日本手話で授業を」届かなかった子どもの思い 札幌地裁が請求棄却 | 前山和繁Blog

前山和繁Blog

てきとうな読書記録その他。勝手にどうぞ。引用などは作法を守っているのであれば、ご自由にどうぞ。

このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。

 

日本手話で授業を」届かなかった子どもの思い 札幌地裁が請求棄却

 

 

 

 

 

2024年5月24日にも触れたが、重要な問題だから今回も取り上げる。

 

一部記事を引用すると

 

「女子生徒が札聾小学部5年の頃、それまで授業で使われていた日本手話が徐々に授業から消え、学校で言葉が通じなくなったストレスから、生徒は登校ができなくなった。」

 

という。この女子生徒にとって日本手話は第一言語、つまり母語である。しかし、聴覚障害者に教えるのが専門の学校のはずの聾学校に日本手話を習得した教員の数が足りなくなり、日本語対応手話という日本手話とは異質の文法体系を有する言語でしか授業をしてもらえなくなり、原告の生徒は半年間登校できなくなったという。

 

裁判官等の司法の側が日本手話と日本語対応手話とは別言語であることや第一言語と第二言語習得のプロセスは違うということを飲み込んでいないというのか意識すらしていない可能性がある。

 

聾学校の出身の人々の大学進学率の推移はどうなっているのだろうか、と今気づいたが私には確かめ方がわからない。

 

政府が財政政策の一つとして、日本の大学を全般的に拡充しない限り聾学校の教育の水準も危うくなるということである。

 

以前から何度も書いているようにASD研究であるなら、NHSのある英国には英国王立精神医学会があったから1928年生まれのローナ・ウィングや1941年生まれのウタ・フリスなどがASD研究の水準を引き上げ、英国は公的保険のない米国よりもASD研究の水準が一段高いのである。

 

つまり時折見かける日本の国民皆保険の見直しなどしてしまったら、日本国内である程度の水準に到達している分野の研究が進行しづらくなるかもしれない。

 

文部科学省の予算にしても1年あたり5兆円から10兆円なり15兆円なりに増やし、医療機関とも連携し合えれば、聴覚障害者の言語習得プロセスの研究も一段進行するだろう。それから聴覚障害者向けの授業の映像媒体や、歴史的な価値のある文書を日本手話に翻訳し映像媒体にし蓄積することも進行させられるはず。

 

今回の裁判の判決は、さほどの理はなさそう。無理解が差別を生み出すような困った場面であった。普段、何らかの社会的弱者を気持ちだけでも支えたいという文化人がいるなら大々的に報じるようにメディアに要請し、その中で発言もしてほしいが、私のこんな記事などに何の影響力もない。