blog no.782

 

 

タイトル : コラテラル(2004) を観て

観た日:260517 日
放映日:260420 月
放送局:BS101

その他の情報:米。監督:マイケル・マン 。出演:トム・クルーズ、ジェイミー・フォックス、ジェイダ・ピンケット=スミス。2004。上映時間120分。

評価:★★★☆

ロサンゼルスの夜を静かに走るタクシーに乗り込んだ瞬間、平凡な運転手が出会ったのは冷徹なプロの殺し屋であり、彼の完璧に計算された暗殺計画に否応なく巻き込まれながら、都市の闇と孤独が二人のあいだに奇妙な対話を生み出し、やがてその一夜が運転手の人生観を揺さぶり、恐怖と混乱の果てに自分でも想像しなかった勇気を引き出し、最後には誰かの命を救うために殺し屋と真正面から対峙することになるという、逃げ場のない夜のドラマが静かに加速していく物語である。因みに「コラテラル」和訳すると「とばっちり」辺りに落ち着く。
 

 

ロサンゼルスで平凡なタクシー運転手として静かな人生を送っていたマックス(フォックス)は、ある夜に乗せた洗練された物腰の男ヴィンセント(クルーズ)が実は麻薬裁判に関わる証人たちを一晩で消すために雇われた冷徹な殺し屋であることを、最初の目的地で突然タクシーの屋根に死体が落ちてくるという衝撃的な出来事によって知り、銃で脅されながら否応なく彼の暗殺計画に付き合わされ、ロサンゼルスの夜を疾走しながら次々と標的が処理されていく中で、自分の人生の停滞や臆病さをヴィンセントに鋭く突かれ、恐怖と混乱の中で自分の生き方そのものと向き合うことを強いられ、やがて最後の標的が偶然にもマックスがその夜最初に乗せ、わずかな会話を交わした女性検事アニーであると判明した瞬間、マックスはこれまでの自分では考えられないほどの勇気を振り絞り、殺し屋ヴィンセントに反逆してアニーを救うため命がけで立ち向かう決意を固め、ロサンゼルスの夜明け前の地下鉄で二人の運命が激しくぶつかり合うことになる。

 

当作は、マイケル・マン監督が得意とする“都会の夜の孤独”を極限まで研ぎ澄ませた作品であり、スタイリッシュな犯罪映画として高い完成度を持つ一方で、構造的な弱点も抱えている。まず、最大の強みは ヴィンセントというキャラクターの異様な魅力 にある。冷徹でプロフェッショナル、しかしどこか哲学的で、都市の無機質さと完全に同化したような存在感は、犯罪映画の悪役として突出している。対するマックスは、平凡で臆病な男として描かれ、その対比が物語の緊張を生む。二人の会話は、単なる“殺し屋と人質”の関係を超え、人生観の衝突として機能している。一方で、物語の構造はやや単線的で、ヴィンセントの暗殺行脚が続く中盤はリズムが単調になりがちである。マイケル・マンのリアリズム志向が強く出ているため、アクション映画としての爽快感よりも、冷たく乾いた質感が前面に出ており、観客によっては“淡々としすぎている”と感じる可能性がある。また、終盤の展開は象徴的で美しい反面、やや予定調和的でもある。マックスが突然ヒーロー的行動に踏み切る変化はドラマとして成立しているものの、心理的な積み上げが十分とは言えず、説得力に欠けるという指摘もある。とはいえ、ロサンゼルスの夜景をデジタル撮影で捉えた映像美、緊張感のある音響設計、そして“都市に生きる人間の孤独”というテーマの深さは、同ジャンルの中でも突出している。犯罪映画でありながら、都市論・人生論としても読める多層性を持ち、マイケル・マン作品の中でも重要な位置を占める一本である。

 


この鑑賞で、今年の映画鑑賞本数は21本目となりました。

 

最後まで読んでくださって、誠にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。

blog no.781

 

 

タイトル : グロリア(1980) を観て

観た日:260518 金
放映日:260408 水
放送局:BS101

その他の情報:米。監督・脚本:ジョン・カサヴェテス  。出演:ジーナ・ローランズ、バック・アダムス。1980。上映時間121分。

評価:★★★☆

マフィアの重大な秘密を売ろうとして惨殺された一家から男の子フィルを助けた中年女グロリア。しかし問題の秘密をフィルが持ち出していたことを知ったマフィアは少年をかくまったグロリアの命をも狙い始める。子供嫌いなグロリアは生意気なフィルを見捨てようとするが、次第に母性本能が芽生え、必死になってニューヨークを逃げまわるが…。リュック・ベッソン監督作「レオン」の原形とも思えるハード・ボイルド映画。本作でアカデミー候補にも上がったG・ローランズ(監督カサヴェテス夫人)の持つ、いやらしいほどしたたかな女の魅力が随所に光り、マフィアの一味に拳銃をブッ放つシーンや凄味の効いた笑顔はまさに“カッコイイ”の一言。

 

 

ニューヨークのアパートで、ギャングの内部資料を持ってしまった一家が殺される。生き残ったのは 6歳の少年フィル (アダムス)だけ。彼は、同じアパートに住む元コールガールでタフな女 グロリア(ジーナ・ローランズ) に助けを求める。グロリアは最初、子どもを預かる気はなかったが、ギャングが迫る中で仕方なくフィルを連れて逃走することになる。銃の扱いにも慣れた彼女は、追ってくるマフィアを相手に、街中で激しい攻防を繰り広げる。逃げるうちに、最初は反発し合っていた二人の間に、奇妙で温かい絆が芽生えていく。しかし、ギャングの包囲網は次第に狭まり、グロリアは少年を守るため、自分の命を賭けた最後の選択を迫られる。
映画は、“血のつながらない二人が、極限状況の中で家族のような絆を築く物語”として、サスペンスとヒューマンドラマを融合させた名作として知られている。

 

当作は、ジョン・カサヴェテス監督の作品としては異色の“娯楽寄りサスペンス”を志向しているが、その狙いが完全に成功しているとは言い難い。まず、物語の骨格は「タフな女が少年を守りながら逃げる」という典型的な逃走劇であり、プロット自体に新鮮味はない。カサヴェテス特有の人物心理の深掘りも、本作では抑え気味で、ドラマとしての厚みがやや不足している。ジーナ・ローランズの存在感は圧倒的だが、彼女のキャラクター造形は“強い女”の記号に寄りすぎており、内面の揺らぎや複雑さが十分に描かれない。少年フィルとの関係も、確かに温かさはあるものの、感情の変化が急で、説得力に欠ける場面が散見される。特に、二人の絆が深まる過程が“状況に押し流されているだけ”に見える瞬間があり、観客が自然に感情移入できるほどの積み上げが弱い。演出面では、ニューヨークの雑然とした空気感を捉えたロケ撮影は魅力的だが、アクションやサスペンスのテンポは不均一で、緊張感が途切れる場面も多い。カサヴェテスが本来得意とする“会話の間”や“人物の沈黙”が、サスペンス映画としては逆に冗長に働いてしまう部分もある。総じて、『グロリア』は主演のジーナ・ローランズの魅力と、80年代ニューヨークの荒々しい雰囲気に支えられた作品である。しかし、サスペンスとしての完成度は高いとは言えず、カサヴェテス作品としても中途半端な位置にある。名作と呼ぶには物語の密度が足りず、むしろ“主演女優の魅力を楽しむための映画”として評価するのが妥当である。

 


この鑑賞で、今年の映画鑑賞本数は20本目となりました。

 

最後まで読んでくださって、誠にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。

blog no.780

 

 

タイトル : 僕のワンダフル・ライフ(2016) を観て


観た日:260509 土
放映日:260406 月
放送局:BS101

その他の情報:米。監督:ラッセ・ハルストレム 。出演:ブリット・ロバートソン、K・J・アパ、ペギー・リプトン、デニス・クエイド。2016。上映時間100分。

評価:★★★☆

作品の原題である “犬が何度も生まれ変わりながら、大好きな飼い主を探し続ける”や
“犬の使命”という物語を象徴している。分かっていながら、ラストは感動的ですらある。



一匹の子犬が「僕は、何のために生まれてきたんだろう?」と自問するところから物語は始まる。その犬は 何度も生まれ変わりながら、さまざまな飼い主と出会い、別れ、そして再び新しい人生を歩んでいく。最初の姿では、少年イーサンと強い絆を結び、彼の成長を傍で見守る。しかし寿命を迎えると、犬は別の犬として転生し、警察犬として働いたり、孤独な女性の相棒になったりと、まったく違う人生を経験していく。それでも心の奥底には、かつての“最愛の飼い主”イーサンの記憶が残っていた。長い時を経て、犬は再びイーサンのもとへたどり着く。老いたイーサンは最初こそ気づかないが、犬が見せる仕草や遊び方が、かつての相棒そのものだと悟り、二人は再び心を通わせる。犬はようやく理解する。「僕の使命は、愛する人を幸せにすることだったんだ」。その答えを胸に、犬は静かにイーサンのそばに寄り添い続ける。

当作は、“犬の転生”という強いフックを持ちながら、その設定を十分に掘り下げきれていない作品である。物語は複数の転生エピソードをつなぐ構成だが、どの人生も短く区切られているため、感情の積み上げが弱く、エピソード集のような断片的印象が残る。結果として、観客が深く没入する前に場面が切り替わり、感動の密度が薄まってしまう。また、犬の視点で語られるナレーションは愛らしい反面、説明的で、観客の想像力を奪う場面も多い。犬の“使命”というテーマは普遍的だが、脚本が提示する答えは単純で、物語のスケールに比して哲学的深みが不足している。演出も安全運転で、涙を誘う場面はあるものの、感情操作が見えすぎてしまい、ドラマとしての説得力を損なっている。最大の問題は、転生を重ねる犬の“成長”や“学び”が十分に描かれず、最終的な結論が予定調和に落ち着いてしまう点である。観客は泣ける映画として楽しめるが、作品としての挑戦性や独自性は控えめで、良くも悪くも“無難な感動作”にとどまっている。


この鑑賞で、今年の映画鑑賞本数は19本目となりました。

 

最後まで読んでくださって、誠にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。