私は、事あるごとに、本試験過去問や論文解法パターンテキスト掲載問題(以下、これらをまとめて「本試験過去問等」という)をくり返しくり返しくり返し解いて「完璧」にするよう指導している。

その理由等をまとめてみたい。


1.本試験過去問等と同様の問題がくり返し出題されている

だから、そのような問題については、できる限り時間をかけずに解けるようにしておくべきだ。


2.脳内サーチを最小限に

問題文(と条文@論文本試験)が目の前にあるのに、目をつぶって自分の頭の中の情報をサーチすると、「問い」からズレた「答え」になるリスクが増す(cf.ガイダンス動画「最短で確実に合格を~4段階アルゴリズム(4A) 」の35分くらいのところ)。

少なくとも、そのようにサーチする行動は、時間と体力(脳力?)を浪費する。特に、手持ちの知識で解けるのか、現場思考を要するのかといった判断は、戦術が異なってくる(冒険するかどうか等)ため、スピーディにしなければならない。

本試験過去問等をくり返しくり返しくり返し解いて「完璧」にしていれば、「脊髄反射的に」(と旧司短答では例えられていた)身体が勝手に反応して情報が出てくる感じになるので、頭の中の情報をサーチする時間は最小限にできる。

手持ちの知識で解けるのか現場思考を要するのかの判断による、戦術の選択・切り替えも、瞬時にできる。


3.本試験の問題文の要求・意図が読み取りやすくなる

特に、本試験過去問をくり返しくり返しくり返し解いて「完璧」にしていれば、本試験問題で求められる能力が身体に叩き込まれているので、本試験の問題文の要求・意図が読み取りやすくなるという効果も期待できる。


4.テキスト不要

私は受験生時代、当初は本試験過去問を解きながら、間違った問題番号を択一六法の該当箇所に書き込んでいた。が、本試験過去問をくり返しくり返しくり返し解いて「完璧」にしたら必要ない、ということに無意識的に気づいたのか、徐々にやらなくなっていった。

まあ、メンタル的には、暗闇の中を進んでいくより、現在位置が分かるように地図に記録しながら進んでいった方がいい(だから、条解テキストも、“はしがき”で同様の使い方を推奨しているよね)。

しかし、結果論としては、本試験過去問等を「完璧」にしたら、「完璧」なんだから当然、それ以外のテキスト等で過去問知識を確認したりする必要はなくなるのだ。


5.揺るがぬ自信と開き直り

本試験過去問等を「完璧」にしたということは、少なくとも本試験過去問等については、自分より上の人がいないということを意味する。

これが揺るがぬ自信につながるし、これで落ちたら仕方ない、それ以外のことをやればいいだけだといった開き直りもしやすい。

こういった自信と開き直りが、勝負事の現場では、非常に重要だ。


6.メタ認識

これは、どちらかというと、「完璧」にすべき理由というより“くり返し解く”べき理由なんだけど。

本試験問題を1回しか解かないと、問題ごとの、しかも表層的な捉え方しかできない。

くり返しくり返しくり返し解いていくことで、徐々に余裕≒飽きが出てくる。

これによって、徐々に、各問題を解くことだけに飽き足らず、全過去問≒これから出る本試験問題を解くのに共通して求められる能力を、少なくとも無意識的には鍛えることができるようになってくるのだ。


7.では、「完璧」とは?

上記1~6から逆算すると、「完璧」とは、個人差がある主観的な概念となる(特に5)。

なので、「いったい、どこまでやれば『完璧』なの?」といった疑問・質問に対しては、このように答えるようにしている。

「まずは、あなたがイメージするとおりの『完璧』を目指しましょう。」

人間は、少なくとも純客観的には『完璧』ではありえない以上、これを実現することは不可能だが、主観的な『完璧』は一応実現可能だ。

主観的な『完璧』を実現した時点で、まだ本試験までに余裕があるなら、私などに相談して、より先の『完璧』を目指せばいい。



…以上、言葉と理屈で説明してきたけど、感覚的には、フィギュアスケート競技を見てもらうのが、一番良く伝わると思う。

たとえば、浅田・村上選手も、彼女らを育てた山田満知子コーチも、「ノーミス」「パーフェクト」が至上命題だった。

採点方式も、規定演技と自由演技、加点と減点といった点は、論文式試験と似てると思う。


本試験過去問等をくり返しくり返しくり返し解いていると、飽きてきたりしてきつくなってくる人も結構いると思うので、めげずにくり返す一助になれば…と思って記事にしました。

むしろ、“飽き”こそが本質的に必要だったりする(cf.上記6)ので、飽き≒成長と捉えて、なんとかがんばってください!