試合 と 死合い
誰にでもできる・堤下空手教室
おはようございます。
今日は休日ですね。
皆さんはどのように一日を過ごされますでしょうか?
ヽ(・∀・。)ノ
私はもうすぐウェイトトレーニングをやりに出掛けてきます。
皆さんも良い一日になることを祈っています!
ォス(*^_^*)/
昔は大会などの試合を競技と認識している道場生はとても少なかったと思います。
そのために試合とは
それぞれがイメージする実戦の場のシュミレーション的意味合いが強かったと思います。
それはどういうことか?
試合自体を
「生死を賭けた勝負の場であるという認識」
で捉えるということです。
試合に負ける = 「死」
であるという捉え方をする人が非常に多く
試合自体が非常に重いものでした。
現在のように年間試合数が多く、
試合をそのまんまの姿
「競技」
として捉えている人達からしたら、
たかが試合で大袈裟なと思う人もいるかもしれません…………
人はイメージする力を持ってます。
このイメージをする能力を上手に活用することで実際に何かをしていなくても、
実際にそれをしたときと同等の類似現象を生理的や心理的に生み出すことができるということです。
例えば梅干しを食べたというイメージをより具体的にすることができる人は、
その酸っぱい感じを思い出して、
酸味が口の中に広がり口内には唾液が充満します。
テレビなどで体中に針を刺すような衝撃的な映像を観ると、
自分は実際に刺されているわけではないのにその痛みやその感覚を自分の心でイメージをして共感し、
痛みを共有したりします。
それ等と同じように
試合という競技に
「死」
という人間にとって
もっとも重要なイメージを投影することで
安全なルールで守られた競技を
生死の勝負の域にまで引き上げるという行為は、
非常に高度なメンタルコントロールではないのかなと私は感じます。
そして
実際にはルールのある「試合」を「死合い」と仮定することで得られるもの………
それは「覚悟」です。
戦場では怪我をしたから
試合終了!みたいなことはありません。
私が怪我してるからと
敵が私を攻撃することを辞めてはくれません。
もし死ぬかもしれないという苛酷な状況のなかならば
腕を切り落とされようと
どんな重傷を負っても
生き延びようと最期まで戦い抜くために頑張るでしょう。
実際にそういう認識で試合に臨まれている空手家達にとっては、
負けることは 「死」 であるという認識のもとに
全てを賭けて稽古を重ねてきてますから、
試合で負けることは
自分のこれまでの全てを賭けて
稽古を重ねてきた時間から、
全人格までを否定されるというくらいに大きなこと……
即ちアイデンティティーの「死」を意味しています。
なので
そういう認識で試合に臨まれた選手は、どういう状況になっても絶対に諦めません。
諦めるということは「死ぬ」ことだからです。
ですからそういう「覚悟」を持って試合に臨んでいる選手の闘いには、
観ている観客の人達も
「魂を揺さ振られるような」
感動を受けたのだと思います。
誰にでもできる・堤下空手教室
おはようございます。
今日は休日ですね。
皆さんはどのように一日を過ごされますでしょうか?
ヽ(・∀・。)ノ
私はもうすぐウェイトトレーニングをやりに出掛けてきます。
皆さんも良い一日になることを祈っています!
ォス(*^_^*)/
昔は大会などの試合を競技と認識している道場生はとても少なかったと思います。
そのために試合とは
それぞれがイメージする実戦の場のシュミレーション的意味合いが強かったと思います。
それはどういうことか?
試合自体を
「生死を賭けた勝負の場であるという認識」
で捉えるということです。
試合に負ける = 「死」
であるという捉え方をする人が非常に多く
試合自体が非常に重いものでした。
現在のように年間試合数が多く、
試合をそのまんまの姿
「競技」
として捉えている人達からしたら、
たかが試合で大袈裟なと思う人もいるかもしれません…………
人はイメージする力を持ってます。
このイメージをする能力を上手に活用することで実際に何かをしていなくても、
実際にそれをしたときと同等の類似現象を生理的や心理的に生み出すことができるということです。
例えば梅干しを食べたというイメージをより具体的にすることができる人は、
その酸っぱい感じを思い出して、
酸味が口の中に広がり口内には唾液が充満します。
テレビなどで体中に針を刺すような衝撃的な映像を観ると、
自分は実際に刺されているわけではないのにその痛みやその感覚を自分の心でイメージをして共感し、
痛みを共有したりします。
それ等と同じように
試合という競技に
「死」
という人間にとって
もっとも重要なイメージを投影することで
安全なルールで守られた競技を
生死の勝負の域にまで引き上げるという行為は、
非常に高度なメンタルコントロールではないのかなと私は感じます。
そして
実際にはルールのある「試合」を「死合い」と仮定することで得られるもの………
それは「覚悟」です。
戦場では怪我をしたから
試合終了!みたいなことはありません。
私が怪我してるからと
敵が私を攻撃することを辞めてはくれません。
もし死ぬかもしれないという苛酷な状況のなかならば
腕を切り落とされようと
どんな重傷を負っても
生き延びようと最期まで戦い抜くために頑張るでしょう。
実際にそういう認識で試合に臨まれている空手家達にとっては、
負けることは 「死」 であるという認識のもとに
全てを賭けて稽古を重ねてきてますから、
試合で負けることは
自分のこれまでの全てを賭けて
稽古を重ねてきた時間から、
全人格までを否定されるというくらいに大きなこと……
即ちアイデンティティーの「死」を意味しています。
なので
そういう認識で試合に臨まれた選手は、どういう状況になっても絶対に諦めません。
諦めるということは「死ぬ」ことだからです。
ですからそういう「覚悟」を持って試合に臨んでいる選手の闘いには、
観ている観客の人達も
「魂を揺さ振られるような」
感動を受けたのだと思います。
誰にでもできる・堤下空手教室