにもなるのです。
比べ往くの往くとは、元の場所に戻ることを前提に目的地に向かうことを指します。
悲しい記憶のど真ん中にいる時に、幸せだった時に戻りたいと思うのは必然でしょう。
だから、さりとて喜びとは比べ往くのです。
次にBメロです。
船よ 船よ 荒波の中で 流されずいられたでしょう
水底に根差す あなたと穿った少女時代
さよならする頃 強いられるのは抜錨
船は自分自身を指し、荒波は問題や悩みを指すと思います。
あらゆる問題もあなたがいたから乗り越えることが出来たのです。
共に乗り越えた辛い時期は、水底までに落ちた錨のように、主人公とあなたを繋ぎ止めるようになったことが分かります。
そんなあなたと別れることは、あなたとの関係を断ち切り、まるで錨を持ち上げるような気力や体力を使うのです。
サビです。
傷の数を数えて 痛みの数 指を折る
一つあまり 小指は 愛しさのぶんね
辛いこともありましょう あなたの所為もありましょう
それでも赤い糸 結わえているのでしょう
Aメロでも少し話しましたが、生きるということは楽しいことと共に辛いこともあります。
そういった辛い経験を指折り数える時に、好きな人への愛しさのぶんと表現され、余って立てられています。
辛いこともあるけど、愛しい人のことを考えると乗り越えられる時もあります。
ただその愛する人から傷つけられることもあります。
しかしそれでも、愛しいあなたを思い出すことで乗り越えらるから愛することを辞められないのです。
だから未だに小指に赤い糸が結われているのでしょう。
2番です。
底知れぬものだけに 怯えるのではないでしょう
届かぬものばかりが 妬ましくはないでしょう
優しいことばかりが 優しさではないのでしょう
さりとて赤裸々では こそばゆいでしょう
限界が無いものに怯えることってありますよね。いつまで続くんだよって思って落胆することとかしょっちゅうあります。
しかしその全てを知ってしまうことも恐ろしいと感じてしまうこともあります。
また手が届かないものを妬ましく思うこともありますが、既に持っている或いは届きそうなものでも、他の人が持っているだけでも妬ましく思ってしまうこともあります。
厳しく振舞ってくる人が、実は自分のことを思う優しさからの行動だということもあります。
人って自覚していないだけで、多くの人がないものねだりしてるんだなって思うんです。
結構複雑な心の動きや感情が交わって、生きづらいなって思うことは誰しもが一度は経験したはずです。もっと単純に考えることが出来れば、悩まず楽しく生きれるんですよ。
だけどそんな感情も赤裸々に公に出すことは、恥ずかしいし難しいしどこかこそばゆく感じるものです。
だからこそ複雑化することで、愛する人に対する関わり方を考えることができるのではないでしょうか。
Bメロです。
羽よ 羽よ 人並みを望み 人波に拒まれては
皆そこを目指す まだ葛藤があった少女時代
無辜でいた頃を 遠ざけるのは 熱病
多くの人が、一般社会に溶け込めるように社会勉強をしたりしますよね。
その中で所謂個性を殺してまで、それを目指す人もいます。
周りと同じように人並みを目指すか、個性を殺さず自分らしく生きるか、多くの人が葛藤するかと思います。
無辜とは罪のないことや人を指します。そのことから今は罪を背負っていることがわかります。
その罪とは、遠ざけるのは熱病とある通り、あなたに対して恋をしてしまい熱を上げてしまったことこそが罪なのです。
ラスサビです。
傷の数を数えて 痛みの数 指を折る
一つあまり 小指は 愛しさのぶんね
悔やむこともありましょう わたしの所為もありましょう
いつかは赤い糸 断ち切るのでしょう
花びらにささやきを 哀れみから口づけを
懐かしんではじめて 過ぎ行くのでしょう
惑うこともありましょう 誰かの所為じゃないでしょう
難しいものですね 愛するということは
前半は一番サビと被る部分があるので、少し割愛します。
恋が終わると必ず人は後悔するものです。
振られた側はあの時こうしていれば。振った側は出会わなければ。など様々。
どんなに後悔してもいつかはその関係を断ち切り、別れる運命にあるのです。
後半部分冒頭からわかるように、恋は楽しいこともあれば悲しいことも表裏一体であると表現しているのでしょう。
そういった感情になって、思い出し懐かしむことでやっと恋の終わりをさすのでしょう。
別れたばかりの時ってものすごく動揺して取り乱すことがあるでしょう。それは誰のせいでもないし、誰かのせいにする必要ないのです。
今まで長々と恋について語りましたが、総括すると恋は難しい!ということですね。
最後に小並感凄いこと言ったんですけど、これが真理だと思うんです。
というより、一筋縄ではいかないからこそ、楽しかったり悲しかったりと感情が揺れ動き、一度別れて後悔してもまた次また次と何度も恋をしてしまうんです。
恋愛と言う大海原に誰しもが彷徨い、恋人という波止場に錨を下ろすのです。
いつかまたそこから旅立つように、何度も何度も抜錨を繰り返すのでしょう。
愛するということは道のない航路を彷徨うようなものなのです。
今回はこの辺で。