20230103なぜ日本人はSNSで他者をバッシングし続けるのか...「日本人が世界一イジワル | 前山和繁Blog

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このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。

なぜ日本人はSNSで他者をバッシングし続けるのか...「日本人が世界一イジワルな理由」“強い不安遺伝子”と“正義中毒に弱い”という特徴がヤバすぎる

 

 

 

昨日の続き。日本人は世界一イジワル、という言葉を記事の趣旨に合わせて言い換えるなら、日本人は世界一、損得勘定が苦手となる。

 

意地悪という言葉が使われていると日本人としては否定したくなるから、日本人でも受け入れられる表現に言い換えをするなら損得勘定が苦手とでもするしかなくなる。

 

米国人は昔から損得勘定に敏感な人々である。なぜかというなら、1804生まれ1864年没の作家にナサニエル・ホーソーンがいる。そして「グレイト・ストーン・フェイス」という作品を書いている。作中にはギャザーゴールドというとてつもない大富豪が登場してくる。米国人は、おそらく独立以前から損得勘定というものを気にせずに生きることができない人々であった。しかし、子供でも分かることとして損得勘定が全てではないという教訓の物語でもある。

 

昔から米国人は損得勘定を意識しながら生きなければならかった、しかし、それだけではないという感覚も同時に持っていた。

 

そして日本人は、私はかなり昔に書いたが、お中元などを個々の世間の内部に渡すときに、つまらないものですが、と必ず言わなければならない。そうすればどんな相手でも必ず首を縦に振ってくれるからである。日本人は世間の人の首を縦に振らせるという目的で言葉を選ぶしかないのである。損得勘定ではなく自分が損をしてでも相手の首を縦に振らせなければならない、というのが日本の多くある世間のしきたりなのである。厄介なことに日本人は法でないしきたりを守るために損をしても受け入れるしかないという感覚を持ちながら生きている。

 

日本の教育制度に話題になるが、私は昔から工業高校は廃止にして、代わりに高等専門学校をいくらか拡充したらどうか、そのとき廃止した工業高校を高等専門学校に改修できるところはしてもいいだろう。というふうに書いている。

 

なるべく普通高校の比率をできるだけ高くした方が望ましいという書き方をしている。工業高校がなぜ残っているのかというと教員の再就職先を政府が見つけなければならないかもしれないから無理という解釈もしている。

 

高度成長期のときには日本はエネルギー供給速度の増加率が高かった。しかし2005年以降はエネルギー供給は下降し始めいまだに回復してこない。そんな状況下で工業高校を維持したところで卒業生が一人前の所得を獲得できる確率は、高度成長期の時よりも下がっている。

 

私はこういった事実を観察し、工業高校はエネルギー供給が顕著に上向いている状況でない限り卒業した人々は労働市場内で不利になりやすいと言うしかない。これは誰を非難したいというのではなく事実を観察したらそう言うしかないのである。

 

2024年時点で、ある程度の年齢の工業高校卒の人々にとってもこれからの若い人々の中に工業高校卒の人がいなくなれば労働市場内で競争相手が減るということでもあるから工業高校は無くなった方が望ましい。

 

それならなるべく普通高校を拡充した方が今、生きている日本の子供たちにとって損をしにくいはずだが、そういった意見はさほど出現せず、普通高校に進学できない子どもが出現しても構わないという前提を取り下げない人々が出てくる。

 

損得勘定ができない人々が、教育制度や消費税や相続税等の税制度や在日米軍基地といった政治の問題について意地を張って何事か言ってくるのが日本なのであった。

 

高校無償化にしても所得制限を撤廃しても誰も損をしないのに所得制限を撤廃してほしくないと頑張る人々がいる。これも損得勘定ができない人々、言い換えれば意地悪な人々。

 

地震等大災害対策の国債発行をしないでほしいと頑張る高齢者も日本人のうちの高齢者の利得にしか興味のない人々。

 

https://www.enecho.meti.go.jp/statistics/energy_consumption/ec001/