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自考能力開発講座

自分で考え、自分で行動するには、何が重要か?”考える”ということはどうすれば出来るのか?過去にとらわれ、今に悩み、未来を憂う人に贈る『自考能力開発講座』




身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ・・・

この言葉を耳にしたことはあるであろうか?

これは空也上人(903-972)の歌の一説である。

生き残るための極意と理解されている。

自分の我執を捨てた後に活路が見える・・・。

背水の陣・・・なども似た訓えであろう。

しかし、なかなか人は

身についたものを捨てきれない

まず、何を捨てるのか?となる。


習慣・・・

「なんか仕事がさばけなくて・・・」と

一見嘆いているようで

これは仕事が忙しいことに安堵している。

人は暇が怖い

多忙である自分が意外と好きである。

昔から・・・

仕事ができる人間に仕事を回せ!”という

原則がある。

しかし、そういう人物には多忙感を感じない

何故か?

それは仕事の完遂導線がシンプルだからである。

仕事とはこうでなければならない・・・

この固定概念が怖い

仕事でも、普段の生活でも

悪しき習慣は必ずあるのである。

そう、必ず・・・。

与えられた導線しか見えないと

忙しい、忙しいとなる。

成果はそのままに、導線を短く・・・

どうすればいいか・・・?

この思考さえあれば

必ず以前より仕事の完遂導線は

短くなる・・・時間効率がよくなるのである。


自慢・・・

気持ちはわかる・・・。

ただおかしなもので

自慢を披露すればするほど

縁遠くなるのである。

何故か?

人は他人の成功に嫉妬するからである。

嫉妬しない自分作り

人格形成のメインコンテンツであるが

修行の要る世界であろう。

自分が影響を与える立場であるほど

”失敗談”の方が効果がある。

聞く相手がある意味救われるからである。

そして・・・

その失敗をどう克服したか?
その失敗で何を得たか?
その失敗はその後どう活きたか?


その方が数倍世の役に立つ


苦労・・・

失敗談と苦労話の決定的な違いは

受け取る側の明朗感に出る。

苦労話は聞かれた時に話すことである。

聞く側は・・・

「・・・そんな苦労があったなんて・・・」

感嘆した方が学びになる

苦労は自分の肥やしであり

苦労話は自分の自慢である。

だからあえて教訓めいて

他人にひけらかすことではない。

ここでいう苦労を捨てるということは

苦労話をする自分を捨てる・・・

ということである。

そして失敗同様、苦労を糧にして

生き抜く自分を世間に見せればいい



人は何か後世に残したい!と思っている。

業績、経験、言葉、ノウハウ、人材、血脈・・・

歴史は教えてくれている。

身を何かに賭して生き抜いた人間

史実に、社史に、家伝に

脈々と名が、事績業績が、精神が

残っていくのである。

身を賭して、背中を見せて、我が身を散らせ!」である。













人育ての名人・・・

そう呼ばれる人物には
ある共通する要素がある。
それは”答えを与えない”ということだ。
生徒の学びたいことに対して
道筋や方向性やテーマだけを与える。
Educationnの語源は
「引き出す」「導き出す」などである。
決して「与える」ではない。

緒方洪庵(1810-1863)・・・
江戸末期、足守藩藩士、医師、蘭学者。
塾生には・・・
福沢諭吉、大村益次郎、大鳥圭介、橋本佐内・・・
など維新を動かした人物を数多く輩出した。
主宰していた適塾は後の大阪大学となる。
その学びの評価方法は
蘭書の和訳の出来不出来が中心であり
指導方法も「半教半学」の方針で
塾生たちの克己勉励を促した。
その成績で席順が決められていたのである。
大らかにどんな生徒も受け入れた
洪庵であったが、個々の成果を
冷徹に示す形式は後の塾生の
業績に表れている。
自得の姿勢を身に付けされる教え
何らかの形で世に花咲くのである。

吉田松陰(1830-1859)・・・
江戸末期、長州藩士、思想家、兵学者。
叔父で山鹿流兵学の師、玉木文之進に
幼き頃から薫陶を受けて育つ。
松下村塾は、創立者の玉木文之進より
引き継いだものである。
塾生には・・・
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、吉田稔麿、入江九一・・・
その教えは「飛耳長目」の姿勢を促した。
自らの足で、眼で、耳で情報に触れ
志を醸成し、事を為すことを訓えた。
吉田松陰の教えの特徴は
キーワード主義である。
その言葉は、中国古典の出典が多い。
未来の事を決断する時のために
必要な知性と勇気と後押しの言
常に塾生たちに説いた。
松陰没後、塾生たちの中に残るその言葉が
時代を動かしたとも言える。
くどくど、ながなが、くるくる・・・と
教えても相手には何も残らない
強烈で、シンプルで、質の高いフレーズ・・・
教育者の極意かもしれない。

上泉信綱(1508-1577)・・・
戦国時代の兵法家。
新陰流創始者である。
剣聖と言われている人物である。
弟子に・・・
疋田豊五郎、柳生石舟斎、奥山休賀斎、丸目蔵人佐・・・
後に剣術家、兵法家、剣豪として
世に喧伝される人物の代表的な師である。
それぞれに様々なエピソードがあるが
柳生石舟斎とのやりとりを取り上げる。
大和の国(現在の奈良県)の山深い地に
柳生の里がある。
その地に上泉信綱が訪れ
強者、石舟斎と対峙するのである。
完膚なきまで打ちのめされた石舟斎は
弟子入りを志願。
信綱は剣術指導を終えて他所へ
また旅に出る間際、石舟斎に課題を与える。
次出合う時まで、無刀取りを完成させてほしい」と。
再会の時に見事その技を披露する石舟斎。
課題と時間を与えるその指導法
現代でも重要である。
因みにこの無刀取りの極意は
現代でも柳生新陰流の秘中の秘として
剣術界の極意となっている。

育成の名人は決して答えを与えない
与えない方が成長するからだ。
答えを欲するのは人間の性である。
しかし、それを求めた時成長は止まる。
答えは次の成長のための課題である
その答えは自考の果てになければならない。
成長の土壌にあるのは課題と自考と時間軸!」である。






イノベーションとは何か?

日本では「技術革新」の際に使われる・・が

技術の変革だけに限らない

新しいアイデア・・・
これまでに無い仕組みの変革・・・
未来へ向けての価値観の創造・・・


創造・付加・削減・転用・・・・

既存のものを未来の形へ進める・・・

これがイノベーションである。


改善・・・

QC(品質管理)の分野では

カイゼン」と称し世界中に知られている。

日本の製造業の中で

生産性や業務効率などを向上させる為に

生まれた戦略発想のひとつである。

今眼の前あるものを

従事者などが知恵を出し合い

より良きものを生み出すのである。

小さな変化も時の経過ともに

その効果が明らかになる。

静かなるイノベーション・・・

それが改善なのである。


否定・・・

現状を否定することは

いつの時代も、誰でも難しい

現状は携わる人間の

”慣れ”で出来ているからである。

人は慣れたものを

触られる、弄られる、変えられる・・・

ことを嫌う傾向がある。

ましてや否定されるとなると

かなりの拒否反応を示す。

しかし、歴史を振り返ってみても

時代の変革は”現状の否定”から始まる。

否定する側も様々なものが要る。

勇気・覚悟・信念・戦略・戦術・・・。

イノベーションの萌芽・・・

それが否定なのである。


破壊・・・

イノベーションを一気に進めるためには

強烈な爆発力が要る。

培われてきた慣習・・・
慣れ親しんだ暗黙知・・・
心地の良い環境・・・

これらを根底から覆すのである。

建造物ならわかり易い

アメリカなどでは古いビルの解体を

ダイナマイトで一気に壊す。

その後の再建までのスピードは早い

これと同じことを人間に行うとき

生まれるものがある。

恨み、憎しみ、嫌悪などである。

公営がある日突然民営に・・・

長く尾を引く恨みのドラマが始まる

この破壊を行う場合には

破壊後の再構築を高速で行うことである。

これをもたもたしていると

怨念のパワーに押し流されてしまう

破壊の決断は

再構築の手配が万全に整った時だ。

初期のドタバタは必ず起きる。

しかし、未来への前進は早い

イノベーションの革命運動・・・

それが破壊なのである。


日本という国は外圧で変わる事が多い

キリスト教伝来、鉄砲伝来、、黒船来航・・・

現在の日本でも

TPP、テロ、AIIB、領土・・・

それに伴うイノベーションは

今日もどこかで起こっている

生き残り、まずは我が身のイノベーション!」である。






今を精一杯生きる・・・

時と向き合う姿勢は

突き詰めればこうなるのであろう。

しかし、この言葉を額面通りに

短絡、単純、軽率にとらえると

時の本質を見失うことになる

時は偉大である。

1秒が1秒であって1秒でない・・・

時と人間の思考が化学反応を起こした時

そこには歴史が興る



過去・・・

今を生きながら・・・

人は過去に縛られて生きている

何に?

過去の経験則を背負っているのだ。

そこで問題は背負っているものだ。

つらかった、悲しかった、苦しかった・・・

その類の経験は

心に常駐していたり・・・
あるシーンを見ると復元したり・・・
ある音を聞くと戻ってきたり・・・

とかく人はネガティブな経験の呪縛から

なかなか離脱できない。

しかし、捉え方の問題でもある。

”縛られている”のでなく
   <整えてくれている・・・>

”背負っている”のではなく
   <糧になっている・・・>

”こだわっている”のではなく
   <学びになっている・・・>

過去を活かすには過去の”看板”

変えることから始めるとよい。



瞬間・・・

瞬間とは何秒のこと?

世の中には様々な表現がある。

刹那(せつな)

仏教の解釈書「大毘
娑論(だいびばしゃろん)」に

刹那という時間は、今でいう1/75秒だと・・・。

雲耀(うんよう)

薩摩示現流の剣速を表現。

稲妻を指し、

固定された紙を錐で貫く速さ・・・

雲耀という時間は、今でいう1/8000秒だと・・・。

こう考えると、瞬間という概念は

生きる世界、住む世界が変わると

表現が変わって実に面白い

思考の世界でもそうである。

瞬間の思考”瞬考”が面白い。

この思考は実に効率が良い

先入観や経験値を基にした”熟考”

それなりに効果はあるが・・・

どうだろうか?

同じ人間で、直感VS熟考で勝負すると・・・

おそらく7:3くらいの割合で

直感が勝つのではないだろうか?

何か考えているときに

最初に思い浮かんだものの方が

評価が高いことが多い。

情報に惑わされるよりも

自分の瞬考力を磨いた方が良い



期間・・・

組織の計画書は1年、3年、10年・・・

この時間を”今”ととらえると

計画の精度が上がるのである。

何故なら、現実の今にやっていることを

1年先、3年先、10年先の目標と

連動しながら考えられるからだ。

意識が高い方が精度が高いのが相場だ。

今、上手く行けば3年先は
  おそらくこんな感じとなって現れる・・・
今、失敗すれば10年先には 
  たぶん目指す位置からずいぶん低い・・・


遠い時間を今に置き換えるためには

様々な能力が要る。

立案力、実践力、創造力・・・。

今に生きながら、未来を活きるのである。

妄想か、創造かの違いになるであろう。

日々イノベーションと銘打てば

先の時間も”今”となるのである。

時の威力や効能を駆使するのは

”知恵”である。

知恵は原則だからそれは学んだ方が良い。

学ぶ材料は無数にある。

時の格言を見るだけで

素晴らしい着眼や知恵が湧いてくる。

人生の楽しさは”今解釈”にかかっている。

今を超え、今を見抜いて、今を活きていく!」である。









愛の反対語は無関心・・・。

これはマザー・テレサの言である。

「マザーテレサ」の画像検索結果

愛の反対語は憎しみではない。

関心を持たない事・・・

この言葉を知った時には

今までにない気付きを感じたものである。

そして・・・

人は愛を感じた時に”希望”が見えてくる


愛の欠如・・・

マザー・テレサの言葉に共感しない人は

少なくないであろう。

誰にでも疎外感を感じた経験が

あるのではないだろうか?

イジメ問題などイジメる側は

この疎外感を武器にする

イジメられた側は自ら命を絶つことすらある。

疎外感を打破するには力がいる

ある者は肉体を鍛え・・・
ある者は知性を熟し・・・
ある者は知恵を研ぎ・・・
ある者は知識を蓄え・・・
ある者は技術を練り・・・
ある者は感性を磨く・・・


力はある特定のものではない。

どんな力であれ、身に付ければ

必ず希望を引き寄せるのである。


友の無情・・・

親友・悪友・盟友・旧友・知友・・・

何であれ友の存在は

かけがえのないものである。

その友と喧嘩し仲たがいする・・・

つらいことである。

そして疎遠に・・・

ちょっとしたことで人生の宝を

失った寂寞感は計り知れない

そこには”空しさ”という

希望の光を減退させる魔力

じわりと寄ってくる。

光を取り戻すには・・・

友と再会するか・・・
他の友を得るか・・・
自分が他者の友になるか・・・

まずは今の友を大事にすることである。


師の不在・・・

我以外の人は皆わが師・・・

なかなかその境地には届かない。

しかし、その時々に師を意識して

求めた方が良い。

人は独善的で利己的である。

我執にとらわれ易い。

その時に師は現れる

意外に気付かない。

師は・・・

静かに寄り添ってくれる・・・
激しく叱咤激励してくれる・・・
黙って話を聴いてくれる・・・


心を鼓舞し清め整えてくれる。

希望を受け入れる準備を諭す・・・

それが師の存在だ。


人は希望があるから動ける。
人は希望があるから前へ進める。
人は希望があるから優しくなれる。


愛を発し、友と語らい、師に習い
希望の光を求め与えよ!
」である。





成功は決断の結果である・・・

天からの贈り物ではない。

決断の連続が人生であれば

決断の質を上げねばならない

Exective(エグゼクティブ)の語源は

Execute(エグゼキュート)から来る。

死刑執行の意味である。

日本では組織の上層部を指すことが多いが

他人の命を絶つ決断すること・・・

ここから決断する人との意味となる。

決断の質を上げることは

何かを捨てる勇気を持つことである。


優柔不断・・・

1つのことをやるか、やらないか・・・
2つの中から、どちらを選ぶか・・
3つ以上の中からどの1つを選ぶか・・・

決断シーンはこの3パターンである。

人は、嫌でも決断しなければならない。

やる決断・・・いいだろう。

やらない決断・・・いいだろう。

他の決断に任せる決断・・・まぁ、いいだろう。

しかし、結果を他責にすることはダメだ。

それは決断したことにはならないからだ。

こう考えると、

何も決めない姿勢だけがぽつんと残る。

組織の上層部がそれだと

悲惨な現状が表出してくる。

”動けない組織”が社会に取り残される



逐次投入・・・

決断出来ないが

少しの”手当だけ”をしておく・・・

これをリスクマネジメントと

勘違いしてはならない

リスクマネジメントは

基本の決断があるから効いてくる

焼け石に水となる。

火を消す時は、大量の水を一気にである。

小出しは指導教育の時だけで良い。

教育は答えを与えてはいけないからだ。



問題先送・・・

決められないと、

スケベ心の小さな手当に走り

問題の解決を

”そのうち何とかなるだろう・・・”
”時代が解決してくれるだろう・・・”
”お天道様は助けてくれる・・・”

このように、他責、環境、時に委ねて

具体的な打ち手を施さない。

そしてまた優柔不断の世界

もぐり込み、静かにしている・・・。

例外もたまにはある。

あえて未来へ問題先送りにする場合である。

しかし、ここにはその妙味がある。

先送という”決断の妙味”である。

日中の歴史認識問題などがそうである。

全ての失敗は

このサイクルの中で起こっている

決断して、行動して、結果上手くいかなかった・・・

これは失敗ではないのだ。

次の課題が見えただけである。

決断せず、動かず、結果上手くいかなかった・・・

これが正真正銘の失敗である。

行動を起こした人に別にホメなくて良い

ただ認めてあげることは大事なことだ。

決断行動再挑戦に失敗の二文字無し!」である。









初心忘れべからず・・・

能の大家、世阿弥が

能楽の修行の真髄として

「花鏡」に残した言葉である。

初心は生涯残るものであり

人の糧となり支えてくれるものである。

五月病などと甘えていては

人生の面白みを得る初動

つまづくことになる。


模倣・・・

知識も経験も知恵も無い者にとって

先達の一挙手一投足を

観察しマネることから全てが始まる。

縁した環境に馴染むためにまずは

上司先輩の振る舞いをマネるのである。

ここで理屈が先に立つと

体も心も動かなくなる

まずは愚直に素直に健気に・・・

マネてみることである。

良悪、好悪、敵不適を論じては

初心は芽生えない

そこでの違和感が生じればそれも財産

心のフォルダにしまって置けばいい。

違和感も寝かせれば熟成して

いい感じになることもある。


闇練・・・

所作振る舞いマネる・・・
思考展開マネる・・・
表現方法を
マネる・・・

そのマネの品質を確かめる必要がある。

そのマネを実践現場で活かすには・・・

人知れず、静かに、謙虚に・・・

独習、復習、練習をしなければならない。

誰にも知られず・・・品質を上げるのである。

何故これが大事か?

雑音が入らないからであり

集中するからである。

効率の良い学びは独習に限る。

学びは孤独こそ良い。


実験・・・

マネて、独習したものは評価の場がいる。

その評価の場にさらす勇気がいる。

失敗したらどうしよう・・・
笑われたら嫌だな・・・
出世が遅れるかも・・・

そんなことは全て杞憂である。

組織や先達は失敗すると最初から思ってる

上手くいけば儲けもんの感覚である。

だから初心の者は気負う必要はない

初心の者だけに許された”実験の時間”である。

上手くいかなかったら、言えばいい。

すみませんでした!」と。

次は気をつけろ!」と帰ってくる。

それで一話完結なのだ。

次の実験に移るだけだ。

実験は失敗をするところだからである。

マネて、秘かに練習して、現場でやってみる・・・

この姿勢の者を受け入れない組織は終わっている

人が育つ土壌が無い。

これこそがブラック企業なのである。

自分に厳しく接し、成長を待ってくれる組織・・・

こんな組織こそ社会で注目を浴びるべきだ。

初心を育む場にどこを選ぶか・・・?

そこを深く考えることである。

マネて、密かに練磨して、失敗上等、今に見ていろ!」である。




文明は失敗の産物・・・

自分の過去を振り返っても

・・・確かに失敗だらけ・・・

で、自分文明は進んだか?

・・・・・・・・・?である。

産業革命の発展途上に・・・

海中トンネルの掘削途上に・・・

車社会成立の過程で・・・

どれほどの命が散っていったか・・・

その犠牲の上に文明は

少しずつ前に進んできたのは確かだ。


忘れる・・・

人は忘れないように思ってても忘れる。

忘れによる失敗は枚挙に暇がない。

だから忘れないための仕組みがいる。

判断のスピードに注目したい。

未決の案件、後日の約束、変更の事案・・・

出来ればその場決済

最低でも方策指示までいきたい。

残すから忘れるのである。

逆に人は忘れることが出来る

悔いや傷心にこだわり過ぎては

前には進めない。

人間の持つ素晴らしい能力である。


慣れる・・・

これは怖さ満載である。

一見、慣れる=仕事を覚える・・・

という式が見えてくるがこれが怖い。

人は慣れると心が安定する。

あらゆることがスムーズに進行する。

わからないことが少なくなる。

そして、”わかってるウィルス”に感染する。

知らない世界を考えること、触れることを

極力避けようとし始める。

その世界は居心地が悪いからだ。

心の安寧を保つためには

前例主義に徹するだけでいい。

変化は疎ましい・・・

しかし、時代という時は進行している。

自分の感性環境は過去のまま・・・

やがて、思考が止まる

”慣れない感性”は自分の新鮮さを保つ

素晴らしいワクチンなのである。


間違う・・・

世界に冠たる大企業が倒産する。

どこかで判断を間違うのか・・・
どこかで決済を間違うのか・・・
どこかで時代を間違うのか・・・

組織が大きくなればなるほど

失敗は許容されない。

社員の多さ、株主の多さ、社会的影響・・・

どうしても保守的になる。

その被害を食い止める為に

組織内で決済権の委譲が起こり

組織を細分化し始める

リスク回避が真の狙いである。

柔軟な発想をいち早く現場に・・・

これは表看板である。

なぜなら、組織やリーダーは

必ずどこかで間違う

この間違った時の判断が本物の判断なのである。

不覚こそ価値観変える最好機!」である。






魅力とはなんぞや?・・・

久々に辞書をひも解く・・・。

人の心をひきつけ迷わせる不思議な力

・・・迷わせる・・・妖しげな気がしてきた。

・・・心をひきつけ・・・これ大事!

ともかく人との関わりが大切な世の中だ。

相手に関心を持ってもらうことは必要であろう。


傾聴・・・

人の話を聴く」・・・これが意外と難しい。

この傾聴姿勢のプロ、キャリアカウンセラーに

「傾聴ってなんですかねぇ・・・?」と尋ねる。

心の声を聴くことです』と。

これは話す側が聴いてもらうことで

いつの間にか自分の心の声を

自分自身聴いているのである。

心の声を共有することはやはり大きい。

組織内で一人でも影響を及ぼす他者と関わった時から

人は、この”聞く修行”が始まる。

上意下達が基本で”あった”組織モデルでは

これがなかなか出来ない。

しかし、この傾聴は帝王学でも難行である。

聞いてくれる人に、人は付いてくるのである。

組織内序列の上位者は

顔を歪めながらでも聞かなければならない。

やはり、難行である。


減言・・・

朝礼から組織長の独演会・・・

昼間は自慢話・・・

夕礼で小言の重ね塗り・・・

酒席で拙い体験談・・・

とかく人は誰かに何かを言いたい生き物である。

言葉数と魅力は逆相関・・・
言葉数と育成は逆相関・・・
言葉数と行動は逆相関・・・

言葉数が少ない上司は・・・

怖いし、不思議だし、興味が出る。

これを”畏怖感の引き寄せ”という。

今の言葉数を1/10にする訓練・・・

やってみる価値はあると思うが・・・


情理・・・

論理立てる条理ではない。

人と接する上でのバランスのことである。

人は情だけでは動かない・・・
   しかし、情がなければ動けない。
人は理だけでは動かない・・・
   しかし、理がなければ動きたくない。

情と理・・・人は他者に両方求める

発信する側は、相手によって

その塩梅を計らなければならない

情が多めで動くウエッティー・・・

理が多めで動くロジッティー・・・

どちらも大切な人財である。

聴き倒し、無言で頷き、塩梅計る!」である。









作業、作業の連続で疲れます・・・

吐息、ため息、疲弊の様が伝わってくる言葉である。

しかし、作業は極めて重要な位置付けなのである。

結論から言えば・・・

作業が出来ない者は、仕事が出来ない

何故なら、仕事は”作業の仕組み”を作ることだからである。

作業全体を俯瞰することが出来て

初めて仕事に取り掛かれる。

問題は、作業の本質を知らないことである。

循環・・・

作業はルーティンである。

一から始まり、十に行けば、また一に戻る・・・

途中で、五を飛ばし、六・・・といってはいけない。

順番や順序を作るのは仕事である。

それが、正しいのか、効率が良いのかを

その作業の成果を見極めるために

決められた通りにやらなければならない。

だが、作業プロセスの中で”仕事”への着眼がある。

それはスピード

一から十までの完遂速度を計るのである。

その改善改良は、立派な仕事と言える。


再現・・・

一連の作業を経てきたものには均一性を求められる。

同じ形状、同じ品質、同じ肌感・・・。

ロス率を如何に低減するか?

いわゆるQC(クオリティ・コントロール)である。

日本は世界に冠たる”QC大国”と言える。

日本の製造業の品質の高さは

諸外国の教科書であり、盗用の対象でもある。

ポイントは環境にある。

高品質の機械、高品質の管理体制、高品質の人材・・・

ここの高品質の人材が心配である。

”職人技”が絶滅の危機に瀕している。

職人技を超えるテクノロジー開発の促進・・・

日本は職人絶滅まで必死である。


継続・・・

作業が一連の流れを滞りなくこなしても

次の日は?来週は?来月は?・・・と

その品質維持を求め続けられる

作業工程に携わる者はこの神経維持に疲れるのである。

”作業の仕組み創りの仕事”は、

この神経維持の緩和まで含まれるのである。

人間は緊張を永遠に保ち続けることは出来ない

ストレス耐性に弱い人間が増えている現代・・・

組織は頭を悩ます。



極力人を使わない仕組み作りが製造業の命題でもある。

作業という世界の中に仕事はたくさん埋もれている

その価値が見いだせた時、作業に関わる人間は

その重要な意味を知るのである。

仕事観の練達は、作業工程の中にあり!」である。