日本でマラリアが再流行するとは思えない。 -34ページ目

(2)明治34年頃の北ドイツ低地に、マラリアが非常に多かった。

明治34年頃のドイツに おける マラリア発生の有無の標高の 限界は

標高 400500 m である。

 このことは

本文明治34年(1901)頃のマラリアと標高の関係

http://ameblo.jp/475229/entry-10124314596.html

に記載した。

 実際、ナーエ川の東側にビンゲン・アム・ライン(Bingen am Rhein)があるが、それは、海抜89 mである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%B3

シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の州都はキールであるが、それは、標高:0 から 74.2 mである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E9%83%BD%E5%B8%82)

ハノーバーは海抜:55 mである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都は、デュッセルドルフDüsseldorf)であるが、それは、海抜:38 mである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95

ちなみに、原文には

獨乙連邦ニ於テハ僅カニ南西方ノ羅因河岸及ナリーノ低地ニ散見シ獨乙中央部ニ於テハ本病ヲ欠キ之ニ反シテ北獨乙低地ニハ非常ニ多ク殊ニシレスウィ・ホルスタイン・ハンノーヴェル・アルデンブルヒ・ヴィストピァレン及羅因低地等ハ其主ナル部分ナリ

と書いてあった。ただし、下線部をそのまま入力するのは不可能であったので、そのへんは若干、表記を変えた。