昨年11月末に、ストーンさんから、下記のコメント(記事『2017~8年合格目標「4A」系の講座関係の告知』のコメント№312)をいただきました。

「先生、お久しぶりです。過去問や論パタについてはすでに全体として3周ほどやっており、苦手な問題においては7~8回ほどやっています。その中で何度もやっていると問題によっては見るだけで答案構成、条文、法解釈、あてはめが無理やり思い出そうとしてるわけじゃなくても頭に思い浮かんでしまいます。(加点事由も含めて)これはその問題については「潰した」といえるのでしょうか?なお答案例を暗記しようとはしていません。」

 

そのころに同様の質問を何回かいただいていたため、そのうち記事にしようと思っていました(ようやく記事を書く余裕が出てきました)。

 

まず、私の回答コメント(記事『2017~8年合格目標「4A」系の講座関係の告知』のコメント№313)は、下記<>内のとおりです。

<私は「潰した」≒「完璧」と捉えているので、記事『なぜ「完璧」にまでしなければならないか』でも書いたように、「潰した」といえるかどうかは、まずはストーンさん自身が主観的に判断すべきものです。
ただ、もし私が「答案例を暗記しようとはしていません」のに、「見るだけで答案構成、条文、法解釈、あてはめが無理やり思い出そうとしてるわけじゃなくても頭に思い浮かんでしまいます」という状態に至ったなら、その問題については「潰した」≒「完璧」と判断すると思います。
その状態でその問題をさらにくり返し解いても、新たな発見・成長が望めないと思うからです。
つまり、ある問題をくり返し解いていて、“新たな発見・成長がなくなった感じ”がしたら、その問題については「潰した」≒「完璧」として、他の問題をくり返し解くのに時間・労力を集中した方が、総合的な実力が伸びやすいと考えます。>

 

つまり、ある問題について、「潰した」かどうか、「完璧」かどうかの判断基準は、

その問題をくり返し解いて(答案まで書いて)いて、“新たな発見・成長がなくなった感じ”がしたかどうか

だ。

これについて、2点補足したい。

 

1.くり返す意味

私は何かをくり返すとき、前回と同じレベルを維持するだけでは、よりレベルアップできる他のことと比べると効率が悪いし、そもそも飽きてしまってくり返せなくなる人が多いと思っている。

新たな発見・成長をする余地があるからこそ、それをくり返す意味があると思うのだ。

だから、前回問題を解いた痕跡を残しておく(ex.論文式なら答案(構成)を書いた紙・データ、短答式なら所要時間・問題全体や各肢の正誤)と、新たな発見・成長があったかを判断しやすくなるというメリットもある。

ちなみにNOAさんと昨年末にダベッたときも、この点が結構重要だという旨を言われた(逆に、それ以上の詳細な説明はまだ受けていないので、正直私もあまりよく分かっていないかもしれない)。

 

2.“新たな発見・成長がなくなった感じ”がしたかどうかの判断について

これは主観的な基準なので、その判断に個人差が生じることは避けられないが、むしろそれがいい、と考えている。

 

(1)

まず、合格者の多くは、「過去問を潰し切れないまま合格したという認識」を持っているようだ。そして、そのような認識を持っている合格者ほど、少なくとも私から見ると、合格者平均より全然潰せていることがほとんど…ということは、過去問をくり返し解く度に新たな発見・成長をし続けている途中で合格したのだろう(cf.記事「昨年の合格者の共通点」)。

このような受験生は、過去問等をくり返し解くだけで、手を広げ(ることができ)ずに合格する。

 

(2)

しかし、過去問等をくり返し解いているうちに、「潰した」≒「完璧」≒“新たな発見・成長がなくなった感じ”になる受験生も、少数派だと思うがいるだろう(合格者でも、そういう人がごくたま~にいる)。

考えられる可能性としては、

①客観的にも「潰した」≒「完璧」

②客観的には「潰した」≒「完璧」ではないが、その過去問等との相性が悪い

③客観的には「潰した」≒「完璧」ではないが、その過去問等で新たな発見・成長をする力が足りない

の3つくらいだが、いずれにせよ、そういう状態に至ってしまった受験生は、その過去問等をくり返し解き続けても実力が向上しないだろう。

だから、他に手を広げざるを得なくなる(どこまでやれば合格ラインに達するのかが見えにくい試験では、受験生は、本試験当日まで、できる限り実力を向上させ続けるしかない)。

ただ、やむを得ず手を広げる際には、本試験にできる限り近いことから順にやっていかなければ、どんどん本試験合格からズレていくので要注意(cf.記事『「潰す」とは?~実践編手を広げる?」「司法試験の下4法対策」)。

決して、本試験という厳しい戦いから逃げるための方便として、この方法論を使ってはならない。

あと、過去問等をくり返し解いてみる前から手を広げようとする人は論外だからね~