日本でマラリアが再流行するとは思えない。 -60ページ目

(7) 昭和18年頃の一般人が抱いていたマラリアの知識

 そこへ、前田氏が顔色を変えて戻って来た。

「あなたの看護のために、僕も出発を延期している位だ。

あなたの出発は無理ですよ。

私が、これから行って搭乗を断って来てあげましょうか。」

 なじるような言葉に、私は訳が分らない。

「一体何のことですか?」

「黒板に出ていますよ。

メナド行きの氏名の中に、ちゃんと出ていますよ。

しかし、とても駄目ですよ。

私も、今日の搭乗もまた断ってその次にした位ですから、あなたも、ゆっくりと養生をしなさい。」

 その厚い友情は、嬉しかったが、私は、もうどうしてもいられない気持であった。

「僕は、先を急ぐ身です。

我儘ですが、やらせて下さい。」

 前田氏は、諦めて、未明から起きて、力がなく身支度のできない私の荷物を纏めて、玄関まで運んでくれた。

止められるのも無理もないほど私は気は張っていても身体は、全く歩くのが難しかった。

「では、やがて、東京で再会いたします」

と、固く私達は手を握った。

↑出典:『海軍恤兵雑誌 戦線文庫 第53号』(発行所:興亜日本社。昭和1831日発行。毎月1回発行。非売品)(←海軍省恤兵係監修のもとに戦線海軍将兵慰恤のため国民の寄せられたる熱誠なる恤兵金を以て、作製、配布したもの)p 84-87の『現地特報 メナドででんぐ熱になやみ、ダバオへと飛び、新生マニラへ向ふ記 でんぐと南方飛行 大東亜一周の手紙 その5 戦線文庫主幹海軍報道班員 大島敬司』の『でんぐ熱下のメナド 川端康成様』

↑著作権の保護期間が満了しているので、転載自由とする。わかりやすくするために、表現を変えたところがある。

↑メナド:マナド(Manado)とも表記する。インドネシアのスラウェシ島北東部にある。

 ダバオ(Davao):フィリピンのミンダナオ島南部にある。

 マカッサル(Makassar):ウジュンパンダンとも表記する。インドネシアのスラウェシ島南西部にある。