『峠 最後のサムライ』ネタバレの詳しいあらすじ | アンパンマン先生の映画講座

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映画の面白さやストーリーの素晴らしさを伝えるため、感想はネタバレで、あらすじは映画を見ながらメモを取って、できるだけ正確に詳しく書いているつもりです。たまに趣味のAKB48のコンサートや握手会なども載せます。どうかご覧ください。

監督・脚本:小泉堯史  2022年  原作:司馬遼太郎『峠』(新潮文庫刊)

主な登場人物(俳優)役柄

【長岡藩】

河井継之助(役所広司)越後長岡藩の家老。

おすが(松たか子)継之助の妻。

河井代右衛門(田中泯)継之助の父。

お貞(香川京子)継之助の母。

牧野忠恭(仲代達矢)長岡藩11代藩主。

川島億次郎(榎木孝明)継之助の長名馴染み。

花輪求馬(渡辺大)長岡藩軍事掛。

山本帯刀(AKIRA)長岡藩軍事掛。継之助の補佐。

松蔵(永山絢斗)継之助につかえる。

小山良運(佐々木蔵之介)越後長岡藩の藩医。

小山正太郎(坂東龍汰)小山良運の息子。画才がある。良運の息子。

鬼頭熊次郎(櫻井勝)八丁沖を知り尽くしている。

二見虎三郎(網島郷太郎)継之助の小千谷会談に唯一同行した藩士。

萩原要人(進藤健太郎)継之助の方策に異議を唱える。

むつ(芳根京子)旅籠「枡屋」の娘。

月泉和尚(井川比佐志)濁沢村の阿弥陀寺の和尚。

老人(山本學)家を焼かれた長岡藩の民。

【官軍】

岩村精一郎(吉岡秀隆)土佐藩士。北越追討山道軍の軍監。

【江戸幕府】

徳川慶喜(東出昌大)徳川幕府第15代征夷大将軍。

 

 慶応3年(1867年)10月。二条城大広間で徳川幕府第15代征夷大将軍・徳川慶喜は家老たちへ、徳川家の政権を朝廷に返上する大政奉還を行う、と伝える。しかし、大久保利通、西郷隆盛は慶喜の首を見るまで戦う、と宣言する。そのため、新政府に恭順して倒幕派に付くか、それとも旧幕府派(佐幕派)に付くか、諸国は決断を迫られ、日本が二分される。

 (タイトル『峠 最後の侍』)

 長岡藩の中島村の兵学所ではフランス式兵制を推進し、洋式ライフル「ミニエー銃」を持った兵士が訓練をしていた。それを河井継之助と川島億次郎が見ている。川島が「家老はこの兵をどこに?」と尋ねると、継之助は「長岡藩は倒幕派、佐幕派のいずれにも付かず、武装中立を貫く。そのため長岡藩に他国を入れないための軍備強化だ」と答える。

 家で継之助は妻のおすがに髭を剃ってもらう。おすがは、依然継之助に言われた「余念を持たないように、一念を持って剃っている」と答える。忘れていた継之助は、自分の言葉に感心する。

 継之助が家を出ると、庭で小山正太郎が絵を書いていた。それを見た継之助は正太郎の画才に感心する。

 長岡城に登城した継之助は軍議で、「新政府に恭順して倒幕派につくか、それとも旧幕府派(佐幕派)につくか。どちらに付いても戦争に巻き込まれれば領民に甚大な被害が出る。スイスと言う小国は、武装中立を行っている。長岡藩は倒幕派にも佐幕派にもつかず、武装中立を行う。そのため江戸屋敷を売って、その金で横浜の外国人貿易商から、手動機関銃「ガトリング砲」を購入した。1分間に360発も撃て、1人の歩兵の15倍から16倍になる。長岡藩は敵を領内に入れない。」と話す。また、「藩主の世継ぎはイギリスへ出立する。手引する者へ前金3000両を渡した。小山良運と二人で内密に行う」とも話す。

 継之助は小山良運と会い、息子の正太郎の絵の才能を誉める。良運は「日本は倒幕派、佐幕派に分かれている。策はあるか?」と尋ねる。継之助は「策はない。大殿がこうと思う、気迫が藩を1つにする。」と答える。

 長岡藩主・牧野忠恭は城で家老たちに、「長崎藩は京都所司代に就任し、朝廷への義理がある。また、将軍徳川家慶に拝謁した恩義があり、徳川家を疎かにできない。徳川家のために、大政を挽回する」と宣言する。

 継之助が城を出ると、門で正太郎が待っていて「父が、絵の勉強を一生かかってやってみろ、と言ってくれた」と継之助に感謝する。継之助は「己の好きな事を伸ばすのが、一番大切だ。風景だけでなく、人物も描いてみなさい。面で相手の心が分かる」と励ます。

 継之助は家に帰ると妻のおすがに、芸者を上げて、酒を飲んで踊ろうと誘う。継之助は旅籠「枡屋」に行くが、女将は混んでいるため部屋の準備ができないと言う。継之助が一人で烏の掛け軸を見ていると、継之助が「嬢」と呼んでいる、幼い頃から知っている「枡屋」娘むつが来て「烏の掛け軸が好きですね」と言う。継之助は「烏は太陽に向かって飛ぶ。俺もそうしている」と言って、蝋燭の炎を凝視して見せる。むつは、「戦いはいけないと言って、戦いの準備をしている」と非難する。継之助は「戦わなければならなくなったら戦う。負けはしないが勝てないだろう」と話す。

 女将が席の準備ができたと知らせる。おすがは籠で出かける。それを見送った継之助の父・代右衛門は「息子は変わっている」、母のお貞も「自分が芸主好きだから。世継ぎの事も考えて欲しい」と言う。

 「枡屋」で継之助は芸者をあげて待っていた。やって来たおすがに芸者が酒を注ぐと、おすがは一気に飲む。継之助は三味線の伴奏で長崎のカンカン踊りを踊り、誘われたおすがも一緒に楽しそうに踊る。

 帰りの夜道、松蔵が提灯で足元を照らしながら、継之助はおすがと手を繋いで歩く。おすがは、芸者遊びが楽しかったと言う。継之助が「幕府はおしまいだ。覚悟せよ」と言うと、おすがは「嫁いだ時から覚悟は決まっています」と答える。

 人がやって来る気配がするので、継之助は松蔵に、おすがを連れて家に走れと命じる。すると、覆面をした沢山の侍が継之助を囲む。継之助は、「侍らしく顔を出して名を名乗れ」と言う。顔を出した相手は萩原要人が率いる、官軍に与するべきだと言う者達だった。継之助は「薩摩、長州は、朝廷を利用している臆病者だ」と批判する。一人の侍が継之助に斬りかかるが、継之助に川へ突き落とされる。要人が「長岡藩民を救う良策はあるのでしょうか?」と質問すると、継之助は「策はない。1つを信じて進むだけだ。」と答える。そして「屋敷に来い。もっと聞かせてやる」と言い、帰る。

 継之助が家に帰ると、父・代右衛門が刀を構えて待っており、継之助の無事を喜ぶ。

 長岡藩主・牧野忠恭は兵学所で家老たちに、「鳥羽・伏見の戦いが起こり、朝廷と幕府の戦い(戊辰戦争)が勃発した。長岡藩は、領民を安んじるため、朝廷と幕府のどちらにもつかない。他を頼まず、独立する。」と宣言する。

 継之助が家に帰ると、横浜の貿易商から購入したオルゴールが届いていた。継之助はオルゴールを鳴らすと『峠の我が家』の曲が流れる。継之助はおすがに「心が洗われる。大切にしなさい」と言って、オルゴールを挙げる。

 軍事総督に任命された継之助は籠に乗り、二見虎三郎と松蔵だけを従えて、新政府軍が本営を敷く小千谷の慈眼寺へ行く。継之助は新政府軍の軍監、土佐藩の岩村精一郎と面会する。継之助は「戦争は双方に不利益。諸藩が団結して新しい国づくりに邁進すべき」と説く。また「藩の意見が一つにまとまっていないので、しばらく待って欲しい。また、猶予を与えてくれるなら、会津藩、米沢藩などの諸藩を説得する」と懸命に主張し、嘆願書を大総督府に取り次ぐよう願い出る。

 岩松は、会津への出兵に応じず献金も収めない長岡藩を、新政府軍の敵とみなし、嘆願書を受け取ろうとしない。継之助は静かだが鬼気迫る様子で、「双方にとって戦いは避けなければなりません」と、嘆願書を大総督府に取り次ぐよう再度願い出る。血気盛んで武力衝突での解決しか頭にない岩村は「くどい、聞く必要はない。帰って戦の用意をせよ。戦場で会おう」と継之助の言葉を聴かず、立ち去る。

 玄関に戻った継之助は諦めきれず、虎三郎に再度、岩村への取次ぎを頼む。虎三郎に頼まれた部下が寝ていた岩村に、継之助が立ち去らないと告げる。岩村は「銃剣を突き付けて帰せ」と言う。入口で待っていた継之助は、兵士に銃剣を突き付けられ「己を尽くして天命を待つ」と言って、しぶしぶ帰る。

 継之助は城に帰ると家臣へ、「薩摩、長州は傲慢で、嘆願書の取次ぎを拒否した。岩村が受け取らなかった。」と報告する。そして、戦の準備をするように伝える。また、会津藩、新発田藩、米沢藩などにも使者を送るように伝える。長崎藩は「奥羽越列藩同盟」に入る。継之助は「侍とはどういうものか、知らしめるための戦いがある。」と言うと、部下も「生死を共にします。」と誓う。

 その報告を聞いた藩主・牧野忠恭は「我が命を守るより、藩を守る方が大事である。継之助の好きなようにしろ。」と継之助を支持する。

 家で継之助の父・代右衛門がおすがに「継之助は、長岡藩はどっちにも付かず、独立しようと考えていた夢が破れた。」と教える。おすがは「戦は、いけない。」と言う。おすがは、オルゴールを聴く。

 新政府軍は、長岡藩への侵攻を開始する。新政府軍約2万人の軍勢に対して同盟軍は5千人。継之助は長岡の南の要衝、榎峠の奪還作戦を画策し、開戦する。奥羽越列藩同盟軍は榎峠の奪取に成功する。また、続く朝日山の獲得にも成功する。長岡藩は榎峠を封鎖する。

 継之助は、長岡城の南側の榎峠や朝日山で新政府軍の侵攻を止めれば、西側は信濃川が守ってくれると安心していた。ところが、新政府軍は信濃川を渡り、守備が手薄な長岡城下に迫る。藩主は会津に逃れた。長岡城の町口御門前に、長岡藩鉄砲隊が並び、新政府軍歩兵との銃撃戦が始まる。さらに継之助は、自らガトリンク砲を操作して新政府軍に銃弾を浴びせるが、新政府軍を止める事が出来ない。

継之助は本丸に火を放つように命じ、城から撤退する。長岡城は落城した。

 継之助が避難していると、むつが「このありさまは何事です」と非難する。継之助は「長岡城は取り返す」と約束する。

 継之助は、八丁沖(沼地)を知り尽くしている鬼頭熊次郎を呼び、八丁堀を兵が渡って長岡城を奇襲して奪還する作戦を話す。

 継之助が村に出ると、燃えている家の前で、子供を抱いた老人が呆然とたたずんでいる。継之助はその老人に「許してくれ」と頭を下げる。

 継之助に鬼頭熊次郎は、八丁沖を渡る方法を書いた図面を持って来る。深夜、継之助は小舟に乗り、熊次郎の先導で、兵が竹竿で沼の深さを探りながら八丁沖を進む。途中で月が出ると、兵士たちは身をひそめる。

 八丁沖を渡り切った兵士達に継之助は「戦いはこの日のためにある。余念を持つな。武士とはそういう一日を感じるもの。」と鼓舞する。長岡藩の兵は新政府軍を奇襲し、長岡城を奪還する。長岡城下の町民たちは喜び、道で踊る。

 継之助は、行動を共にしている正太郎に、家に帰るように言う。そこに部下が来て、新発田藩が官軍に寝返って新町口を突破し、至急援軍が必要だと伝える。

 新町口へ向かった継之助は、左足に銃撃を受けて重傷を負い、担架で運ばれる。運ばれた継之助は、傷口を酒で消毒し、包帯を巻いただけの応急処置をしてもらう。大殿から継之助に感謝の書状が届く。

 交戦の疲労に加えて新発田藩の寝返りで戦況は悪化の一途をたどり、奪還よりわずか4日後、長岡城は再び落城する。

 小山良運の家に身を寄せていた、河井家の代右衛門とお貞とおすがは、良運に迷惑が掛かるといけないので、濁沢村・阿弥陀寺への再度の避難を決心する。

 継之助は川島億次郎に、学問の戦いの準備を進めるように頼む。億次郎は福沢諭吉の『学問のすすめ』を引用し、「リバティとライト。民の教育こそ、国の礎」と答える。

 官軍の大軍が柏崎海岸に上陸したとの連絡が入る。むつが継之助の見舞いに来る。見舞いに来たのは「嬢」だけだと継之助は喜ぶ。

 阿弥陀寺でお貞はおすがに、会津へ逃れるように言うが、おすがは長岡に残ると言う。お貞は「愛するとは、顔を見合わせる事ではなく、同じ方向を見る事だ」と話す。代右衛門は竹林で稽古をしていた。

 おすがは髪の一部を切らせ、継之助に渡すように、部下に頼む。「私は両親と共にここにいます。」と伝えると、月泉和尚は「いかなる時も、平気で生きる事。しっかり生きなさい。」と言う。おすがは「明るく逞しく生き抜いてみせます。継之助の妻として。」と話す。

 足に重傷を負った継之助は、籠に乗せられて会津領へと逃げ延びるために、八十里峠を越える。しかし、限界が来て、部下達に見送られて別れ、塩沢村の医師宅に身を寄せる。「武士は俺が死ねば最後よ」と言う。

 妻のおすがの髪が届く。おすがは継之助の髪を欲しがっていたので、松蔵に髪の一部を切らせる。大殿・牧野忠恭から牧野家に伝わる着物が届く。それを着た継之助は、松蔵に薪を燃やして自身の火葬の仕度を命じる。

 夕日に向かって烏が飛ぶ。1年に渡る戊辰戦争は、官軍の勝利に終わった。

 「形こそ 深山がくれの 朽木なれ 心は花に なさばなりなん」

(エンドクレジット)

(写真は「映画com」「公式Twitter」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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