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『プルードン・セレクション』河野健二(編)
プルードンは「財産は盗みである」と考えていた。
所有概念そのもの自体を突き詰めて考えていた。そして政府のないアナーキズムの社会の可能性を考えた先駆者である。
所有についてはプルードン自身自己矛盾に陥っている場面もあるようですが、非常に難しい問題ですので自己矛盾に陥ることそのもの自体は、問題ともいえない。
プルードンは私有制は強者による弱者からの搾取であり、共有制は弱者による強者の搾取である。とも考えていた。
だから財産の共有化は否定していたようだ。
人々は政府がなくとも生きていけると考えて著作を発表していた。
プルードンは人々が契約によって関係を成立させることを重視する。
国家がなくても個人が社会の中に生きていく可能性を考えたのですが、理解されてはいなかったのでしょうね。
本の内容からいくらか離れて、私の感想ですが最近、話題に上る新自由主義という思想は国家がある限り、意味を成さないのではないかとも考えた。
個人が国家の内部に住み国家を肯定しながらでは、新自由主義は有効性を持たないのだろう。
国家そのものが消え去れば新自由主義は有効でしょうけどもね。
国家を持たない民族には新自由主義は有効かもしれない。
うまく書けないですが、プルードンは誤解されている。
『学校が自由になる日』で宮台真司がプルードンは国家をつぶして、その替わりの機能を中間集団に委譲しようとした、という意味の意見を言っていましたが、どうやらその意見は間違いですね。
今の日本では良い悪い以前に新自由主義は理解されていないのでしょうね。
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