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研究会

ちょっとした研究会に出席した。いままで散乱していた物事が1つの価値観において整然と並びかえ可能なことに気がつくことができた。これでまとめなければならない書きものもきちんと章だてて書けそうである。
いままで悩んでいたことがすっきりした。後はやるのみである。

ハバネロ

ベランダのプランターに春ハバネロの種をまいた。あまりいい土で育てなかったのだが、強い風や、アブラムシ、病気、私の水やり忘れも乗り越え、オレンジ色の実を5、6個つけている。きっと必死に違いない。まだ緑色の実をつけている株は、どんどん日が短くなっていくのと競争しなければ、次世代を残せないかも知れない。
居心地の非常にわるい我が家のベランダから動くことのできないハバネロの戦略は他でもないその辛さ。お陰で育て主に食べられずにすんでいる。オレンジの実がかわいいので、種さえできれば来年も蒔いてくれそうである。

大和魂

大和魂という言葉をテレビで耳にした。なんとなくいいたいことは分かるのだが、ピンとこない。
辞書を調べてみる。「漢才(カンザイ)すなわち学問上の知識に対して、実生活上の知恵・才能」というのが第一義だった。思っていた意味とは違う。でも、こういう意味もあるようだ。
毎日の生活を営んでいく中でのちょっとした創意工夫や思いつきが、すなわち大和魂。たしかに日本の色々な産業製品をみると大和魂に溢れていて、そうかと納得。

十三夜

旧暦の9月13日にあたり、月のきれいな十三夜だ。十五夜とは違って左上がすこしかけた月が見える。「十三夜に曇りなし」というそうで、少しまえは雲がたくさんあったのに、今はほとんど消えてしまった。
今日の月はこないだ見た十五夜より黄色い気がする。こないだのは、光の三元色がちょうど良く混ざった白だったのに。大気中の何らかの成分が特定の波長の光を吸収してしまっているのだろうか。それとも、太陽の光が月に当たって地球に反射する角度が、十五夜とは少し違うからだろうか。
天体に詳しい人がいたら聞いてみたい。

プッタネスカ

イタリア語で「遊女」という意味らしいが、パスタ料理の名前である。友達に聞いてから、ずっと食べたいと思っていた。イタリアではおなじみらしい。
このパスタがあるという店に行った。食べた感想はふつうかな。オリーブ、ケッパーのクセのある味は好きだが、コクが物足りない。
彼のペスカトーレ好きが移って、私も大抵パスタはペスカトーレを頼む。いつも魚介たっぷりのペスカトーレだ。
魚介のコクに勝てる食材はなかなかないと、プッタネスカは気づかせてくれた。良心的な浮気相手だったかも知れない。

人に必要なメモリ量

今日、自分のパソコンのメモリを倍に増やして1ギガバイトにした。1981年にはビルが言った。「どんな人でも640キロバイトのメモリがあれば十分なはずだ」。
別に、この発言が大外れだとは思わない。一時に人が情報を処理するのに使えるメモリはそれほど大きくないと感じる。実際、たくさんのことを同時には考えられない。考えていたことをすぐ忘れる。
そんな自分のメモリの限界を棚に上げて、パソコンには頑張ってもらおうと思う。その限界のないワガママについて、ビルは誤算したかもしれない。

フランス語

小さな頃、母親に「何語が一番きれい?」ときいたら「フランス語じゃないかな」と返ってきた。
フランス語を勉強し始めて1年以上は、なんて聞きずらいし、しゃべりにくい言語なんだろうと思った。しかし、だんだん聞きとれるようになるのと同時に、その心地よさに中毒になった。
「明確でないものはフランス語ではない」と言われる。聞き取れさえすれば、意味は大抵わかるように出来ている。英語のように連語でover-comeされることもない。
もっと発音を訓練して、フランスの女の子のように、いつか明るく心地よくフランス語をしゃべりたい。

恋愛

「恋愛」というのは、明治期にLOVEの対訳として作られた単語だそうだ。
日本語では恋と愛を分けている。恋は男女の仲にできる例の特別な気持ちのことを指して、一方、愛は対象を限らないものを指す。
この両方の意味を持つことから「恋愛」になったらしい。しかし、現代日本人にLOVEを訳せといったら、「愛」になるのだろう。恋は少しLIKEに近いからいれなくていい。実際、「愛」と訳されていることが多い。
明治以前にはあった筈の意味が「恋」からなくなってしまったのだ。それでも「恋」が生き続けていられるのは「LIKE」が増殖しているからだろう。

電車

電車が好きだ。しかし、「鉄」マニアではない。移動するなら、車を運転するより電車で、と思うだけだ。
少し前、帰宅中の電車の中で、周囲の疲れた顔から、かなり元気をもらったことがあった。疲れているのは自分だけじゃないのだと。
「星の王子さま」に、「大人は目的なく汽車に乗っていて不運だ。しかも寝ている。」と記述されるところがある。汽車が電車になり、フランスが日本になると、大人は目的地を目指して乗っている。
それは束の間の休息時間であり、力を養う場所である。目的を持った人々の都会のアルカディアかも知れない。

曲線

曲線は隣りの点と点を順番につなげていくことで書くことが出来る。
これはすごく意味があることだ。
点と点が離れていればそこは直線になる。だから、なめらかな曲線を書くためには隣り同士が近い必要がある。その点と点とは無関係ではなく、その点がそこにある理由に共通するテンがあるのだ。
曲線が書けるということは普通のことのように感じていたが、非常に特別なことだと考えるようになった。