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池上梅園&マナの誕生日から始まるオヤジの葛藤(5)

東京地方9日ぶりの晴天晴れしかも、明日からはまた一週間青空がお目にかかれる機会がないとなれば、写真を撮らないわけにはいかない!ってんで、撮り貯めしてきました。



朝子供達を学校に送り出してから、仕事に行くまでの本来家の掃除片付けをする1時間を使って、まずは池上梅園!ここは、妻との思い出もある場所。通常ならちょうど満開の時期ですが、今年はもう散ってましたしょぼん


つかさのブログ-梅

ということで、良いところだけ掻い摘んで撮ったのですが、別に梅園じゃなくてもどこでもいい写真になってしまいました(苦笑)


つかさのブログ-梅

EF24-70F2.8L結構寄れますね(^^)


ハイ、写真の方はここまでです。ありがとう!


EOS1DMarkⅢ + EF24-70F2.8 L USM 


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ここからは、 『マナの誕生日から始まるオヤジの葛藤(5)』  毎度重くてすみません。




出産後妻は自宅に戻ることなく、私の実家に帰ってきました。

妹が使っていた4畳半の部屋がそのままベッドが置かれていたので、そこへ寝かせました。



本当に今にも目覚めそうなくらい、穏やかな表情をしていました。

でも、触ると冷たくマネキン人形のように固くなった肌、本当に眼を覚まさないのか?死を受け入れられない私の頭は色んなことを考えてしまう。


2歳半のゼロ君にはどう理解することも出来ないだろうから、会わせずとなりの部屋で一緒に過ごしました。



3日後の通夜の日、十数件電話で知らせただけなのに、200人を超えるの沢山の方が妻との別れに来てくれました。翌日の告別式も本当にビックリするくらいの沢山の友人が最後の別れに来てくれました。



そして産婦人科医院から、看護師さんと院長が最後のママとのお別れをするため、赤ちゃんを連れて来てくれました。出産で母体死亡、誰もが医師を白い眼で見ていました。



私は先生達にお礼を言い、赤ちゃんを抱き棺の中の妻に合わせて、そっと赤ちゃんを妻の胸に寝かせました。

最後のママとのスキンシップです。



すると、「赤ちゃんの名前なんて言うの?」どこからともなく、そんな問いかけがありました。

赤ちゃんが生れてもう3週間、とっくに役所に出生届けを出す期限は切れていました。



でも、私は、「妻が意識を取り戻してから、一緒に名前を決めて一緒に出生届け出しに行くんだ!」って

決めていたので、名前をつけずにいました。



でも、ふとそんな問いかけに、沢山の愛を受けて心豊かに育って欲しい、ママがいつまでも娘の心の中で行き続けるようにと「マナ(仮称)」とその場で名前が浮かんで、棺の妻に、「マナでいいよな・・・」って問いかけた後、



「マナです。」と静かな声で言うと、たちまちお別れに来ていた参列者みんなに娘の名前が広まりました。

マナの次に、私はゼロ君を抱き、ここで初めてママの寝顔を見せました。



「あ、ママだ!ママーッ!」、眠っているだけにしか見えなかったゼロ君は大きな声でママを呼ぶと

私は、もう流し尽くしたと思われた涙が一気に溢れてしまいました。



私の涙は、ゼロ君を不安にしてしまい、ゼロ君が泣き出してしまった。

それで私もとっさに涙を止めて、「ごめんごめん」と言って笑顔でゼロ君を抱きしめました。



やがて思い出の品々や花でいっぱいに埋め尽くされた棺は、桐ヶ谷斎場へ向かう時間となりました。

葬儀場から斎場へは車で15分ほどの場所でしたが、私と妻を乗せた霊柩車の後を何十台もの車が


連なって来ました。殆ど全員が最後まで別れを惜しんで、桐ヶ谷斎場まで一緒に来てくれました。

予想外の人数に桐ヶ谷斎場もパニック状態となり、火葬時間になっても全員のお別れが終わらない事態となりました。



「なんでこんなにキレイな寝顔なのに、焼かなくちゃいけないんだろう?」

「本当に目を覚まさないのか!」

「まだ間に合うぞ、起きろ!」



心の中の叫びも虚しく、妻はの棺は閉められ予定時間を過ぎ、巻が入った状態で足早に焼却炉へ。

ここでやっと、「もう生き返ることはないんだ・・・」、と私の中で諦めが付いた時でした。


*******************************************


葬儀も終わり、私の新たな生活は区役所への手続きから始まりました。

私の父子家庭最初の仕事は、マナの出生届けと妻の死亡届けを出すことから始まりました。

妻の手続きを終え、出生届けを出しに窓口へ行くと、



「お子さん生れてからもう1ヶ月近く経ちますね。2週間を過ぎると受理出来ないんですけど、どうしました?」



と面倒そうに女性が言いました。



「分かっていたけれど、妻と名前を決めたくてそうしました。」

「それで、奥さんは今日はお出でではないんですか?」

「娘を産んで亡くなりました。」

「え、あ、そうですか、別にこんな手続き簡単に済みますので期間過ぎても構わないんですよ。」



今まで、皮肉っていた女性が妻の死を告げると人が変わったように、親切な対応になりました。

しばらくして、新しく長女としてマナの名前が記され、その一方で妻除籍とされた新しい戸籍を受け取りました。



「ハァ、妻がいなくなってしまった上に、戸籍まで離れ離れにされてしまうのか・・・」

妻が亡くなって間もないこの短期間に、肉体的にだけでなく、書類上でまで別れを余儀なくされる、わが身に起こって初めて知った苦痛でした。



病院での別れ、斎場での別れ、そして役所での別れ、3回の別れをこの短期間に済ませなくてはならないのは、精神的にかなり堪えました。


(続く)




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ボウリンギュ♪

今日はお天気も芳しくないということで、マナの友達の海ちゃん一家とボウリングゥグッド!

に行ってきました。子供たち好きなんですよね。
つかさのブログ-ボーリング

↑子供ボールに子供レーンで気合十分の子供達


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↑子供達フライング気味でハイテンションスタート!


つかさのブログ-ボーリング

↑前からのアングルってボウリングは難しいですね(苦笑)


つかさのブログ-ボーリング

↑ゼロ君明らかにブン投げてますо(ж>▽<)y ☆


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↑あ、マナもだ(-"-;A



つかさのブログ-ボーリング

↑ボウリングはスコアボードを見なくても、子供達の表情でどんな結果かわかります(笑)


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↑スプリットだけど、6本倒れたことにまずまず納得のご様子!


つかさのブログ-ボーリング

↑ヤッタぜぃ!


つかさのブログ-ボーリング

↑にしても、やってる最中は楽しいですが、ボウリングも結構高いんですね。

3人で2ゲーム4,000円かぁ・°・(ノД`)・°・


EOS1DMarkⅢ + EF24-70F2.8 L USM ・ EF85F1.8USM


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妻の高校時代の友人会

今日は妻の高校時代の友人達がお墓参りに来てくれました。

妻が亡くなってから、毎年命日前後にみんなで集まって妻と一緒の時間を過ごしてくれます。


つかさのブログ-京商豊美7年会

↑キレイな花を沢山を飾ってくれました(^^)


つかさのブログ-京商豊美7年会

↑一年ぶりの旧友との再会に妻も今日はHappyな気分になってるかな♪


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↑お墓参りの後はみんなでランチ。

今年は地元の隠れ家っぽいレストラン、駅から近いのですが高級住宅街の中にあります。

急な階段をせっせと昇ってたどり着いたのが、


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↑Cafe restaurant SAMASAMA

ビストロ系フレンチレストランです。


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↑一階エントランスから長いアプローチを通って地下のレストランへ。


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↑このお店は地元ではかなり古い、私の店の常連さんのフラワーデザインスクールが直営しているお店で

店内はさすが!と言わんばかりの花の装飾がなされています。


レストランの隣にあるフラワーデザイン教室は岡本太郎氏のデザイン建築という、どこまでもアートなお店。



つかさのブログ-京商豊美7年会

↑私達は小部屋に通されました。アラフォーレディース+うちのチビ共でピース!

つかさのブログ-京商豊美7年会

ランチはコースが3000円前後、セット料理が2000円弱と高級住宅街のマダムのランチにピッタリな価格設定となっています。


つかさのブログ-京商豊美7年会


↑こんな小さなスペースにも生花のアレンジメントが飾られています。

つかさのブログ-京商豊美7年会
↑私が食べたハヤシライス。

味は一口小さめに食べて、「美味い!」ってインパクトを与える味。


それは裏返せば、濃い味付けなので全部食べたときには少々重いくらいの印象になりますが、ランチというライトなボリュームを考えると、この方がお客さんには印象が残ると思います。


それにしても、さすがに自然光も全く無いダイクロハロゲンだけの暗い照明+手持ちだと、いくら開放でボケを入れてごまかそうとしても、やっぱり料理の撮影は無理ですね(苦笑)


つかさのブログ-京商豊美7年会

↑こちらはランチセットのデザートとコーシー。


つかさのブログ-京商豊美7年会
↑ランチの後は、我が家のパーティルームで時間の許す限り、妻を囲んでのんびりとお話会。

例年は、みんなの子供達も来るのですが、今年は予定つかず。。。


まぁ、もう中高生が中心で成人してる子もいるから、うちの子供達には大人とほとんど変わらないくらい

大きなお兄さんお姉さんですが、去年なんかも結構一緒に遊んでもらって印象深かったようで、


「何で、今年は少ないの?」とお兄さんお姉さんが来ないのを残念そうにしていました。

法要に関係なく、この仲間達はこうして皆で集まって同窓会をやろうと毎年妻の命日が近づくと来てくれます。



私もいつの間にか、そんな妻の友人達が来てくれるこの日が楽しみになっています。

中高時代の親友との交流なんてない私には、こんな素敵な親友がいる妻を羨ましく思います 。



来年は、お兄ちゃんお姉ちゃんも一緒に沢山で来てね!



EOS1DMarkⅢ + EF24-70F2.8 L USM


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マナの誕生日から始まるオヤジの葛藤(4)

午前10時解剖を終えたであろう妻に会いに再び病院へ戻りました。

病院と言っても、今度は3階の救命センターでも8階の産科病棟でもない、地下の霊安室。



1階のエレベーターホールで殆どの人が上に行くエレベーターに乗り込む中、一人地下へ降りるエレベーターに乗って、霊安室へ行くと、廊下のベンチには妻の中学時代からの3人の友人が、まだ現実を受け入れられない様子で座っていました。


彼女達は出産直前まで妻と、「もうすぐ産まれるよ」とかメールのやりとりをしていたようで、娘の誕生を待ちに待っていてくれました。私が妻の携帯を見た時には、何通ものメールが届いていて、当時はその状況をとても話せなくて、



「ちょっと産後容態が良くなくて、病院に搬送されて入院してるから、元気になったら本人から連絡させますね。」とだけメールを返したきりだったので、その次に来た明け方の連絡が、まさか親友の死の知らせになるとは思ってもいなかったでしょう。



「実は・・・」とこれまでのお産の経緯を話していると、まもなく解剖を終えた妻の遺体が霊安室に戻ってきました。

病理解剖から戻ってきた妻は、解剖前の体温の温もりもなくなって、凍りついたように冷たくなっていました。



死後硬直が始まった身体は先ほどまでの肌の弾力も失われ、胸の前で組まれた手はカチカチに固まっていました。友人達はその変わり果てた姿に、声を荒立てて涙し、もう届くはずのない妻に懸命に胸に溜め込んでいたそれぞれの思いを語りかけていました。



お昼に葬儀社から迎えの車が来て、いよいよこの病院を発つときが来ました。

私達夫婦が病院を発ったのは、1階の玄関からではなく、薄暗い地下の裏口からとなってしまいました。



地下の裏口には遺体搬送車がすでに止められ、妻のストレッチャーが静かに積み込まれると、私はその横に乗車しました。車の後ろには救命センターや産科の医師、看護師が最期の見送りに来てくれました。



車が動き出すと、病院スタッフみんながこちらに一礼をして私達は見送られました。

私は車の中で家に着くまでずっと妻の手を取り、布を外して妻の顔を見ていました。



何倍にも浮腫んだ顔はすっかり引いて元の顔に戻っていました。

本当に全部のハードルを越えてあともう一息だったんだなぁと穏やかな寝顔を見ながら実感しました。



病理解剖の結果、死因は当初予測されていた、長期寝たきりによって結構不良が起こって血栓(血の塊)が脳や肺、心臓に飛んだ形跡もなく、心筋梗塞を起こした様子もない、ということでした。


ただ、肝臓はまるで外部から強い圧力を掛けられたかのように損傷が酷く、ボロボロの状態だった。

でも、全ての臓器は死んではおらず、快方に向かっていたようです。



死因は多臓器不全、つまり何が原因が特定できないため、このような死因がつけられました。

非科学的なコメントではあったのですが、妻の全身管理を担当してくださった女医は、



「きっと何度も緊急手術を乗り越えた上に、MRSAも乗り越えたんだけど、最後の最後でご本人も安心して気が緩んでしまったのかも知れない。」というようなことを言っていました。



全然科学的なコメントではないけれど、私もそれが一番自分にも納得できる死因だと思っています。

人間大きな手術を1回すると10年寿命が短くなるといいます。



だとすれば、6回の大手術を乗り越えた妻は60年分の寿命を使って、生きようと頑張ったことになります。

35歳の妻にすれば、すでに95歳になってしまうくらいの負荷が心臓に掛かっていた、



最後の最後で娘の初節句の報告を聞いて、安心したと同時に心臓が限界に達したのかなぁって思います。

妻がこの19日間に流した出血量は40000cc、人間には約5000ccの血液が流れてると言いますから、



人間8人分の血が流れ出たわけです。そして輸血も430単位25000cc以上の輸血という、この中核病院の歴史上最高の輸血を受けて乗り越えたわけですから、心臓や肉体への負担は60年以上だったと思います。



通常の人の場合1000ccも出血すれば死に至るそうです。輸血に関しても60単位を超えると定かな数字ではないけれど10%以下など生存率が大幅に低下してしまうと言います。



その常識を考えると妻が行き続けた19日間は、人間の限界を遥かに超えた、生命力でした。

それは明らかに赤ちゃんを産んだ母親だから出来たことなんだと思います。



「そこまで頑張っただけに、どんな形でもいいからとにかく生きて欲しかった。」

そんな無念が、家に向かう道中もその後もずっと自分の中で堂々巡りしていました。


(続)

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35-350でカワセミ試し撮り

オークションで売ってしまう前に、せっかくなのでEF35-350Lの修理後の写真を撮ってみました。

モデルは肖像権対象外で一番私が燃えるカワセミ君。


つかさのブログ-修理後カワセミ

↑これが修理前の前ピン状態の画像。


つかさのブログ-修理後カワセミ

↑ここからが、今回の修理後のレンズの画像。

羽のフワッとした部分までクッキリ写るようになり、木の幹や枝までなんとなくクッキリ度が違う感じがします。



つかさのブログ-修理後カワセミ

↑ダイブはどうしてもカメラを動かしながらなので手振れは入りますが、この瞬間が一番ワクワクしますね。

水しぶきだけでもいいなぁと自己満足に慕ってます(笑)


つかさのブログ-修理後カワセミ

↑こちらはかなりジャスピンに近づき、魚を加えているところが撮れました。

でも、着地点的を絞って、MFでピントを合わせておかない限り、動いたままは追いかけられないみたいですね。


でも、いつどこに飛ぶかも分からないカワセミの着地点に山はって、構えているのも短気オヤジにはしんどいなぁ。


つかさのブログ-修理後カワセミ

ハンティング後半になると必ずここで一休みしていきます。

完全にここのカワセミの行動パターン読んだり!



でも、もうすぐ新緑の季節になるから、木々に若葉が生えたら私の眼では、もう追えないかなぁ。。。

せっかく陽射しも強くなってシャッター速度も稼げるようになるのに、上手くいかないもんです。



と言いながら懲りずに、出掛けると思いますが(^^)

今度からはとりあえず、70-200LIS+テレコンというスタイルになるのかな!?



しばらくは、撮るとしても200で我慢。花の季節なので、もうすぐにでもマクロが欲しいっす。



EOS1DMarkⅢ + EF35-350F3.5-5.6 L USM


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