20240519事件直前に友人の誕生日を祝う 20歳男性が海に投げ入れられ死亡  | 前山和繁Blog

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このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。

事件直前に友人の誕生日を祝う 20歳男性が海に投げ入れられ死亡 容疑者2人との間にトラブルなし=静岡・焼津市

 

 

 

これに気づいたのは私くらいしかいないこと。昔、中島らもの本に書いてあったが、1985年に阪神が優勝した時に阪神ファンが道頓堀川に飛び込んで亡くなったという出来事があった。

 

後になって私なりに解釈してみると、もしかしたら野球賭博か何かのお金の問題を抱えていた人が阪神ファンの格好をさせられて道頓堀川に飛び込まされた、という可能性もありそうな気がする。しかし阪神ファンの格好をした人が道頓堀に飛び込んだ、という事実のみを聞かされてしまうと大抵の人々は冗談を聞かされているという印象を超えた解釈などする気が失せてしまう。

 

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焼津で20歳の男性が海に入れられて死亡したという事件は当事者たちからの野次馬的な人を笑わせようという意図を感じるが、死亡した人自身が笑うことはないのだから、何らかの理由が伏せられているかもしれない。笑わせようという意図に釣られている人々が多いのが気になる。

 

野次馬に対して面白がらせるような演出をしさえすれば刑が軽くなると意図して何かしてくる模倣犯が頻繁に出現しても困るから、適正な処理をしてほしい。もし日本人が米国に行って野次馬を面白がらせる意図で演出をしながら米国の法に触れるような挙動をしたとしたら、いくら面白い演出をしていたとしても、米国の法廷で刑が軽くなるなどということはない。しかし日本でなら誤魔化せるというつもりの人々がいる。

 

当事者たちの医学的な診断に逸脱がないなら、意図があってやっているはずだから、当事者たちの意図を見逃してはならない。医学的な問題の有無についても診断の確認すらできない人々が勝手を言い出すのは真相解明の妨害にしかならない。

 

日本において何らかの犯罪行為に対して刑が軽いのは日本社会が無数にある日本人の世間がある中で世間の人々からの視線を気にしなければならないからである。世間から村八分にされるということは、それだけでかなりの社会的な制裁になるから事を起こした人への刑法がさほど重く科されないという日本に特有の背景がある。しかし、若い世代の日本人やあるいは移民の人々は日本人の世間の人々の視線などさほど気にしていないかもしれないから、犯罪行為をした人々の社会的な扱いというのは難しい。これは正解がない問題で政治的な妥協点を探っていくしかない。

 

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実質賃金についてはエネルギー消費量と相関性がある。イタリアの名目成長と実質成長との乖離を見れば、ほぼ推測できるはず。

 

米国が近年コストプッシュインフレであるのも米国内の原油掘削リグの稼働率が上昇せずエネルギー消費量が増えていないからである。

 

もし日本でバス会社、タクシー会社、運送会社に対して従業員を5%増加させたら政府からその分の人件費を補助金として出すという施策をしたとしても日本国内のエネルギー消費量を増やせないなら実質賃金は上昇せず生産性も増加しない。