ー 空手を始める人のために ー 福島県郡山市の空手先生奮闘記 -3054ページ目

試合 と 死合い 2

誰にでもできる・堤下空手教室



昔の選手と今の選手はどちらが強いか?


という話題はいつの世でも、野球や相撲等の他競技においても論議されています。




空手の世界においては現代の選手は昔の選手と比べて


身体も大きく、


パワーもあり、


テクニックもあります。



試合数も多く競技慣れをしています。




競技として


昔の選手と今の選手が対決をしたら、


今の選手のほうが強いだろうなとも思います。





現代の空手界は世代交代がだんだんと進み、



少年部のときからの長いキャリアを誇る選手が
全日本等の上位に名を連ね始まって来ています。




彼等は若年にしながら何百試合というキャリアと高レベルなテクニックを有しています。




その卓越したキャリアとテクニックそしと勢いで


「極真空手では少年部上がりは大成しない」



と言われたジンクスを既に打ち破っています。



彼等のような次の世代が伸び上がってくることは、私もとても頼もしく嬉しく思います。





が………





派閥に関係なく彼等の試合と昔の選手の試合を見比べると彼等の試合はとても淡泊に感じられてしまうのです。



今の選手は再延長までの7分間をフルに戦い抜いてもガス欠しないほどに、鍛え込まれています。



ディフェンス能力も優れ、多彩なコンビネーションを駆使します。




だけど見ていてどこか「脆さ」を感じてしまうことも否めません。


負けるときはあっさりと負けてしまうような……




その原因の一つにあるのが前回にお話した「覚悟」に起因するものなのではないかと推察します。






彼等に「覚悟」がないわけではなく、「覚悟」の質が違うのでは?ということです。


試合 と 死合い



彼等の世代は最初から空手を習い事の一環として、親に勧められて空手を学び始めています。



彼等自身にモチベーションがあって



「絶対に空手をやりたい」


「絶対に極真じゃなくては嫌だ!」



という想いで始めた人はほとんどいないのではないでしょうか?



そして




そういう状況の中で始めた空手は……



彼等の中ではやはり



「競技」であり「試合」



なのではないでしょうか…


ですから彼等の「覚悟」とは、


「競技として骨が折れても頑張る!」


とか、


「試合には絶対に何があっても負けないぞ!」



という質のものなのでしょう。

(これはこれで充分すごいことですが…)





また………




この「覚悟」も空手修業の過程で


各指導者から授けられたり、

教育されたものなのかとも思うのです。






もし仮にそうであるならば





昔の選手が「魂の渇き」から、



自らの想いと認識により「死」を

バックボーンとした「覚悟」とは

比べるべくもないのではないかと思えてしまいます。




昔の選手であれば


「死んでも勝つ、もし負けても
腕の一本 脚の一本は貰って逝く」



ということを言葉にはしなくても闘いの中で表現できるという感じでしょうか……




あくまで仮にの話ですが……




そういう部分の差が


「第一回世界大会代表選手団」


増田章選手、数見肇選手



等の過去の選手に感じられたような



「覚悟」



とは違うのかな~という感じがしてしまいます。




そういう類いの「覚悟」をこれからの若手選手が身につけたなら、また強い日本が復活するのではないかな~と微かに期待をしています。




各派閥の世界大会が来年に迫っています。


全ての極真の名を有する世界大会で日本人が優勝してくれることを願っています。

押忍




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試合 と 死合い

誰にでもできる・堤下空手教室



おはようございます。


今日は休日ですね。

皆さんはどのように一日を過ごされますでしょうか?

ヽ(・∀・。)ノ



私はもうすぐウェイトトレーニングをやりに出掛けてきます。


皆さんも良い一日になることを祈っています!


ォス(*^_^*)/





昔は大会などの試合を競技と認識している道場生はとても少なかったと思います。


そのために試合とは

それぞれがイメージする実戦の場のシュミレーション的意味合いが強かったと思います。





それはどういうことか?






試合自体を



「生死を賭けた勝負の場であるという認識」



で捉えるということです。




試合に負ける = 「死」




であるという捉え方をする人が非常に多く




試合自体が非常に重いものでした。





現在のように年間試合数が多く、


試合をそのまんまの姿



「競技」



として捉えている人達からしたら、

たかが試合で大袈裟なと思う人もいるかもしれません…………







人はイメージする力を持ってます。




このイメージをする能力を上手に活用することで実際に何かをしていなくても、




実際にそれをしたときと同等の類似現象を生理的や心理的に生み出すことができるということです。






例えば梅干しを食べたというイメージをより具体的にすることができる人は、


その酸っぱい感じを思い出して、


酸味が口の中に広がり口内には唾液が充満します。






テレビなどで体中に針を刺すような衝撃的な映像を観ると、

自分は実際に刺されているわけではないのにその痛みやその感覚を自分の心でイメージをして共感し、


痛みを共有したりします。





それ等と同じように






試合という競技に



「死」



という人間にとって

もっとも重要なイメージを投影することで





安全なルールで守られた競技を



生死の勝負の域にまで引き上げるという行為は、



非常に高度なメンタルコントロールではないのかなと私は感じます。





そして




実際にはルールのある「試合」を「死合い」と仮定することで得られるもの………





それは「覚悟」です。






戦場では怪我をしたから


試合終了!みたいなことはありません。





私が怪我してるからと

敵が私を攻撃することを辞めてはくれません。




もし死ぬかもしれないという苛酷な状況のなかならば


腕を切り落とされようと



どんな重傷を負っても



生き延びようと最期まで戦い抜くために頑張るでしょう。






実際にそういう認識で試合に臨まれている空手家達にとっては、



負けることは 「死」 であるという認識のもとに


全てを賭けて稽古を重ねてきてますから、





試合で負けることは


自分のこれまでの全てを賭けて


稽古を重ねてきた時間から、


全人格までを否定されるというくらいに大きなこと……



即ちアイデンティティーの「死」を意味しています。




なので




そういう認識で試合に臨まれた選手は、どういう状況になっても絶対に諦めません。



諦めるということは「死ぬ」ことだからです。




ですからそういう「覚悟」を持って試合に臨んでいる選手の闘いには、



観ている観客の人達も



「魂を揺さ振られるような」


感動を受けたのだと思います。




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福島県内の空手事情

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福島県には空手……それも極真関係の道場がかなり多いです。


私が知るだけでも最低7派閥の道場があります。



知らない人のために


極真会館は創始者の大山倍達総裁が亡くなられた後に後継者争いで分裂をしています。



そのバラバラになったうちの7団体が福島県にあるので、7団体が福島県内の到るところに道場を開設していますから、
県内はすごいことになっています。




オオイナ( ̄▽ ̄;)




昔は県南と県北の二つしかなく、道場開設してよい区域が線引きしてありましたので、ひとつの道場に沢山の道場生がいたものですが、




現在は7団体………




福島県内での空手人口は何倍にも膨れ上がっているはずなのに、各道場の生徒数とくに大人の数は減っているという不思議な減少が起きております。




それでも県内での空手人口が増えているということは、空手が市民権を獲得することに繋がって行きますからとても嬉しいことだと思います。



私の道場も他の先生方の足を引っ張らないように頑張っていきたいと思います。



\(`・∀・´)ガンバロ





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