どうしてそんな、
人を傷つけられるの
どうしてそんな、
冷たい態度をとれるの
どうしてそんな、
酷い言葉を吐けるの
どうして、そんなことができるの
同じ人間なのに
どうしてそんな、
人をモノみたいに
心がないみたいに
まるでその人が、何を言われても
何も感じないかのように
振舞えるの
どうして、そんなことができるの
そんな風に、深く傷ついて
絶望したことが何度かあって
まっすぐにぶつけられる、
悪意、嫌味、冷酷な言葉と態度。
私はそういうものが苦手だった。(今も)
自分が傷つく
というのもそうだけど、
理解できなくて。
どうしてだろう、って。
あるとき、ふっと分かった。
ああそうか、あの人達は、
自分が “傷つけられた”
と感じたんだ。
もしくは、“拒絶された”、
“攻撃された”と。
だからあんなに、
人を傷つけることを
厭わないのか。
自己防衛といえば
聞こえはいいけれど・・・
でもそれは、その人達が
「その時の相手によって」
傷つけられたと
感じているだけであって
本当は、
“すでに傷ついていた”が正しい。
本当は、すでにそこに傷が「あって」
意図せずそこに触れられて、
い゛っ!痛いじゃないか!!
っていう話。
だから、どちらも、悪くない。
「傷つけた側」「傷つけられた側」が
いるわけじゃない。
「(すでに)傷ついている人がいる」。
それだけ。以上、なのだ。
でも、だからといって
そういう傷だらけの、
地雷爆弾だらけの人と
一緒にいるかどうか、は
自分で選べる。
そう。自由、なんだ。
本当に好きなら、一緒に居たらいい。
癒したい、と思うなら、癒したらいい。
でも、大概にして、
癒したい、と感じる人というのは、
「自分が癒されたい人」だ。
誰よりも「自分が傷ついている人」。
それだけは、覚えておいた方がいい。
沼に はまらなくなるから。
だから結局は、自分が、
傷ついた世界の住人でなくなる方が
早いのかもしれない。
![赤薔薇](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/197.png)
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