5399日目
おはようございます。今日で震災から5399日目です。

私もパーカーを好んで着るので、痛いオヤジなのかもしれません😅
他人の評価や陰口とかは気にしないタイプなのでどうでも良いのですが、
動画の中で「オヤジ嫌い」とか声を大にして言ってる若い女性は、嫌いになる何かがあったから、わざわざネットとかで持論を展開させたわけですよね。
この方がオヤジたちを嫌いなことは、個人の自由なので何ら感想はありません。
だけど思うのは、あなたも何れオバさんになるんだよということです。
止められない自然の摂理に晒された先人たち、その渦中で望んでもどうにもならないことに対して偏見を持っていると、自分の吐いた言葉がいつか自分に還って来るよ、大丈夫?っていうことでしょうか。
若い女性で無差別に「オヤジ嫌い」ということを公言する人は珍しくはない気がしますが、狭い範囲の世界しか視えていないのかもしれませんね。
私なんかは、ある意味サイコパス
無敵の人なので、気にはなりませんが、世の中には気にしてしまう繊細な方々も沢山いますからね、そういう中には人間的に素晴らしい方々も沢山いるでしょう?
そういう方々が、ひとりの偏見によってグダグダ云われることは忍びない気持ちになります。
「嫌い」と言われても、死んであげるわけにもいかないし、消えてあげることも出来ないので粛々と生き続けるしかないわけですがね😅
面と向かって「オヤジ嫌い」と言われたら、「オヤジですみません」と謝ることくらいしか出来そうにないです。
でもパーカー着るなと言われても着ますけどね(笑)
そんなにダメなのかな?😅😅😅
5398日目
おはようございます。今日で震災から5398日目です。
今年ももうすぐ終わりを迎えます。
2025年4月末に膝の靭帯を負傷して全く動けなくなってしまってからは、不運が続きというか色々なことが重なり、大病の陰を感じ自身の命に対して真剣に向き合う一年となりました。
人生でこれだけ長い期間、苦しみ続けたことがないくらい精神的にストレスに晒され続け、かなりボロボロになりましたが、それでもやらなければならないことはキチンとやらないといけないですしね。
この年齢になってからも大きな勉強をした年となりました。
その結果、私の心に欠如していた部分も補完でき、少しは人として成長出来たようにも感じます。(気のせいかもしれんけど😅)
今回の不調の原因って、自身を制御して良くなるために頑張り続けてきたことの総決済というか、最後のワンピースを整える直前で起きたことなんです。
大きく心身が動く時は揺り返しも大きいので、私の予想の範囲を越えた揺り返しが起こるかもしれないという予感はあったのですが、遥かに越えた現象に私の心身の耐久性は限界ギリギリでした。
何がとは詳しくは書きませんが、最悪の場合一年くらいしか私に残された時間はないかもしれないな〜と考えていました。
3つの大きな不調に晒されていて、QOL(Quality of Life)の大切さということも真に思い知らされた感じです。
QOL(Quality of Life)が低いと、生きる喜びよりも苦しさの方が勝るということを初めて知りました。
検査の結果は大丈夫でしたが、
人生の後半戦に向けて、ここで一度自分を振り返って襟を正しなさいという神様からの忠告だったのかな〜と思っています。
確かにそれまでの私は人生を見切ったつもりになって日々の生活に胡座をかいていたかもしれません。
結果良ければ・・・という感じで格好悪いですが、苦しかったけど良い時間を過ごせたと思えそうなことに感謝をしています。
これまでの人生経験で培ったことの全てが無ければ心が折れて乗り越えることは出来なかったかもしれないです。
そういう意味において、人生の中締めを出来たことは大きな経験でした。
自身の予想の範囲を越えた事象が起きた時に、それまでの生き方を問われますね。
一番混乱したのは、自身に対してポジティブな努力を積み重ねて来て起きたことなので「なぜ!」という疑問でしたが、結果を視て、それまでの人生経験の中で得た法則の内に当てはまりそうです。
今回は苦しみ抜いた分、学びも大きかったように思います。
改めて今日を生きられることに感謝です。
5397日目
おはようございます。今日で震災から5397日目です。
山田玲司さんが、宮崎駿監督の作品をカリオストロの城はロマンで、あとの作品から段々思想に変わっていったと話していましたが、私もその意見に同意です。
私なんかは幼少期から宮崎駿さんの作画で育ち、初監督作品だった「未来少年コナン」が今も一番大好きな作品で、小学生の頃はコナンのようになりたいと憧れていたくらいでした。
漫画アニメというのでしょうか、宮崎さんが描かれるアニメなのに身体感覚が刺激される、妙に臨場感のある動きや食べ物の美味しそうな情景は、理屈がわからない年代の我々子供の感性を刺激して、元気にしてくれました。
初期の宮崎ファンである私なんかが、ずっと宮崎駿に求めていたものはそういう系譜だったんですが、カリオストロ、ナウシカまでは完璧で、ラピュタ辺りから「?」という感じになり、少しずつ私が見たかった宮崎作品から離れて行きました。
それでも、いつかまたあの頃の宮崎駿が戻って来てくれると信じて見続けていましたが、裏切られることの連続で、いつしか期待しなくなっていたように思います。
世間で持て囃されて、芸術的な評価が世界的に高まるにつけ、私が望んでいた宮崎駿はどんどん消失していったように思います。
これは富野由悠季監督の「ガンダム」も一緒で、ファーストガンダムとゼータガンダム以降では初代で、ファンたちが求めていたモノとは異なる世界観が提示され、戸惑いました。
前作の主人公たちを歳を取らせて脇役として出演させたり、前作を生き延びた者たちを平気で殺してしまったり・・・皆殺しの富野らしいといえばそうなんでしょうが、ファーストで提供した世界観とあまりにも違いすぎないかと違和感を覚えながらも、原作者が提示したのだからこれがガンダムなんだと自分を騙して見続けました。
初代の時に楽しいと感じていた世界観を自分が富野由悠季の提示した世界観にシフトさせて読み解こうと苦労しながら見た記憶があります。
これも ファーストとゼータガンダム以降ではロマンから 思想に変わってしまったように感じます。
こういう流れをリアルタイムで体験してきて思うのは、大御所になり仕事が大きくなるにつけ、予算も上がり、自分のやりたいように自由にやれるようになってくると、みんなロマンではなく思想寄りとなってしまい作品が面白くなくなるように思います。
前作で面白かったポイントやこういうので、あなたの作品のファンになりましたという期待を平気で裏切るというか、切り捨てる、俺に付いて来れないならいいよ・・・と言われるように
色々な制約があり予算が少なくて、狭い範囲の中でアイデアを出して精一杯足掻いて作った製作者自身が、まだ足りない、俺はもっとやれる!と心に熱量が灯っているような時期の作品の方が純粋に面白い作品になるような気がするんですけどね。
作り手に自由にやらせたら迷走するのは世の常のようにも思います。
作り手側と視聴者側の間にギャップがあるのは承知してますがね。
その作品が人気が出て大きくなっていくと、より多くの視聴者層を取ろうとして味が薄まり、つまらないモノになっていき、最初のファンは離れていきます。
難しいものですね。

