フライドチキンと海のおと。 -40ページ目

しろべが

何年も前に亡くなってしまった親戚のおじさん。
徳島県出身なのだが、
彼の少年時代、つまり今から六十年ほど前に、
局地的ブームになった話である。


山に妖怪が住んでいるらしいのだ。
名前は「しろべが」。
ひょろひょろの体型で、
首から下は裸で真っ白。
なぜ首から下だけ真っ白なのかというと、
首から上を見た人がいないからだと。
目が合うと、手に持った鎌のような武器で、
一瞬のうちに殺されてしまうそうだ。


黄昏時に山道を歩いていると、
いつの間にか一定のペースでついてくる足音がある。
そうっと振り返ってみると、白い足が見える。
それがしろべがなのだ。
そうなるともう前を向き、
人家が見えるまで歩き続けるしかない。
しかし、その道行きが少々やっかいなのだ。
しろべがが話しかけてくるのである。
しかも質問をしてくる。
注意点として、しろべがの質問に正しく答えてはいけない。
とんちんかんに答えなくてはいけないのだ。


「今何時だ?」
「それよりもそばが食べたいなあ」
「おまえ一人か?」
「やっぱり山歩きに草履は向かないねえ」


といった感じで。
うっかり正確に答えてしまうと、
やはり斬り殺される。すごい話だ。
何がすごいって、これは六十年前の徳島の寒村での話しなのだ。
テレビもラジオももちろんなければ、
子ども達のための娯楽雑誌などもない。
その村に、外部から人間が訪れることもほとんどなかったはずなのだ。
にもかかわらず、その妖怪話の性質たるや、
まるっきり現代の都市伝説そのものだ。
カシマさんやテケテケ、口裂け女などの話となんら遜色ない。
そこんとこがすごく面白い。
しろべが、という意味不明の名前も恐ろしくて良い。


恐怖というのはいつも未知に対する畏怖と、
憧れにも似た好奇心から生まれるわけであり、
それに時代も環境も関係ないのだなあ、と思う。
水木しげる大先生は「妖怪千体説」を説いておられるが、
このしろべがはどの妖怪にカテゴライズされるのかなあ。

ううんおもしろーい。

たまらん。

愛しいよ、万年筆

しほりさん、という美人店員がいる文具屋を久しぶりに訪れた。
面白いペンの出物はなかったが、
しほりさんから面白い話はいくつか聞けた。


吉行淳之介が、ズボンの膝の破れ目に万年筆をぶら下げて歩いていたとか。


“消せるペン”が今すごく進化しているとか。


百円ショップの万年筆の出来が良すぎてペンが売れないとか。


なるほど、と思いながら、
さっそくダイソーで百円万年筆を買った。
これが本当によくできていてまいった。
デザインも悪くない。
これじゃあペンも売れなくなるよなあ。



でも本棚から椎名誠の『万年筆いのち』とか、
夏目漱石の『余と万年筆』とか、
開高健の『生物としての静物』を引っ張り出して読み、
やっぱり「文章を書く時はこれじゃないと!」
という勝負万年筆が一本欲しいな、と思うのだ。
いや、持ってるといえば持ってるんだけど。


万年筆に一回慣れてしまうと、
ボールペンの滑りの悪さにいらいらしてしまう。
思考が中断されてしまうのだ。
ぱぱぱ、と閃いては素早く消えてゆく花火のような言葉を捕まえるためにも、
飛ぶように書くことができる万年筆は必要なのだ。
いい文章が書けて、それにいくばくかの価値がつこうものなら、
もうその万年筆を片時も離せなくなる。
いつも持ち歩いてしまう。
でもそうして持ち歩きすぎて、
以前僕は愛用の万年筆を一本失くしたのだけれど。
その時はヘコみすぎて晩御飯のおかわりをやめた。



愛しすぎるのも考えものだ。
でもまたパーカーのかわいい万年筆を見つけてしまい、
ぐぐぐ、と惹き付けられてゆくのを必死でこらえている。


千里のバカ達 その5

「おう。早かったやんけ」


とコジロー。


「これでカンベンしたってぇや」


僕はおずおずとハムを差し出した。
コジローはハムをひったくった。


「ふーん。まあええやろ。ほれ」


コジローはYの背中を蹴って僕達の方へ押しやった。
Yはふらふら、と僕達にすがりついた。


「ありがとう。ほんまありがとう」


Yは震えていた。
僕は倒れたままになっていたYの自転車を起こしてやった。


「じゃあ」
「すんませんした」


僕達はきびすを返した。
コジローは僕達に興味を無くし、ハムをじっと見ている。


「おい」


不意にコジローが大きな声を出した。
僕達はびく、と固まった。
しまった、やっぱりクッキー詰め合わせ(缶入り)の方を選ぶべきやったんか!? 
だって腹にたまるもんてゆうたから……。


「……何?」


僕達の問いに、コジローは眉根を寄せて言った。



「これ、どないして食うたらええねん?」


予想だにしなかった質問に、僕達はたじろいだ。


「……さあ……厚く切って軽く塩コショウしてステーキにするとか……」


スネ夫が、いやNが答えた。


「そうか。やっぱりそうやろな。
 いや、こんなすごいもん丸ごと見たの初めてやからさ。
 食い方がようわからへんかってん」


なぜかそこでコジローは、照れたような人懐こい笑顔を見せた。
僕達はそんなコジローの笑顔に少し戸惑い、何も言えなくなってしまった。
Yだけが、
「俺の身柄はハム一つと引き換え……俺の価値って一体……」
といつまでもぶつぶつ呟いていた。






当時僕が住んでいた団地は二十年ほど前に立て替えられて、今はもうない。
Yが住んでいた団地やNが住んでいた立派な一軒家は残っているが、
YやN当人達はもちろんもうそこには住んでいない。
コジローとデッドヒートを繰り広げた道も残っているが、
コジローが今どこで何をしているかなんてことも誰も知らない。
四年生までおねしょ癖が治らなかったYは今や国際弁護士となり、
世界中を飛び回っているという。
百匹の蛾を孵化させたやつは、
やはりそのねちっこさがプラスに作用して、今製紙工場で工場長にまで出世している。
猫の交尾を見ていたやつは、
酒の席でのささいな口論がきっかけで相手を包丁で刺し、今服役中だ。
蟻の巣の出口を固めていたやつは、
十七歳の誕生日にバイク事故で逝ってしまった。



知っているのはそれくらいだ。
あんなに熱く激しい、
宝石のような時間をともに過ごした仲間は時間の流れとともにばらばらに解体され、
それぞれの道を歩んでいる。
僕はと言えば、忙しく働きながらもこうして楽しく文章を書いて生きている。
僕に出来るのは、ただこうしてあの頃の宝石のような時間の一部を切り取り、

『少年時代』とラベリングされたアルバムに貼り付けることくらいだ。




さようなら、千里のバカ達。
もう二度と会うことはないだろう。

千里のバカ達 その4

Yが人質に取られたら、僕達も止まるしかない。
僕達はあきらめて自転車を止め、

コジローの方へ歩み寄った。
コジローは白目を剥いて舌をだらりと垂らしているYの首根っこを持ってずるずると引きずり、
僕達の前に立った。
息一つ乱れていなかった。驚異的な身体能力だ。


「つかまえたでぇ。ボケども」
「……ごめん、コジロー。そいつ、返してくれ」


僕はふて腐れながらも一応頭を下げた。
コジローは失神しているYをちら、と一瞥し、


「タダでは返せんなぁ」


と、口元に余裕たっぷりの微笑をたたえて言った。


「何が望みや。金か」


友人のNが言った。こいつは社長の息子だ。
スネ夫のように親父の金持ち自慢をする少しイヤなところはあるのだが、
金品で解決を迫られるケースにおいて大変役に立つ男だ。


「そうやな……食い物や」


コジローはこともなげに言った。


「……食い物……」
「そうや。なんか腹にたまる食い物持って来い。
 この辺はもうお前らのナワバリやろ。三十分待ったるわ。
 三十分過ぎても現れへんかったら、こいつの肩ぁ外すぞ」


僕達はぞっとした。
さっきコジローの手腕を見たばかりだ。
足だけではなく、腕にも自信があるようだ。
今思い出してもなんてやつだ。
小学生にして、まるっきりチンピラの口調だ。

いや、「何が望みや。金か」というNもかなりのもんだけれど。



とりあえず僕達二人はNの家に行き、冷蔵庫を漁った。
そして
「これやったらアイツも満足するやろ」
と言いながら、お中元で贈られてきたと思しき真空パックの高級ハムの固まりを手に、
コジローが待つ場所へと向かった。
Yはとっくに意識を取り戻し、

コジローの足元でパンツ一丁で正座をさせられていた。
そして僕達の姿を認めるや否や、
イエス・キリストの像を前にした敬虔なクリスチャンのような、
すがるような目を向けた。
<つづく>

千里のバカ達 その3

その時は僕を含めて三人いた。
コジローの家も団地だったが、
彼が住んでいる辺りは特に荒んで見えた。
コジローはいつも同じ服を着ていて、

ぼろぼろの運動靴を履いていた。
そしていつも饐えたような匂いを振りまいていた。
そんなコジローの家の前に行って叫ぶのだ。


「おーいコジロー。××××××ー!」
「お前のおとん、××××××なんやろー?」


二十数年前の子供は世紀末覇者ラオウか、
はたまたモンキー・D・ルフィのように怖いもの知らずだ。
今では放送も執筆もできないようなことを日常会話的に余裕で口走る。


「んじゃコラぁ!」


勢いよくドアが開き、コジローが玄関から飛び出す。裸足だ。


「わーい」


とばかりに僕達は自転車のペダルに全体重を乗せ、
興奮絶頂ぎみでこぐ。猛こぎ、というやつだ。


その時点での僕達とコジローの距離、およそ30メートル。
猛然とコジローはダッシュするが、

僕達自転車チームとの距離は50メートルに開いた。
もう絶対に追いつけない、はずである。
しかし、だ。ここからが『ハヤテのコジロー』の本領発揮である。


「おおおおおおおおおおおおおおん」

唸り声を上げながら、コジローのスピードは上がってゆく。
後半50メートルを過ぎるとぐん、ぐん、ぐん、ぐん、
という感じで急にスピードアップする様は、
あたかも『ビートたけしのスポーツ大将』の短距離走人形・カール君のようだ。
コジローは走れば走るほど加速していくのだ。
今では正確なデータを算出するすべもないが、
おそらく最速時は100メートル11秒フラットくらいは出ていたと思う。
まさにつむじ風。


僕達はあせった。
自転車をこいでもこいでも、

コジローとの距離は開くどころかどんどん狭まってゆく。
 その後、300メートルくらいはデッドヒートが続いた。


「おおおおおおおおおおおおおおん」


なおも唸り声を上げながらコジローは走り続け、

やがて最後尾を走っている友人Yに追いついた。


「おおおおおん」
「ぎゃああああ」


コジローは手負いのモモンガのように飛翔してYの首ったまにかじりつき、
そのままアントニオ・ホドリコ・ノゲイラも舌を巻く鮮やかなチョークスリーパーでYをあっさりと絞め落とした。

倒されたY自慢の最新型自転車の後輪だけが、

からからから、とむなしく空回りを続けていた。
<つづく>