恵比寿さま、大黒さま
佳いものがあれば手元に置いておきたい、そう思って探していたもののひとつが木彫の恵比寿大黒。
出会えました。しかもほぼ自分の中では理想的と言えるものに。兎に角、表情が最高なんです。
木彫恵比寿大黒。江戸時代の作。産地は新潟とのこと。高さは20センチ少々あります。
大黒さま。お顔の横に見えるのは髪ではなく耳なのでしょうか。
大黒さんの俵の後ろには「甲子」と書かれています。つまり1804年に刻されたということを示しています。
恵比寿さまもまた立派な福耳です。こちらも背側に墨書きがされていますが判読できませんでした。
200年も前から代わる代わる彼らに幸せを託す人の姿があることを思うと、何とも微笑ましい心持になります。
つい伸びる食指
久々に立ち寄った近所のリサイクルショップ。
ガラスケースに古伊万里の蕎麦猪口が20-30個まとまって出ていました。江戸時代につくられたものが大半で、コンディションの良いものが比較的多かったように思います。恐らくコレクターの方の処分品なんでしょう。出どころの詳細はお店の方には聞きませんでしたが...
というのもこれらが作られていた当時、こういった磁器が長野の庶民の生活の中で使われていたとは考えにくい理由がいくつかあるからです。まずは、そもそも庶民が気安く買えるような安価なものでは無かったということ。産地から遠く離れた長野県では尚更ですね。佐賀県で作られた品物は北前船で新潟へ、更に長野となると街道に沿って長い道のりを陸路輸送しなければなりません。当然、現代のように大量に荷物を積んで、安全かつ迅速に輸送することはできなかったはずですから...商売としても成り立たない部分があまりにも多い気がします。
長野県では伊万里焼にみられるような磁質の陶土は産出されませんが、古くから各所に窯場は存在し、陶質施釉の生活雑器も焼かれており、庶民の生活を支えていたようです。
とまぁ、余計な話はこれくらいにして、佳いものがあったかどうかというところですが.
ありました、ありました。ただし、これ一つだけ?
18世紀前半くらいに作られたと思われる「初期」。燕子花文。生掛けのようにぼてっとした釉、分厚い上げ底でずっしり重いのが特徴です。
写真のように、底部の縁の部分が薄紅色をしているのもよく取り上げられる特徴のひとつです。初期と言っても「初期伊万里」と呼ばれるものとは異なります。「猪口」と呼ばれるもの自体の器形が登場するのは「初期伊万里」が作られていた頃から半世紀くらい後になるわけですから。
それから、「蕎麦猪口」という名称は実は昭和初期ころから登場したものなのだとか。現在のように切り分けられた蕎麦が食べられるようになったのは17世紀前半と言われていますが、その頃は庶民が安価で購入できるような磁製の生活雑器など無く、木製の椀が使われていたようです。このような器形のものはあくまでも「猪口」ということで、元々は煎茶器や酒器、転じて小料理を盛り付ける向付け、そしてたまたま蕎麦を食べる器として使い勝手が良かったから蕎麦猪口というように使い道が拡張していったとのことです。ですから「蕎麦猪口」というのは「猪口」、あるいは「向付け」なのです。
もう一個買ってしまった
古伊万里染付松文猪口。見込みは昆虫文(蝶)。時代は上のものより下りますが、江戸中期の作だと思います。悪くは無いのですが、正直これは買わなくっても良かったなと、後悔。何気に安くは無かったし...
おまけ
交差草文。これも江戸中期。これは数年前に購入。一見ごくごくシンプルに見えるけど、ここに凝縮されているもののレベルの高さに驚嘆せずにはいられない。














