自考能力開発講座 -20ページ目

自考能力開発講座

自分で考え、自分で行動するには、何が重要か?”考える”ということはどうすれば出来るのか?過去にとらわれ、今に悩み、未来を憂う人に贈る『自考能力開発講座』

■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



忘却はより良き

前進を生む。

フリードリヒ・ニーチェ

今回で自考能力開発講座
シーズン1は最終回
110テーマは如何だったろうか?

1つのテーマに対して
着眼や切り口を3つ考える。

情報が多い世の中において
迷走する若者や
日々悩む経営者へ
少しでもお役に立てればと
始めた3waysthinkingであった。
全て以下のフレームで
例題を出していったものである。

今後の就活、社会生活、ビジネスライフに
お役に立てれば幸甚。



栄光
自分の人生にとって
過去の栄光は
生きるよすがにもなる。
糧に出来ている時は
大いに原動力となる。

問題は、今の自分は
あの時の自分にはなれない
諦め、他への”自慢話”
その栄光を語っている場合だ。

その行為は栄光を汚す行為である。
言えば言うほど、敬意は遠ざかる。
自慢話はいつの時代も
周囲は望んではいない。
聞かれた時に、
サラリと伝えてあげるくらいが
ちょうど良いのである。



形式
日本という国は
地政学的な問題なのか
大陸から入ってきた情報を
伝える地域が隣にはない。
大海原があるだけだ。

それだけに情報を沈殿熟成
させる文化として変質させてきた。

新しい情報はやがて○○道となり
元祖、家元、本家と型を作り、
それを伝承してきたのである。

その道は、精神修養に使われ
ひいては権威にまで上り詰める。
そうなると新しい型(情報)を
排斥する風土が生まれ
伝統という鎧の重さで衰退していく。

個々の人間でもそうである。

ここはこうせねばならない。
元来、こういうものである。
伝来の型は絶対に崩さない。

伝統工芸品ならまだいいが
これが思考展開の硬直化
なった場合は発展は望めない。

温故知新や不易流行という
姿勢はどこにいったのか?

形式は時代共に変わっていくのである。
それを許容する精神こそ
守らなければならない伝統なのだ。



挫折
栄光や伝統の形式を
頑なに守り続けるのも問題だが
一番成長を妨げるのが
過去の失敗や挫折感である。

まず、大きな原則を知らねばならない。
人間は失敗する・・・という原則である。
自分だけは例外はあり得ない。

人間形成の過程において
一番重要な学びの機会が
この失敗や挫折の時に
何を学ぶかということである。

逆に見ると、挫折の時こそ
新たな自分を構築する
最高のチャンスであるのだ。

失敗や挫折の時に味わった
無力感や屈辱感を
科学的に分析することだ。

そして足りないところを訓練
再チャレンジすればよい。

評価は他人との比較ではあるが
自主訓練では冷静に取り組んで
過去の自分と比較すればよい。

そして、もう一度比較の世界へ
向かうことが大事になる。
挫折感を取り除くには
リターンママッチで勝つしかないのだ。


過去を捨てる・・・
全ての過去を捨てるなどと
誤解しないで頂きたい。

過去の形式や形態を捨て
現在にあった形式や形態に
変えていかなければならない。
そうでないと未来へは対応出来ない。

その中で、過去の法則や原則だけ
今も、これからの未来でも
大切なことであるから
残していかなければならない。
過去の何を捨てるのか・・・?
この選別力も人間力なのである。


自考能力開発講座第1弾
[3waysthinking]
をご覧頂いた皆様、
誠にありがとうございました。

第2弾[Historical Idea]
8月1日より投稿開始いたします。
よろしかったらご覧ください。

なお、明日からは第1弾のまとめを
投稿させていただきますので
改めてご感想などを
お聞かせいただければ
恐悦至極でございます。

主宰 有馬 純


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



進まざる者は必ず退き、

退かざる者は必ず進む。

  福沢諭吉


努力という言葉に
いつも感じるのが虚しさである。

これは努力を否定している
わけではない。

ビジネス界で使われる時に
特に感じる感性である。

何故ならこの言葉が出てくる時は
往々にして、失敗した時が多い。

「さらに努力をいたします!」
「努力して何とか・・・」
「もう少し努力して欲しい。」

努力するのは当たり前なのだから
強いて言う必要がない。

政治家の「遺憾に思う・・・」
何となくダブってしまう。

努力は結果あってこそ
認められるものであるのだ。
じゃ、それはどんなことなのか?


需要
コツコツ頑張ってきた自分や自社・・・。
しかし、社会は何も反応してくれない。
他人や社会が悪い・・・
こんな風に考え出すと
非常に危ない。

良いものは売れることに
昔からなっているのだ。

その”良い”が商品品質だけ
拘っていると・・・やはり売れない。

努力の成果は市場が教えてくれる。
その成果は需要増なのだ。

何故か急に売れ始めた。
何故か問い合わせが増えてきた。
何故か入社希望者が増している。

全ては努力の賜物であり
決して偶然ではない。


リピート
個人で言えば再現力は重要だ。
同じテーマであれば
同じような結果が出せる。

組織が扱う商品であれば
何度も再購入してくれるお客様が
年々増えていっている

経営は永続性が大切である。
その為には売れ続けなければ
その永続性も失われる。

リピート率ほど安心させる要素はない

商品の確かさ
組織の評価
人材の優劣

こんな要素が評価されないと
リピート率は上がらない

今の自分を、既存の商品を
しっかり見つめ、管理できなければ
新しい自分も、新商品も
受け入れてもらえないのだ。


講演
名前が知れわたると
それを担っている人間
焦点が当たりだす。

経営者であったり
開発者であったり
運営責任者であったりと

世の中が興味を持ち始める。
そうなると、
話を聞きたくなるのが人の常である。

何故、そんな考えが・・・?
何故、続けられたのか・・・?
何故、社員さんは立派なのか・・・?


誰もがそうなりたいと思っているから
そうなった人や組織が
気になって仕方がない。
では、お話を聞こう!・・・こうなる。

講演が増えると地域の名士となる。
そうして評判が直に
反応する人や組織になっていく

もちろん人の眼が増えるのであるから
これまでにない緊張感に包まれる。
そういうのを有名税と世間では呼ぶ。


努力は自分でするものであり
自分だけがそのプロセスを
知っていれば良い。

売り物にしたり、
見世物にするものではない。


日々の邁進を当たり前と
位置付けられると大きな成長だ。

苦しくて、苦しくて・・・というのは
あまり日の目をみない。
悲壮感を感じるものに
人間は避ける傾向にある。

楽しくてやっている!
これが、大切である。
自分の目指すところへ
日々、”楽しく”歩んでいく。
他人が「努力」と言ってくれるのは
素直にありがとうだけである。




■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



ユダヤ式の教育では、 子どもに 「隣の子より優れろ」 とは教えない。 「隣の子と異なれ」 と教えるのである。        多湖輝




現代はテクノロジーのおかげで
知識の情報を得ることに
あまり苦労しなくなってきている。

インターネットの世界は
我々に便利さを与えているが
同時に、課題も与えている。

それは知識の活かし方である。
苦労して手に入れた知識は
手に入れる過程で
そのことを考える

今はすぐに手に入る時代である。

それも次々に・・・。
情報の渦に巻き込まれ
活かすどころではない。

そのために先生は
その迷いの渦に巻き込まれない
ものを教えなければならない。

それは知識でなく、知恵である。
その為には行動が必要となる。
だから個々への問題意識や志を
生徒とともに明らかにしていくのである。


キーワード
指導者は答えを
闇雲に与えてはならない。

「キーワード」
「テーマ」
「ベクトル」


これらを与えることが
個を伸ばす原則となる。

答えを与えると
それは言い訳を生む土壌
なっていくのである。

「あの先生が言ったから」
「親が言ったから」
「本に書いてあったから」


他責人間を育成することは
本人の成長を阻害するだけでなく
社会の諸悪の根源にもつながるから
恐ろしいのである。

答えは常に自分で導き出させる。
それを評価されることを
怯えさせない。
反省の仕方を教える。
後悔のうねりに溺れさせない。

将来を見据えた教えは
ここが基本である。



シュミレーション
将来、どんなことが起こるのか?
悪い事が起きる例も
教えておきたいが
良い事が起きる例を
教えなければならない。


○○をこのくらい続ければ
ほぼここまではいける・・・。

○○を繰り返し行えば
きっとここまで到達する。

○○を習慣化できれば
確実にこれは達成できる。


このように小さな成功、
低めの到達バー

設定してあげるのである。

身近なことで小さな成功を
繰り返しさせることは
こうすれば、こうなるという
実践力を身に付けることになる。

ポジティブなシュミレーション教育
極めて大事な人格形成にも
好影響を与えるであろう。


セッティング
何事も身に付けるには
出来るだけ幼い頃から
経験は積んだ方が良い。

現代のスポーツやビジネスも
早くから学んだ方
花が早く開くことは間違いがない。

但し、どこで花を咲かせるか
大きな指導方針に関わってくるので
注意しておきたい。

その中で早く体験させてほしいのが
人との接触である。
誰かに会わせてあげるのである。

教える人間は生徒の将来に向け
良かれと思う指導をしているはずだ
それならば、一番汎用性のある指導
人馴らし」である。

どんな世界へ行こうとも
人との触れ合いのシーン
必ずあるし、ずっと続く。

指導する側は独善的に
私の話だけを聞いておけばよい」などと
生徒を不幸にする指導
してはならない。
個々に合った接触
積極的に用意してあげることだ。

そこで何を感じ、何を気付くのか・・・
それが何よりも大切なのである。
新しい出会いの素晴らしさ
教えることは、生徒の未来を拓く
打ち手となっていく。



指導する人間は
指導される人間の未来、
先の時間のために
指導するのである。

その場で指導するのは
モラルや礼儀や道徳で良い。
しかし、それさえも未来のためである。

指導者が人を成長させるには
生徒が歩んでいく道を
一緒に探してあげることに他ならない。

遠い先、その時は先生ではない。
しかし、教えが生きていたら
先生の矜持になる。
指導者の誇りはそこにある。


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気軽に約束しない人は
もっとも約束を守る。

ジャン=ジャック・ルソー

よく会ったり、遭遇したりするが
なかなか縁が馴染み深くならない。
そんな人が周りにいるであろう。

基本的には、双方が
その縁を求めていないことが
その要因である。

しかし、よく一緒に仕事は
しているにも関わらず

話はしないし
酒席を共にすることもない。
共通の話題もない。

何かのきっかけでと
思いながらも
どちらかが、いつの間にか
居なくなる。

そう言えば・・・
あの人最近見ないなぁ・・・
とふと思い出す。
他の人に聞けば
退職した、転勤になった、入院してる・・・
つくづく縁のない人だった・・・
いつの間にか記憶から消えている。
とかく人の縁は不思議である。


約束の反故
縁を深めようと
話し合える仲になっても
なかなか縁が深まらない。

その要因のひとつが
約束の反故があげられる。

「じゃ、来週の金曜日に一杯でも?」
「いいね、予定に入れておくよ。」
で前の日に確認TEL。
「申し訳ない、別件が入っちゃて・・・」
と約束はキャンセル。
そんなことが繰り返されると
考えてしまう。
「私は嫌われてるのかなぁ・・・?」
相手はそんなことなく、たまたま、
約束を守れなかったのかもしれないが
守ろうとした方は気分は良くない。

なかなか深まらない縁というのは
そんな些細なことからでも
縁遠くなっていく。

これが仕事上のことなら
一発で絶縁なんてこともある。
小さな約束を守れる人
大切にしていきたいものである。


世代の乖離
縁に年代の差は
関係ないとは思うが
一概には言えない。

基本的に年長者が
自ら目線を落とし
若年者の価値観を
許容しようとした時に
世代を超えた縁が成り立つ。

もちろん若年者が年配者に
気に入られる場合もある。
それはその若年者が
相当の処世センス
もっている場合である。
社会のリーダー候補だ

世代を超えた縁は
実は双方にとって
学べる相手であることを
理解するべきである。

年長者は若年者に
法則、原則を伝えてあげる。
若年者は年長者に
進取、流行を伝えてあげる。
そんな関係は素晴らしい。

だが、ともに・・・
相手はわからないだろう・・・
諦めている節がある。

縁が深まらないパターンは
非常に残念である。



距離の遠大
遠距離恋愛が
なかなか成就しないのは
その名の如き距離が遠いからだ。

距離が遠いと人は寂寥感
生まれるのである。

ビジネスでもそうだ。
ある有望株のスタッフを
東京本社から福岡支社に
転勤になった。
上司は東京・・・。
上司は距離を感じさせない
ケアが必要になってくる。

離れれば離れるほど
コミュニケーションの度合いは
密にしなければならない。

物理的な距離と心の距離は
やはり相関する。

遠くの大切な人ほど
常時側感を作らなければならない。


どちらかだけが思っていて
縁が深まらないのは
片思いの切なさに似ている。

それはそれとして
人間の営みの悲哀
学ぶことになるのだが・・・。

ビジネス上であるならば
そうも言ってはいられない。
だから、こちらから様々な
工夫、知恵、行動
縁の扉を開いていかねばならない。

未達の縁を人生の儚さ扱いするは
リタイアしてからで良い。
袖擦り合う縁をも活かすのが
人生の達人なのだ。

■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



安全な時にこそ
ますます防御を固めよ。
真に危険を免れるのは
そんな人だ。

プブリリウス・シルス




攻撃こそ最大の防御なり。
昔から語り継がれている言葉だ。

いやいや、現代は防御こそ最大の攻撃だ!
という言葉もよく耳にする

そこで以下のようなマトリックスを見ると
目的によって使い分けがすれば
攻撃も防御も表裏一体なのがわかる。


Ⅰ:能動的攻撃
 目的は奪取である。
 先手必勝の戦術。

Ⅱ:受動的攻撃
 目的は防衛である。
 自己防衛のための戦術。

Ⅲ:受動的防御
 目的は専守である。
 援軍を待つための戦術。

Ⅳ:能動的防御
 目的は消耗である。
 相手を疲弊させる戦術。

組織運営でも、自己研鑽でも
これらの戦術で大別できる。
現在置かれている立場を
分析すれば、どれがベストなのか
自ずとわかってくるであろう。


武田信玄
戦国武将の最高峰に
位置付けられる人物である。

風林火山の戦術論
その後の武将たちの基本となった。

その防御の思想だが、
攻撃は常に自領外で行った。
常に遠征軍である。
自領には城はなく
館(やかた)があっただけである。
だからお館様(おやかたさま)という。

人は城、
人は石垣、
人は堀、
情けは味方、
仇は敵なり。


この名言を現代訳してみる。

荘厳重厚な社屋など不要。
そんな金をかけるくらいなら
社員に与えた方が良い。
仕事は社屋内でしても
意味がない。
外でしか金は稼げないのだから。

人を守り、信頼することこそ
最大の守りであることを実践して
第一等の戦国武将となったのである。





直江兼続
上杉家の家老であった兼続の判断で
関ヶ原の戦いで西軍に与するが
結果は大惨敗。

西軍参加の最終的なきっかけが
直江状と言われる家康弾劾状である。

何が何でも天下を取りに行った
徳川家康の理不尽な難癖に対して
直江兼続は家康の非道ぶりを
弾劾したのがこの”直江状”である。

その弾劾文は有名である。
現在も歴史的一級資料として
その写しが残っている。

テーマの防御であるが・・・
関ヶ原の以前は、豊臣秀吉の寵愛もあり
上杉家の石高は120万石であった。
敗軍は当然、家禄没収が常識。
戦後処理の謝罪交渉が功を奏し
交渉の末、米沢30万石へ。
以前の石高の1/4である。

しかし、上杉家は家臣の放逐はせず
家禄は減らしても、家臣を養い続けた。
当然、米沢藩は困窮し続けたが
兼続の思想である教育事業も衰えず
上杉米沢藩中興の祖、上杉鷹山も登場した。
結果、幕末まで改易にならず
廃藩置県まで存続したのである。
人に対しての扱いが、思想となり
存続永続の基を作った
のである。



後水尾天皇
関ヶ原の戦いで政権を握った幕府は
様々な制度で治世の礎を築いていく。

2代将軍徳川秀忠の娘、和子(まさこ)を
後水尾天皇の中宮(正室)に送り込む。

また、禁中並公家諸法度により
天皇、公家は政治に口を出さず
文芸に励めと朝廷を追い込んでいく。

あらゆる幕府の朝廷掌握策の
止めが紫衣事件と呼ばれるものだ。

僧侶に高位を表す紫衣を贈る権限は
元来、天皇にあり
朝廷の貴重な収入源でもあった。
それを幕府の認可が必要な
法度(法律)にしたのである。

それまでの歴史で法が天皇の権威を
凌駕することなどありえなかった。

後水尾天皇は怒り、幕府に許可なく
従来通りの紫衣を贈ったのだが
幕府はそれを無効とし
関わった人間を島送りなど処罰した。

そのことは後水尾天皇の逆鱗に触れ
退位を決意。女帝明正天皇に譲位した。

これも幕府に相談許可なくである。
当時、女帝は婚姻することは出来ず
徳川の血が入った明正天皇は
子をなすことが出来なくなったのである。
天皇家に徳川の血は入れぬという
後水尾天皇の皇室防御の一手であった。
権威を守るために、権力へ立ち向かった
天皇でもあった。


基本的に守る側は力が弱い方が多い。
しかし、その守る時の姿勢が
大きくその成果を左右する。
大義や誇りや信念があればあるほど
その守りは強い。
大切なものを守り抜く強い意志
時代を越え、我々に感銘を与える。
本物の強さというのは
こういうものを言うのではないだろうか。


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



恐怖というのは
『準備が必要なことが起きるぞ!』
という予感である。

アンソニー・ロビンズ




人間の一生は失敗の連続でもある。
いつも成功している人に
お目にかかるのは難しい。

全て上手くいっている・・・
いつもそう言っている人がいるが
それは自己暗示習慣であろう。

前向きの言葉を発することは
心身に悪くはないから
自分自身の処世の術として
否定はしない。

さて失敗の多い人の特徴だが、
映像記憶力が優れている場合が多い。
別の観方をすれば
忘却力が劣っていることでもある。

スポーツの世界では常識になっている
イメージトレーニング法は
プラスのイメージを繰り返し
自分の深層心理へ叩き込む。

これは人間の脳の機能である
過去の成功映像や
理想のイメージをなぞるのである。
これにはコツがある。

イメージと動作を連動させて
訓練するということだ。
筋肉は意思を持たないが
動きを記憶する。

このイメトレ効果は逆にも作用する。
過去の失敗シーンが
まざまざと蘇り、同じようになぞる。
見事に同じ失敗を繰り返す。



失敗シーン
失敗した経験は誰にでもある。
しかし、それを繰り返す人と
二度とやらない人の差は
何であろうか?

それは・・・
忘却力分析力洒脱力
の相関の差でないか・・・

忘却するのも能力である。
うっかりの忘れるのは癖であるが
意思を持って忘れるのは能力である。
イヤなシーンはまず記憶の
フォルダから削除せねばならない。

しかし、それだけではまた再現する。
失敗の分析をしなければならない。

これは科学的に行う。
人間は冷静になって
数字や統計を現象に重ねると
納得するのである。
その分析のテーマは
ズバリ!「行ってはいけない道!」だ。

もうひとつ是非付け加えたいのが
洒脱力である。
悲しみや苦しみは突き詰めると
”おかしみ”になるのである。

チャップリンの映画は典型的だ。

失敗をユーモアで包み込む。
ミスを諧謔で自笑する。
落とし穴をジョークで切る。

こうすることによって
失敗シーンのアーカイブは
小さな存在として整理されるのである。



大成功シーン
小さな成功の積み重ねは
自分の成長と時の流れ
シンクロしていて

体感があり
喜びもあり
冷静でもありえる。

しかし、とんでもない大成功になると
少し違ってくる。

それが”たまたま”と心の処理が
出来てればいいが
そこが基準になってしまう場合がある。

そうなると常時自分の
パフォーマンスに納得できず
不満、不平、不信
巻き起こしてしまう。

東洋思想的と思われるかもしれないが
驚きの大成功を体験した時
”お祓い”する考え方がある。

それは、先人の知恵であろう。
好事魔多しである。

大成功のシーンを実力でなく
漫画のシーンくらいで
捉えてるくらいがちょうど良い。

もちろん1回ぐらいは大成功を!
思っている人間が大半だが。



屈辱シーン
恥をかかされた・・・
面前で大失敗・・・
無能呼ばわり・・・


こんな屈辱シーンは
何年たっても忘れられない。
その度に
顔を赤らめ
怒り狂い
叫びたくなる。

そして訪れるのが怨恨の世界だ。
他人を、環境を、社会を、恨み始める。

そうなると不幸の迷宮に入り込む。
もがけばもがくほど
抜け出すことが出来ない迷宮だ。

そんな世界に誰もが入りたくない。
処方箋はひとつ。

その屈辱シーンを
自分の笑いネタにすることだ。

自分の心にひた隠しにしておくと
そこを突かれた時はもちろん
他人があれを覚えていて
秘かに嘲笑しているのでは・・・?と
周囲を憎み始める。

こちらから晒すのである。
自分の恥部を晒すことの出来る人は
その屈辱シーンを言えば言うほど、
そのトラウマから遠ざかっていく。

ぎこちないのは最初だけだ。
後はどんどん気が晴れていく。
そのうち、あの経験があったから
自分は強くなれたと確信する。

百害でなく、百利しかないのだ。
心配しなくて良い。
面白いネタで周囲を楽しませて
あげれば良い。



失敗してはいけない・・・と思うと
人は失敗するのである。

何故か?
心にバイアスがかかる
それが行動に関わってくるからである。

結局、良くて中途半端
悪くて過去と同じような再現シーン。
最悪は過去よりもひどい!
・・・なども現れてくる。

マイナスイメージを自分から
消すには処方箋が要る
その処方を知っていれば

失敗も怖くなくなる。
行動も促進する。
知恵も働くのだ。

映像の呪縛は
自分でしか解けないのである。




■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。




成功の姿は
人によってみな異なる。


松下幸之助

人は何をもって、あの人は
「成功者だ!」
「勝ち組だ!」
「立派になった!」

と思うのであろうか?

当人にとっては
まだまだ夢の途中
聞き流しているのだろうが・・・

中には自分で吹聴している人物がいる。
その姿はどうも立派には
映らず、どちらかというと
みっともなく映る。

成功の姿は、みな異なる。
それを語る人間の基準で語るからだ。
相対的なものである。

そこでなるべく蓋然性のある
姿を成功の証として列挙してみた。



税金納付
いきなり成功の姿がこれ?と
思われるかもしれないが
社会貢献の最たるものが納税である。

その使われ方には
様々疑問の余地はあるが
それは別として
数字に表されるのは
やはり成果を上げた人間と
社会的に評していいのではないか。

収めた税金は基本的に
社会還元に回る。
その流れは明確で公式な社会貢献だ。
税金を多く収めた組織や人間
成功者と位置付けるのは
フェアな着眼と考えられる。



長期雇用
日本の起業数が
ここ20年で1/3になったという。
3年以内に半分が倒産する現状を
考えると起業精神も
萎えるのかもしれない。

しかし、日本は老舗企業も多い。
老舗企業は、
従業員の平均従事時間も多い

長く人を雇うということは
給与を払い続けられるからだ。
その給与は社員の家族を守り
市場での支払いに回る。

さらに長く在職するのは
居心地が良い証でもある。
その内容が
仕事の内容なのか
会社の雰囲気なのか
リーダーへのロイヤリティか・・・。

それは様々あるだろうが
とにかく長く居たい職場なのだ。

そして安心感である。
人は一時の金銭より安心感を
選ぶ確率の方が高い。
つまり安定は何よりも周囲を
安らかな気持ちにさせる。

このような環境を作り上げ
結果、長期雇用が出来る組織や
人間を成功者と呼んでいいであろう。

社員をたくさん採用しても、
瞬く間に退職者続出という
会社がある。
これでは成功とは言えない。
退職者の怨嗟の声
巷にまき散らすことになる。

日本の組織運営の課題は
人材の確保だ。
人材が人財になるには
時間が必要である。
その時間を確保できるということは
長期雇用につながる。
自分を高めてくれた組織には
愛着は湧くであろう。



後進出世
有能な人材を多く輩出する
組織や指導者も成功者であろう。

確かに有能の定義には
様々あるであろうが
前述の税金納付や長期雇用が
出来る人材の輩出だけでも
素晴らしいのではないか?

マズローの欲求の五段階を見てみる。
上から述べると・・・

⑤自己実現の欲求
      ↑
④尊厳の欲求
      ↑
③社会的欲求
      ↑
②安全の欲求
      ↑
①生理的欲求


後進出世を促すには
③の社会的欲求の刺激から始まる。
これは対外的な評価が関わってくる。

尊厳の欲求自己を高めることだ。
ここに気付かない人間は指導者には
向いていない。

自己実現の欲求が芽生えた時
後進を新しい世界へ
船出をさせてあげれるかどうか・・・?

もちろん自己実現が独立とは限らない。
しかし、この段階まで来ると
本人には、組織の精神的な庇護感
薄れている。

有能な人間が自分の監督下から
離脱していくのはつらいことだが
マズローにある自己実現のために
自分や組織を選んでくれたと思えば
気持ちよく羽ばたかせてあげたい。


税金を納め、人を雇用し、後進を育てる。
どれも簡単ではないが
これらをとことん出来る組織や人間を
成功者と位置付ける感覚は
社会の価値観を安定させる要因になる。


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。

初めに結論を言え。
理由は3つ以内にしろ。

田中角栄


昨今、結論を先に・・・という
社会風潮が
当たり前なってきた。

効率を求めるビジネス社会では
益々この傾向が強い。

とはいえ未だに
長々と理由、言い訳から
話し始める人は多い。

他人のそういう話し方に
ストレスを感じていながら
実は自分でもそんな話し方
やっている人間もいる。

とかく人はプロセスを
聞いてもらいたい
生き物なのかもしれない。


結論
報告・連絡・相談・提案・反論・・・
全て結論から入る習慣
身に付けよう。

・・・だから何が言いたい?
と最後にならないために
最初に

今回は○○でいきたいのです。
ご承認願えますか?


こんな切り出しで
会話をスタートして欲しい。

そうするとこの会話の主題
最初から明確になり、
ことの成否で考えていける。



理由
結論を先に述べると
当然

「何故だ?」
「理由は?」
「根拠は?」


と返答される。

結論を言うくらいなので
理由や根拠は明確であろう。

ここでは理由も3つくらいは
揃えておきたい。

3つ揃えると相手も

突っ込み処が少ない。
話し合いもダラダラならない。
結論の信頼性も上がる。

さらに付け加えると
3つの理由は異なる角度からの
論拠であると尚良い。
多角的に考えていることが
伝わってくるのである。



数字
結論を最終的に
承認、認知、納得
導くのはやはり数字である。

人は数字を出された時点で
イメージが具現化する。
時間、金額、比率・・・

これらは互いの共通観念であり
客観視の大きな手助けとなる。

さらに付け加えると
表やグラフ、他の事例なども
付加すると更に優秀である。

ましてや自分が進める企画なら
ここは最後に気迫も欲しい。

責任を委ねる方は
最後は担当者のやる気
気になるのである。


論理だった回答や提案には
聞き手を安心させる
様々な要素がちりばめられている。

相手を不安にさせない。
相手に不満を抱かせない。
相手に不審を起させない。

そういう内容は社会で
日の目を見る確率は高い。

普段から結論優先主義
自分に課した言動を
心掛けることだ。
それが当たり前になるくらいまで
徹して訓練していこう。


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。




得ることが難しく
失いやすいのが
時間である

吉田松陰

   

時間の奴隷という言葉がある。
決められた時間の中で
責任を負わされ
それを全うしていく。

少しでも時間の枠から
逸脱しようものなら
非難を浴び虐げられる。
時間に追われ
時に迫られ
時は金なりと脅される。

これで良いのか?

時間を御する自助の力
身に付けようではないか。


切迫感
いつも何かに追い込まれている。
その息苦しさで、心身を病ませる。
その迫りくる正体は何なのかと問うと
・・・わからない。

故事に「自分の影におびえる犬」とある。
これは判断力の欠如
招く心理描写である。

これを取り去るために
今の状況の事実確認をすることだ。
そのひとつひとつを精査すれば
安心する。多少時間はかかるが・・・

荒療治もある。
その迫りくるものをやり過ごす方法だ。
何が自分に襲い掛かってくるのか・・・
正体を見極めれば良い。

追い詰められた人間は
冷静な判断が出来ない。
そしてこの切迫感は
時間の感覚を奪う。
君子、怪力乱心を語らず」である。
怪しい力や乱れた心を
とやかく言うものではないという意味だ。

予測が出来ない事に
気を回す必要はないのだ。
予測できるのならその対処の手を
冷静に備えるだけである。


無聊感
時間の浪費の最大の敵だ。
日々、多忙の人間が休暇に
何にもしない・・・
これは無聊ではない。
心身を休ませているだけだ。

人は生きている限り
常に何かをしているものだ。
この無聊の世界に馴染むと
あっという間に歳をとる
それも何もなしえないままにだ。

考えることは嫌なのか?
創造することは嫌なのか?
準備することは嫌なのか?

人は何もしていないようで
この3つを自然にやっている。
その効果はすぐに出ることもあるし
数十年後に出ることもある。

人は明日に、未来に向かって
歩むことしか出来ないのだ。
過去には戻れない。
自分の脳細胞を殺さぬためにも
無聊撲滅すべしである。


焦燥感
人は焦るとロクなことはない。
間違う
外れる
見失う

・・・が起きる。

いつも焦っている人間がいるが
それを周囲は心配性と
オブラートに包んだ優しい表現
してくれている。

時間管理の世界から見ると
それは単に準備が出来ていない
もしくは準備に自信がないのだ。

この焦燥型の人間は
真面目な人が多い。
迷惑をかけてはいけない。
流れを止めてはいけない。
数字を上げなくてはいけない。

全てスタンスとして正しい。

しかし、これらは全て準備の問題だ。
準備にリスクマネジメントの手
加えるだけでこの焦燥感はなくなる。
予測した通りにならなかったら
この手を打つ・・・。
こうすれば、なんら問題はない。

あとは結果を真摯に受け止め
次に活かすだけである。
焦る時間を削減するには
準備に時間をかけることである。


人は人生という有限の時間の中で
何かを成し遂げようとする。
だが人は何でも出来ないのである。
自分の人生の中で
これだけはやった・・・というものが
あれば良いではないか。
ひとつのことをやり遂げるだけでも
称賛に値するのである。

時間は偉大である。
想いをもって時間を費やすと
必ず何らかの形で応えてくれる。

時間は人を無視しない。
時間を無視した人には
報いが降りかかるだけだ。

時間は素晴らしく、恐ろしい。


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



人は笑い方でわかる。
知らない人に初めて会って
その笑顔が気持ちよかったら
それは良い人間と思って
さしつかえない。

ドストエフスキー




縁に出会っても
気付かない人
活かさない人は多い。

テクニカル的なことだが
それは会話術の問題だ。

最初の出会いというのは
相手を知ることから始まる。

ビジネスでは名刺交換。
最初の情報は名前だ。

あまり見ない苗字だと
「なんとお読みすれば・・・」
「お珍しいお名前ですね・・・」
「何か謂れがあられるのでは?」

などと会話は始まる。

よく目にする苗字の場合は?
今度は名前に触れる。

では山田太郎さんのように
苗字も、名前も良く目にする場合
どんな会話を始めれば良いか?
考えてみて欲しい。

名前が終われば、仕事内容へ・・・。
名刺ひとつで会話は
どんどん進んでいくのである。

相手に関心が持てるかどうか?
これだけの問題である。

自分を知ってもらいたければ
まず相手のことに関心
持つことが唯一の道である。

人は関心を示した人にしか
関心を示さないのだから。



同価値観
初めての縁で
何かを話し合ううち
お互いがほとんど同じ考えだと
感じたら時には
話しは大いに弾む。

経営の話
人育ての話
政治の話

あらゆるカテゴリーで
何故か考えが似通っている。
縁の結合が始まっている。

しかし、不思議なことに
人は自分と同じ発想を持った人とは
縁が深くはならない
ことになっている。

それは小さな世界で自分と相手を
比較してしまっているからである。

総論賛成、各論反対が世の常だ。
親しくなると各論で対立するのだ。

だから同価値観の者同士は
たまに会うくらいがちょうど良い。

常に総論賛成で付き合う
幸せは長く続くのである。



同環境
初めて出会った人なのに
話をしていると
・・・・・?・・・・!!
となることがある。

それは、育った環境が
似通っている場合である。

同郷、同窓生、同職場・・・
時間のタイムスリップである。
共通話題で話が止まらない。

またこういう場合もある。
全く違った土地で育ったが
育った家庭環境
似ている場合

恵まれていたとは言えない
家庭環境などが共通していたら

苦労した時間
つらかった時間
悔しかった時間

これらが縁の結びつきを
強めてくれる。

さらに同種の部活話題。
厳しさ比べなど
かわいい争いで楽しめる。

同環境は時間の共有観念
生まれやすい。
発芽の縁としては
極めてスムーズな縁であろう。



同趣味
この縁は実に強い。
特にあまり参加人口が
少ない趣味となると
もはや一族並みの親密さ
短い時間で打ち解けていく。

普段は周りが自分の趣味を
あまり理解してくれない。
これはストレスである。

そんな中で同趣味のオフ会などが
開催された時には
故郷に戻ったような心持となる。

現代社会は、個の時代である。
本当に好きなもの
時間とお金を使う。
そんな共通点も絆を深める
要因となっている。

趣味の世界は
日常の秩序や年功序列
忘れさせてくれる。
自分の時間を平穏にするには
そんな仲間は実に良いものだ。



出会いは・・・
様々な形でやってくる。

突然の出会い
満を持しての出会い
なんとなくの出会い

しかし、個々の出会いに
意味付けするのは自分だ。

その意味付けを
運命論宿縁論で語るのは
あまりお勧めしない。

未来の楽しみが増えた
幸福論で語った方が楽しい。

出会いには
悪縁・逆縁・業縁などが
あるのは確かであるが
それは全て後付論である。
最初の出会い、発芽の縁から
自分が過ごしてきた帰結だ。

だから全ての出会いを
楽しむことから始めよう。、
運命は出会いでしか変わらない。