評価 4/5 ☆☆☆☆★
2年前に予告編を見て「坂本龍馬と並び称された知られざる英雄、河井継之助」「東西軍どちらにもつかず、和平独立に挑む」と言う台詞が気になった。ところが、当初は2020年9月25日に公開予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2年近くも遅れて、やっと2022年6月17日公開された。「フォーラム山形」で鑑賞した。
私は日本史に詳しくないこともあるが、河井継之助と言う人物は全く知らなかった。戊辰戦争が始まり、江戸幕府側の「東軍」と、新政府側の「西軍」に日本国中が分かれて戦っている中、どちらに付いても戦争が起これば必ず領民に被害が出て、良い事はない。河井継之助の東西軍どちらにもつかずに和平独立に挑む、という考えは非常に立派であると思った。
現在ロシアがウクライナに侵攻し、戦争の惨状が毎日テレビで報じられている中、このような人物が諸国にいたら戦争は起こらないのにと、つくづく思った。ひょっとして当初の予定通りに公開されていたら、平和の大切さをここまで感じなかったかもしれない。公開が今年に延期され、ウクライナでの戦争の影響が間接的に日本にも及ぶ中で鑑賞したので、一層感慨深いものになっている。
継之助は和平実現のため、新政府軍が本営を敷く小千谷の慈眼寺へ直談判へと向かう。しかし、面会した新政府軍の軍監、血気盛んな土佐藩出身の岩村精一郎は、継之助の話を全く聞かず、交渉は決裂し戦争状態に入ってしまう。非常に残念なことである。
継之助は兵学所にフランス式兵制を取り入れ、洋式ライフル「ミニエー銃」を採用し、横浜にいた外国人貿易商から当時日本に3台しかない手動機関銃「ガトリング砲」を2台も購入するなど(映画では1台だけ登場)、先見の明があると感心した。また、夜間に兵を率いて八町沖を縦断して、長岡城を奪還するという奇策に出る。なかなかの策略家でもあると感心した。
継之助の絽力もむなしく、長岡藩は戦禍にまみれる。燃え盛る家の前で、赤ん坊を抱いて呆然と座っていた老人が哀れである。その映像が、砲撃されて瓦礫となったウクライナの建物や、犠牲となった市民の姿とダブって見えた。
ところで、足を負傷した継之助が悪化し、早くして亡くなったのは残念である。しかも、死ぬ前に自分の火葬の準備をさせるとはなかなか潔い。自分を「最後の侍」と評していただけのことはあると感心した。その後、長岡藩は新政府軍に占領されるのであろう。
もし、岩村が継之助の話を聞いていたら、その後の日本は変わっていたのだろうか?もし、継之助の怪我が治り、作戦の指揮を続けていたら、長岡藩はどうなっていたのだろうか?色々な事を考えてしまう。継之助の志を継いで、平和主義の人々が増えることを望む。評価は「4」である。
ところで題名の『峠』とは、戦の転機となった「榎峠」の事だろうか?それとも、峠を越えて下り坂に差しかかっている武家社会の事だろうか?原作の『峠』は読んでいないので、誰か教えと欲しい。
![](https://ssl-stat.amebame.com/pub/content/9477400408/amebapick/item/picktag_autoAd_301.png)