(6) 昭和18年頃の一般人が抱いていたマラリアの知識
しかし、3日の朝になると、僅かに熱の下がる思いがした。
すると今度は、前よりも苦しいことを発見した。
熱で苦しめられている苦しさは、ただそれと戦うだけであったが、熱のややひいた後の苦しさは、その隙間に郷愁が猛烈な勢いで広がり、私を焦慮させるのである。
あらゆる幻が動きまわりいらいらと心を苦しめるのであった。
このままでいたならば、気違いになりそうである。
私は、どうしても早く飛行機でここを立とうと思った。
身体は、そよ吹く風にも倒れそうなのを、無理して行くと、搭乗の係りの士官は、
「おや、眼が真っ赤ですよ。
その顔色では、もう2, 3日休んでいた方が無難ですな。
明朝出発の氏名の発表は、まだ分りませんが、多分それに入っていないでしょう。
分ったら、お知らせしますが。 」
私は宿舎へ戻ると、ぶっ倒れてしまった。
苦しい息の下から、吉報の電話を待っていたが、何等のたよりもなく、夜のとばりがおりてしまった。
私の頭には、また激しい郷愁がひろがって来た。
私は明日発てないのであるから、今夜こそ発狂するであろうと思った。 |
↑出典:『海軍恤兵雑誌 戦線文庫 第53号』(発行所:興亜日本社。昭和18年3月1日発行。毎月1回発行。非売品)(←海軍省恤兵係監修のもとに戦線海軍将兵慰恤のため国民の寄せられたる熱誠なる恤兵金を以て、作製、配布したもの)p 84-87の『現地特報 メナドででんぐ熱になやみ、ダバオへと飛び、新生マニラへ向ふ記 でんぐと南方飛行 大東亜一周の手紙 その5 戦線文庫主幹海軍報道班員 大島敬司』の『でんぐ熱下のメナド 川端康成様』
↑著作権の保護期間が満了しているので、転載自由とする。わかりやすくするために、表現を変えたところがある。
↑メナド:マナド(Manado)とも表記する。インドネシアのスラウェシ島北東部にある。
ダバオ(Davao):フィリピンのミンダナオ島南部にある。
マカッサル(Makassar):ウジュンパンダンとも表記する。インドネシアのスラウェシ島南西部にある。