マナの誕生日から始まるオヤジの葛藤(4) | 143

マナの誕生日から始まるオヤジの葛藤(4)

午前10時解剖を終えたであろう妻に会いに再び病院へ戻りました。

病院と言っても、今度は3階の救命センターでも8階の産科病棟でもない、地下の霊安室。



1階のエレベーターホールで殆どの人が上に行くエレベーターに乗り込む中、一人地下へ降りるエレベーターに乗って、霊安室へ行くと、廊下のベンチには妻の中学時代からの3人の友人が、まだ現実を受け入れられない様子で座っていました。


彼女達は出産直前まで妻と、「もうすぐ産まれるよ」とかメールのやりとりをしていたようで、娘の誕生を待ちに待っていてくれました。私が妻の携帯を見た時には、何通ものメールが届いていて、当時はその状況をとても話せなくて、



「ちょっと産後容態が良くなくて、病院に搬送されて入院してるから、元気になったら本人から連絡させますね。」とだけメールを返したきりだったので、その次に来た明け方の連絡が、まさか親友の死の知らせになるとは思ってもいなかったでしょう。



「実は・・・」とこれまでのお産の経緯を話していると、まもなく解剖を終えた妻の遺体が霊安室に戻ってきました。

病理解剖から戻ってきた妻は、解剖前の体温の温もりもなくなって、凍りついたように冷たくなっていました。



死後硬直が始まった身体は先ほどまでの肌の弾力も失われ、胸の前で組まれた手はカチカチに固まっていました。友人達はその変わり果てた姿に、声を荒立てて涙し、もう届くはずのない妻に懸命に胸に溜め込んでいたそれぞれの思いを語りかけていました。



お昼に葬儀社から迎えの車が来て、いよいよこの病院を発つときが来ました。

私達夫婦が病院を発ったのは、1階の玄関からではなく、薄暗い地下の裏口からとなってしまいました。



地下の裏口には遺体搬送車がすでに止められ、妻のストレッチャーが静かに積み込まれると、私はその横に乗車しました。車の後ろには救命センターや産科の医師、看護師が最期の見送りに来てくれました。



車が動き出すと、病院スタッフみんながこちらに一礼をして私達は見送られました。

私は車の中で家に着くまでずっと妻の手を取り、布を外して妻の顔を見ていました。



何倍にも浮腫んだ顔はすっかり引いて元の顔に戻っていました。

本当に全部のハードルを越えてあともう一息だったんだなぁと穏やかな寝顔を見ながら実感しました。



病理解剖の結果、死因は当初予測されていた、長期寝たきりによって結構不良が起こって血栓(血の塊)が脳や肺、心臓に飛んだ形跡もなく、心筋梗塞を起こした様子もない、ということでした。


ただ、肝臓はまるで外部から強い圧力を掛けられたかのように損傷が酷く、ボロボロの状態だった。

でも、全ての臓器は死んではおらず、快方に向かっていたようです。



死因は多臓器不全、つまり何が原因が特定できないため、このような死因がつけられました。

非科学的なコメントではあったのですが、妻の全身管理を担当してくださった女医は、



「きっと何度も緊急手術を乗り越えた上に、MRSAも乗り越えたんだけど、最後の最後でご本人も安心して気が緩んでしまったのかも知れない。」というようなことを言っていました。



全然科学的なコメントではないけれど、私もそれが一番自分にも納得できる死因だと思っています。

人間大きな手術を1回すると10年寿命が短くなるといいます。



だとすれば、6回の大手術を乗り越えた妻は60年分の寿命を使って、生きようと頑張ったことになります。

35歳の妻にすれば、すでに95歳になってしまうくらいの負荷が心臓に掛かっていた、



最後の最後で娘の初節句の報告を聞いて、安心したと同時に心臓が限界に達したのかなぁって思います。

妻がこの19日間に流した出血量は40000cc、人間には約5000ccの血液が流れてると言いますから、



人間8人分の血が流れ出たわけです。そして輸血も430単位25000cc以上の輸血という、この中核病院の歴史上最高の輸血を受けて乗り越えたわけですから、心臓や肉体への負担は60年以上だったと思います。



通常の人の場合1000ccも出血すれば死に至るそうです。輸血に関しても60単位を超えると定かな数字ではないけれど10%以下など生存率が大幅に低下してしまうと言います。



その常識を考えると妻が行き続けた19日間は、人間の限界を遥かに超えた、生命力でした。

それは明らかに赤ちゃんを産んだ母親だから出来たことなんだと思います。



「そこまで頑張っただけに、どんな形でもいいからとにかく生きて欲しかった。」

そんな無念が、家に向かう道中もその後もずっと自分の中で堂々巡りしていました。


(続)

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