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自考能力開発講座

自分で考え、自分で行動するには、何が重要か?”考える”ということはどうすれば出来るのか?過去にとらわれ、今に悩み、未来を憂う人に贈る『自考能力開発講座』

■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。




流れに逆らおうとしたところで
無駄なことだ。
流れに身をまかせれば、
どんなに弱い人でも
岸に流れ着く。


セルバンテス




諦観という言葉がある。
これは”あきらめの心境”と
訳すると誤解を招く。

諦観の”諦”は
途中で投げ出す
あきらめの意ではなく
”明らかに”が原意だ。

明らかな眼で真理を観る
・・・という意味になる。

真・言・体の真を
見抜くことは
誰もが求めることであり
極めて前向きの言葉なのである。



寛容
指導の際に、自説を生徒に
刷り込もうとする師がいる。

生徒の尊敬や憧憬が
ある場合はそれも良いだろう。
しかし、稀なケースである。

師たる者は、まずは全てを
受け入れてみることだ。

多種多様な生徒は
多種多様な世界に
飛び出していく。

指導するにしても
思考や感性の源流を
知らずして、
ベクトル教育は出来ない。

師の持つ思考や感性は
生徒の拙いそれらと接すると
当然、口にして改めたくなる。

しかし、まずは受け入れる。
それが師としての宿命でもある。



遠謀
深慮遠謀の遠謀である。
遠くのことを計ることだが
師は生徒の遠く、すなわち
未来を見据えた指導
しなければならない。

生徒にとって
そんな先のことを・・・と
実感のないが故
受講に身が入らない。

しかし、それでも師は
来るべく”その時”を想定
何度も何度も同じことを
伝え続けなければならない。

眼の前の理解は
ほとんどない。
虚しさを感じるだろうが
遠い時間のある時に
開花する気付きに賭けるのである。

我が身がこの世になくとも
その事績は生徒に残る。
それが師の功績である。
身無くも教え残る・・・
最高の指導ではないか。



淡笑
師は基本、笑みを
湛えておくべきものと考える。

それは、あらゆる生徒へ
門戸を開けておくためである。

仏頂面の入り口は窮屈だ。
偏屈の玄関は避けたいものだ。
依怙地の顔に人は寄って来ない。
いつも大笑いも不気味だ。
冷笑も近寄りがたい。
微笑みは最高だが保ちがたい。
そこで淡笑だ。

小さく、ささやかな笑顔・・・
師はその顔を作り上げてはどうか。
笑顔も練習である。

その成果は
生徒の警戒感を解き
生徒の安堵感を招き
生徒の純粋感を引き出す。

その淡笑から発する言葉は
生徒の心にスッと入り込み
未来へ歩む助けとなる。

自我を出さず平静な笑みが
師の平常になった時
本物の師弟の関係が始まる。



諦観という言葉は
熱情を帯びた言葉ではない。
元気を与える言葉でもない。
活発さを促す言葉でもない。

それは
静かで、素直で、冷徹な言葉である。
そこには現実を真摯
受け止める姿勢がある。

生徒が上手くいけば良し
上手くいかなくても良しの姿勢が
そこにはあるのだ。

組織の長や指導者、師業、先生・・・
人に影響を与える立場の人間
身に付けなければならない
帝王学の学び・・・
それがこの「諦観」なのである。




■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



学習の最大の敵は
過去に学んだことである。

ジョン・C・マクスウェル



折角勉強したのに
現場で使えない・・・。

こう習ったのに
社会では逆のことを言う・・・。

今まで費やした学費は
ムダに終わった・・・。


よくある学びの嘆きである。

ここには学びに対する
誤解があるのだ。

学びの原則を知っていれば
こんな悔いは
生まれてこないはずだ。


模倣
新しいことを学ぶ時
人の大半は希望に満ちている。
素晴らしい姿勢である。

それが学んでいるうちに
思っていたのと違う・・・
難しくてわからない・・・
あっちの方が面白そう・・・

こんな感情が芽生えるのは
まず、何のために学ぶのか
明確になっていなくて
新しい世界に飛び込んだことだ。

次に学び初めは
真似ることから始めるという
原則を知らない。

極論を言うと、
理解より先に真似ることである。
これが一番理解を早める。
下手な理解は、下手な過去の自分
引っ張り出してしまう。

さらに学びは
過去の自分と決別するため
あるのだ。

未知の世界に飛び込んだのだ。
冒頭から自分の感性や思考を
前面に出しては意味がない。

過去の自分から成長する気が
ないと思われても仕方がない。

まずは愚直に真似る
でないと初級の試験にも
合格しない。


工夫
いつまでも真似ているわけではない。
師や先達の言わんとしていることが
言葉の最初で察することが
出来始めたら、次にいこう。
それが工夫だ。

これまで真似て覚えた来たことがある。
その中で疑問に感じていたこと・・・
必ずあるはずだ。

学んだことを他者へ述べる時
学んだ通りに伝えていて
違和感や閉塞感を感じている
ポイントがあるはずだ。

こうなったら工夫エリア
自分が入ったことになる。

ここで翻訳能力が試される
その時機に合わせた翻訳がいる。
また翻訳する姿勢が
原意をさらに深く知ることにもなる。


独創
工夫の数が原意の大半を
占め始めたら
お待たせした
自分の感性や思考を
大いにぶつけてよい。

模倣・工夫の果てである。
原意の幹は持っている。

構成を組み替える。
不要なものは排除する。
進取のものを取り入れる。


自分のオリジナルである。
それがオリジナルなの?
そう、オリジナルである。

全ての元祖、流祖、家元は
原型がある。
突き詰めていけば
他の生き物や植物
自然界のあらゆる事象現象が
基になっている。

独創は過去の更新・書き換えだ。
そこに自分の魅力が
初めて反映されるのだ。
自分の発想に勇気を持とう。



現状が上手くいっていないから
過去の素晴らしかったものを
再現させようと風潮がある。
それは・・・

現代の知識への冒涜
現代の知恵への非礼
現代の知性への反逆


なのである。
定着はしない。

温故知新
不易流行
換骨奪胎


これらの言葉が今だに
我々の教えとして残っているのは
昔の良いところを
今風に変換し
未来への役に立てよ

教えているのだ。

学びの時計は
止まらない。

自分の過去に拘らず
自分の過去を侮らず
自分の過去を活かす

その為には学び続けるサイクルに
我が身を乗せていく必要がある。



■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



人間の嫉妬は、彼らが自ら
いかに不幸に感じているかを
告げるもので、
彼らが他人の行為に絶えず
注目しているのは、
彼らみずからが
退屈していることを示すものだ。

ショウペンハウエル



小人閑居して不善をなす・・・
未熟な者が暇をしていたら
つまらない事に手を出す・・・。

些事にこだわるばかりに
眼の前の大事を疎かにし
些事の良否左右ごときで
腹を立て、文句をまき散らす。

それが重なり
自分の身の上を嘆き
それを人のせいにする。

それが重なり
自分の人生をはかなみ
それを世間のせいにする。

それが重なり
自分の運命を怨み
それを天のせいにする。

自分を含め
誰もが望んでいない姿・・・
人ごとではない。



嫉妬
他人の成功や栄達に
やきもちを焼く・・・。
人間は確かに比較の生き物だ。

しかし、この比較の扱い方により
人生が大きく変わってくる。

切磋琢磨して自分を鼓舞する。
自分のレベルを確認する。
目標を定めて努力の柱にする。


比較はこのような扱いを
しなければならない。

自分の成長に役に立つ扱い・・・
これが比較の使い方である。

嫉妬に陥る背景は
強欲、支配欲、金銭欲、名誉欲・・・
これらに代表される卑賤の欲である。

この卑賤の欲は
”恐怖心”から生まれるものである。

人に好かれないから金が無いと・・・
バカにされるから出世しないと・・・
今の地位を奪われたくないから・・・

自分がネガティブな環境と
誤解している世界に
自分が陥るのが怖いのである。

だから他人に先を越された場合
脅威に感じ、嫉妬は起こる。

競争社会だから比較は
当たり前なのである。

問題は比較の捉え方ひとつで
それは大きな力になる。

他人との比較は参考である。
過去の自分と比較することが
嫉妬を生まない着眼である。



不遇
人は環境によって
生活そのものはもちろん
性格や考え方、行動様式まで
変わってくるのである。

環境が自分の理想と
かけ離れる
その差に・・・

ついていない
運がない
天に見放されている


こんな感情で日々を過ごす。

誰にも人生の中で
不遇、もしくは不遇感
味わった、感じたことは
あるはずである。

現状と理想の差を
埋める思考
をしないと
不遇感は芽生える。

その不遇意識は
周囲に負のオーラ
まき散らす。

よって一番肝心な人の縁が
断ち切れ、築けず、消えていく。

まずは今を受け入れることしか
解決策はない。

不遇な環境で・・・

これだけはやり遂げる。
ここまでは作り上げる。
こうなるまで続ける。

こんな姿勢で
遠くの理想形でなく
近くの到達目標
を掲げ
動いてみることだ。

自ら考え
自分で動き
結果を出していく。


この単純なサイクルが
当たり前になった時
不遇感は雲集霧散している。

そうすると、不思議に
新しい世界が開けてくる。
夢か?魔法か?奇術か?
そんなものではない。
単純な話だ。
誰かが観てくれていただけだ。



絶望
絶望感は誰にも
感じたことはあるかもしれない。

もうだめだ・・・
あとがない・・・
自分はダメな人間・・・


こんな時、
人は自暴自棄になりやすい。

絶望感は、特定の分野や世界で
自分が歩んできた道
閉ざされてしまったと感じる状態。

こんなに頑張ったのに・・・
あれだけ尽くしたのに・・・
真面目にコツコツきたのに・・・


これ以上のことは
もう出来ない。

これ以外のことを
今さら出来ない。

これ以降は
もう考えられない。

人はこんな時・・・

自死を選ぶか?
逃避を選ぶか?
ジッと待つか?

最悪なのが自死である。
人は生きている以上
何かやらなければ
ならないことがあるのだ。


命は無限ではない
いつかは死を迎える。
それまでは生きねばならない。

逃避も逃げ方である。

失地回復
捲土重来
汚名返上

悔しさの熱情をもって
逃げる・・・一時撤退である。
この悔しさが重要である。
それがなく逃げたのなら
間違いなく復活は難しい。

ジッと待つ・・・待ち方がある。
この時間をゴルーデンタイム
してしまうのである。

どういうことか?
待つだけに時間はある。

その時間をどう活かすかである。
それを自己の鍛錬練磨に使う。
知識・知恵・知性のサイクル
グルグルと回すのである。

これまで手を付けなかった分野
これまで避けていた分野
これまで嫌っていた分野

これらに取り組むことで
見えていなかった世界
見えてくる。

それは希望になりうる。
絶望は希望がないからである。

希望は他人が
授けてくれる場合もあるが
自分でその光を灯す方が
スピード感が違ってくる。

絶望の壁の上を見ると良い。
これを壺中天の教えという。




怨恨は誰も得をしない。
他責社会がはびこる
世の中であるが
めぐり巡って自分に返ってくる。

実は善行も同じである。
ただ返ってくるペースが
遅いだけである。

だから善行は忘れる方が
返ってきた時に感動がある。

怨恨は誰も幸せにはしない。
まず、恨んでいる当人の
健康が間違いなく病む

罵詈雑言を水に浴びせかけて
その分子を顕微鏡で見ると良い。
ぐちゃぐちゃの分子構造だ。

もっとひどいのが
罵詈雑言を発した側の分子構造だ。
ぼろぼろになっている。

水は負の波動を感知するのだ。
そう、人体の65%は水なのである。

怨恨は誰もが望んでいない。
恨まれる方は知らぬ間に
恨まれている。
そんな恨まれることはしていない」と
いつもそう思っている。

恨む方も、恨んでいる自分は
好きではないし、憎んでさえいる。

しかし、人はそれぞれの価値観
日々を営んでいる。
だから、相互の価値観が合致することは
ほとんどないのだ。


それがピタりと合えば、
それは僥倖、稀有、奇跡だ。

他人と合わない価値観を

すり合わせていく
融合させていく
組み合わせていく

この知的作業が
世の中を支えているのだ。
怨恨退治には知性を磨くことだ。





■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。




あなたの中には、
表現されるのを待っている
力強い天才が潜んでいる。
それは、教育や躾けでは
押さえつけられなかった
力である。

オーソン・ウェルズ



人には誰にでも
可能性というものは
あるものだ。

ただ可能性のまま
終わることが多い。

形にして
主張して
評価を受ける・・・


こうすると眼に見えない
可能性領域から
事績の残る
事例領域になる。

では可能性を形にするには
何が必要なのか・・・?





何かを目指さないと
何にも成れない。

自分の可能性を信じて
人は挑戦する。

最初に願ったものには
なかなか成れないが
それを目指すことで
培われた経験やスキル
派生した、または他の世界で
大いに役に立つのだ。

「どうせなれない・・・」
などとつまらない事
口にしてはならない。

心の中の才は誰にでも
あるのだから。




知性
志を立てたなら
それが叶う行動
移らなければならない。

それには冷静な判断が要る

自分の才を知り
目指す世界を知り
今やる行動を明確にする。


そこを支えるのが知性だ。

知識に経験を足すと
知恵になる。

知恵に志を足すと
知性になるのだ。


知性を身に付けるには
知識も、知恵も
経験も、志も
必要なのだ。



情熱
志を形にし
知性を動かす
のが
情熱である。

情熱には様々な種類がある。
執念、根性、使命感・・・
ここには
願いや想いが宿っている。

しかし、これらには
ある危険が伴うのだ。

上手くいかない時に
芽生える暗黒の芽である。
妄執、嫉妬、怨恨、・・・

これらが可能性という
花の成長を阻害する。

そこで最高のワクチンがある。
可能性を潰す悪玉菌を
駆逐してくれるワクチンである。
それは笑顔なのである。

笑顔の科学的効能は
年々明らかにされている。

周囲を惹きつける執念
失敗を笑い飛ばす根性
微笑みを湛える使命感


可能性を形にするには
やはり周囲の人間の
支えや応援や協力
必要なのである。

独善にならず
卑屈にならず
悲嘆にならない・・・

そんな情熱で
可能性を追い求めて
いくのである。



人は年代ごとに
第1志望を掲げる。
それにトライするのだが
上手くいかなくて落ち込む。

一時的に落胆するのはいいが
新しく来る環境下では
同じことをやってはいけない。
考えるのである。

運命や縁の話に
自分を落とし込んではいけない。
考えるのである。

他の責任や環境の不遇に
逃げてはいけない。
考えるのである。

自分の中にある才は何なのか?
必ずあるのだ。

今出来ないことで
自分の可能性を閉ざしては
ならない。

人生はリーグ戦なのだ。
明日、勝てる策を練ろう。



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心配とは、行動の不足から
起こるものである。
      
野村 克也


段取り八分・・・
ほぼ準備で決まる・・・
という訓えがある。

その準備を怠ると
戦わずして負けている。

就活生を指導しているが
準備の出来ている者から
内定が出ている。
実に簡単な理屈とも思う。

その準備はもちろん動くことだが
ただやみくもに動けばいいという
ものではない。

行動には施策がいる。


方向
まずは自分が何をやりたいのか?
これを決めないと行動には移れない。

しかし、何をやりたいかが
分からない・・・という者がいる。

周囲がこれはどうなの?
あれが向いているのでは?
などと助言するがピンとこない。

そのうち助言者も
何も言わなくなる。

昨今の世の中は英才教育なのだ。
その道で一流になろうと思えば
出来るだけ早くその世界を
知り、調べ、試さなければならない。

動かなければなどと
迷っている暇はない。

昔に比べて情報が多い。
だからこそ、決められないのだ。

だが方向決めはそう難しくない。
早く決めれば、
ダメな時も、すぐに引き返す時間
充分にある。

方向を早く決める。
方向はとりあえず決める。
方向にいち早く触ってみる。

向かえばきっと何か見え始めるのだ。



方策
方向が決まれば
次は肝心な取り組み方だ。

どんなアプローチが良いのか?
どこから攻めれば良いのか?
どんな風に始めれば良いのか?

提案である。
まず、方向が決まった時点で

達成までに必要な条件を
3つに絞る。

その3つにそれぞれ準備内容を
書き出してみる。
3つの準備内容を比べて見た時

一番易しいことから始める。
一番楽しそうなことから始める。
一番コストのかからないことから始める。

取り組みやすいことから始めるのだ。
そうすると自分の行動見え始める。

そうなるともうスタートだ。
形になるまではとにかくやってみる。
それが叶うと、あとの2つは
スムーズに取りかかれる。



方便
計画と実践内容が
多少ズレても気にする必要はない。

最初に決めた方向の中で
行動しているのだから
多少のズレなどなんら問題ない。

動き始めたら、
形にすることだけを考えるのだ。

出来不出来の精査は
後々で良い。

最初からキレイな成果を
望むと後が続かない。

小さな結果をたくさん出していくのだ。
営業の新入社員の人間なら
1日1回はお客様をホメる電話をする。
売り込まない。

お客様の美点凝視を
徹底してやってみる。

3か月もやれば
90人のお客様の美点を
形にした自分がいる。

その後何が起こるか・・・?
是非、やってみると良い。
楽しい出来事が待っている。



計画を綿密に立てすぎると
ほぼその通りにはいかない。

現場に近づければ近づくほど
細かい部分がズレるのである。

方向が間違っていなければ
問題はない。

方向決めで進む道を定めたら
その道をどんな方法で進むのか?

途中で色々あるだろうが
方向が間違っていなければOKである。

綿密が悪いわけではないが
少々ズレただけで
悲嘆にくれることはない。
諦めることはない。
慌てることでもない。

とにかく方向だけは見失わないことだ。



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青年は教えられるより
刺激されることを欲する。


   ゲーテ



人間は外部の影響により
成長していく。

その影響の最たるものが
”刺激”である。

ではその刺激の正体は?
具体的な眼の前の現象である。
この”具体的な”というところが
ポイントである。

特に若い者は
眼の前のリアリティに
驚愕し、感動し、憧れる。

もちろんそれは自分の
興味関心を持つ
世界あってのことだが・・・。




数値力
熱い気持ちは大切である。
へこたれない根性の好ましい。
明るい笑顔も大きな武器だ。

しかし、物事を数値化する能力は
組織運営にとって何よりも貴重だ

人材採用の際には
若者の言葉にこの数値意識が
あるやいなや?
ここも重要視したい。

人に理解をしてもらいたいのなら
どうしても数字に置き換えて
表現する必要がある。

コンビニでバイトしていました!
レジでの対応能力はどのくらいですか?
例えば1時間当たりの平均接客数は?

サークル活動で責任者でした!
責任者時の新規メンバー獲得率は
どれくらいでしたか?

部活で補欠からレギュラーになりました!
トレーニングで一番数値が伸びた
項目はどんな内容でしたか?

こんなやり取りだけで、
数字意識が見て取れる。

若い人には、自分が歩んできた行動を
人前で数値化した表現で
1つ、2つ言えるように

今を過ごしてほしいものだ。



顕在力
無から有・・・
これが仕事の本質である。

考えやイメージを
形にする能力は大切な素養だ。

この顕在能力は
あらゆるシーンにおいて
評価が高い。

客先でのプレゼン
会議での提案
クレーム処理の対応

具体性が高いほど
周囲の理解が早いのである。

採用時に
履歴書ひとつ見ても
それは現れる。

簡潔に、明瞭に、ポイント抑え・・・
こんな文章を見ると
資質がうかがい知れる。

面接時に応える言葉が
下手な装飾や婉曲な表現が多いと
少し不安を感じる。

明るく、素朴に、具体的に
話す姿は気持ちが良い。
時折、情景が浮かぶ形容詞
入ると尚好ましい。

顕在化は無機質ではダメだ。
そこには明朗さが欲しい。
そうでないとぶっきらぼうに映る。

面接という短い時間の中で
採用担当者も、学生も
相互理解を深めなければならない。

そこに互いの共通概念
ひとつでもあると
良い出会いになるはずである。



再現力
仕事が出来る人材の
特徴のひとつが
再現力である。

同じ仕事を繰り返し
同じルーティンで
同じ結果を出す。

この能力は組織を
安心させる資質である。
計算が出来る人材ということだ。

このような人材には
作業から仕事に
早くシフトさせ、
経験を積ませてあげると良い。

最初は戸惑うかもしれないが
流れを覚えると
確実に仕事を仕上げてくる。

再現力は主に作業領域で計れる。
作業が出来ない人間に
仕事を振ることはできない。

仕事は作業の仕組み
作ることである。

よって作業の重要性を
感じ得ない人間は
仕事をやらせても
現場にアジャストした仕事は
出来そうにない。

作業の中に仕事あり
仕事の中に作業あり

この関係性を理解した人間が
管理へと歩を進める。

まずは作業現場の再現力の
確認が重要である。




実証性の能力のある人材は
経験の少ない若者の中に
見出すのは難しいかもしれない。

しかし、中には素晴らしい実証性を
示す若者はいるのである。

組織が求める人材の評価に
是非、この実証性のポイントを
高めにつけることをお勧めする。


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。

神様は私たちに
成功して欲しいなんて
思っていません。
ただ、挑戦することを
望んでいるだけです。


マザー・テレサ


何事も新しいことを試みる時
すんなり取り組める人と
二の足を踏む人に分かれる。

その違いはなんであろうか?
それは・・・
成功への期待感と
失敗への恐怖感の
割合の問題なのだ。

その割合を形成するのが
それまでの環境に他ならない。

どんどんチャレンジする人が
素晴らしいのか?
何も行動を起こさない人が
ダメなのか?

一概には言えない。
それはどちらも過ぎれば
上手くいかないからだ。

現代社会は閉塞時代が
長かったせいか
どうも、慎重消極型が多い。
もう少しだけ勇気の割合
増やせれば良いと思う。


革新
歴史をふり返れば
革新革命の主人公は
概ね若者である。

そのエネルギーは
過去の慣習やしきたりへの
アンチテーゼである。

今の環境では居心地が悪い。
だから、自分らで新しい環境を
創造したいと思うのである。

既存のルールの中に
放り込まれた人間は
違和感を感じながらも
忍従の日々を過ごす。

ここで2つに分かれる。
これまでの環境に馴染む人間
どうしても我慢できない人間だ。

この我慢できない人間も
やはり2つに分かれる。
周囲に愚痴や文句を吐き出す人間
代替案をもって今を変えようとする人間だ。

代替案を持つ人間も2つに分かれる。
強烈な刺激で変えようとする人間と
既存を懐柔しながら変えようと人間だ。

前者を革命家といい
後者を
変革者という。

前者は革命後不要となり
後者は新しい世界を主導する。

変遷には様々な役割がある。



捨てる
イノベーションの初動は
まず捨てるものを
決めることにある。

それが・・・
機能なのか・・・
デザインなのか・・・
人なのか・・・
考え方なのか・・・
組織なのか・・・
価値観なのか・・・

何をイノベートするかによって
捨てるものも変わってくる。

また、捨てられる権限も大きい。

組織の下層部の人間が
人を捨てる権限はないであろう。

組織の上層部の人間が
組織を捨てる覚悟は難しい。

ここは現実的にいこう。
眼の前をイノベーションするには
デザインからが入り易い。

これは入社したての人間にも
可能なのだ。

受付の花の種類、置き場所くらいは
出来るのではないか?
それって、イノベですか?
もちろんイノベーションだ。

眼の前の変化や改善が出来なくて
組織のイノベーションは無理である。

但し条件がある。
その花を使った意味は何か・・・?
価値観の移動・付加・塗り替え
背景にないと
イノベーションと言えない。

意味を持って「捨てる」
これがイノベーションなのである。



批判
既存のものを変えようとすると
必ず批判が起きる。

それに慣れた人間には
余計なことをするな!」である。
ましてや、その推進者が
ヨソ者、バカ者、ワカ者なれば
尚更に批判し、抵抗する。

しかし、変革を推進する者は
批判を怖れてはならない。
その対処はこのプロセスを試みる。

①批判内容を精査する。
  本当に今の現状を改善改革
  したいのなら、反対勢力の
  主張に謙虚な姿勢で臨むことだ。
  そこに実があれば見直す勇気
  必要なのである。

②批判者を説得する。
  ①のプロセスの中でどう考えても
  自分のプランの方が適していると
  判断したら、相手を丁寧に説得する
  努力をしなければならない。

③批判勢力を切る。
  ①②のプロセスを踏んで、相手が
  現状を堅守しようとすれば、致し方ない。
  イノベーションを進めよう。
  もし、邪魔をするようになったら排除する。


イノベーションは戦いなのだ。
それを進める人間は
未来への先見や可能性を
論理立てて主張できねばならない。

組織内での大義が重要なのだ。
1人のアイデア
イノベーションは動き出す。

しかし、それを形にするには
周囲の協力や応援が不可欠である。

勇気は蛮勇ではない。
勇気は卑屈を絡ませない。
勇気は周りを惹きつける。

本物の勇気こそが
挑戦を支えてくれるのである。


■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。




人は城、人は石垣、人は堀、
情けは味方、仇は敵なり


武田信玄




いつの時代も経営者が
悩むのは「売上」「儲け」
そして「人」だ。

特に人に関しては

新人教育
中間管理職研修
幹部道場

…などと世の教育機関も
その悩みを見抜いている

しかし、それも第一関門たる
採用プロセスの後の
話となってくる。

組織の城、石垣、堀に
なれる人材を採用することが
出来るか否か・・・
組織の命運は
ここにかかっている。




作業テスト

新人の資質を見抜くひとつに
作業テストを試みてはどうだろう。

どの組織にも
ルーティンワークがある。
これは作業である。

決まったことを
決まったように
決め続けなければならない。

循環・再現・継続
この能力が必要となる。

単純作業と思われがちだが
この作業が出来ないと
その組織では
仕事を任せられない。

何故なら仕事は
仕組みを作ることである。

その為には
作業という仕組みの結果を
どのように取り組むかによって
仕組作りの素養がわかる。
作業の中に仕事ありである。

作業が出来るか否かの
テストは様々ある。

例えば袋詰め作業をさせてみる。

姿勢を観る。
黙々とやる者
必死にやる者
怠ける者

時間を観る。
時間内にピタッと終える者
誰よりも早く終える者
時間内に出来ない者

出来上がりを観る。
解説書通り仕上げる者
よりキレイに仕上げる者
雑な仕上げで済ます者

単純にこの3つの要素の
相関を観るだけでも
作業資質はわかる。




創造テスト

良いものは活かし
悪いものは改める・・・
組織はこの当たり前のことが
なかなか出来ない。

そこには過去の因習慣習前例という
壁が目の前に立ちはだかるからだ。

誰もがそれではいけないと
思いつつも・・・
「誰かがやるだろう・・・」と
先送り・・・そして衰退。

そうならないためにも
改善・変革・再考などが
出来る人材が欲しい。
イノベーション力である。

削減するという問題意識
速度を高めるという着眼
デザインを変えるアイデア

これらは資質に
委ねられることが大きい。
何故なら、センスだからである。

こんな試みはどうであろう?

ここに変哲もないボールペンがある。
これを新商品に変えてください!」と
テーマや狙いだけを与える。

それ以外の情報は一切与えない。
予算の質問も受け付けない。
期間明示もしない。


創造性は現実の制約があると
出てこないものだ。
何が出てくるか・・・?
採用担当者も楽しみである。



耐性テスト

人材の可能性を観る時に
この耐性テストが
最低限の試金石になる。

仕事を覚える段階で投げ出す。
上司先輩の叱責で泣き出す。
結果実績好評価と焦り出す。

全ては耐性能力の問題である。

ではそれはどうやれば計れるか?
一番単純なテストが
ロールプレイングである。
テーマは「クレーム処理」などが良い。

人は怒りをぶつけられた時に
どんな反応を示すか・・・?

喧嘩状態になる者
固まってしまう者
逃げ出してしまう者

耐性チェックにもなるが
対応能力対人能力なども
計れて様々なことがわかる。

社会に出立ての新人さんは
毎日が新しいことの連続である。
誰もが通った道とはいえ
本人にとっては初めてのこと。

不安・焦燥・ストレスが覆う。
その時に、この初期段階くらいは
難なく越えられる人材でないと
人財にはなりえない。

五月病はスタート段階のストレスが
一時解放されるGWの休みがあるから
生まれるのである。

それは何故か?
未熟な人間は考える時間が長すぎると
ほぼ間違いなくネガティブ発想になる。

辛いこと、苦しいこと、、悔しいことが
思い起こされて、心痛に悩まされる。

中には親が
つらかったら辞めてもいいのよ」と
止めを刺すケースもある。

入社したての実績は
評判にはなっても
評価にはなりにくい
だから新人諸君は
安心して仕事を覚えることだ。




人事関係の担当者や
人事権を握る管理職の人間は
人を扱うのが仕事である。

採用時には様々な思惑があるだろう。
将来の幹部候補
即戦力
人手不足の備え・・・
その思惑を見抜く眼力は
着眼にある。

心と言葉と行動に着目してはどうだろう?
その3つの座標点が
どの象限にあるのかを観るのだ。
3つとも同じ象限にあれば
素直な人材だろう。
素直に明るい。素直に暗い。
素直に前向き。素直に後ろ向き
ということだ。

心だけ別の象限にあると観た場合
心座標がプラスエリアなら
社会的な振舞いの教育がいる。
心座標がマイナスエリアなら
5月病の可能性も秘めている。

言葉や行動はわかり易いので
やはり心の持ち様を重視したい。

単純な下のマトリックスなどでも
面接時に座標点を入れるだけで
また違った観方が出来る。




■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。



アクセントは会話の生命である。
アクセントは会話に
感性と真実を与える。

ジャン・ジャック・ルソー

「聞く」と「話す」は
表裏一体
である。

聞きながら話し
話しながら聞く…

そのやり取りが会話。
能動的である話す動作は
特に気を付けたい。

話しながら聞く姿勢が
絆を深めていくコツ。
この世は一人では
生きていけない。



簡潔に
  
話す目的は

自分の考え方や意見などを
他人に伝えることだ。

その話の初動
何を伝えたいのかを
持ってくることだ。

その考えに至った経緯は
その後で良い。

そのスタートさえ切れれば
話の内容も明解になる。

相手が何について
聞かされているのかが
わかるからだ。

言いたいこと
伝えたいこと
わかって欲しいこと

これを最初に持ってこないと
会話はややこしくなる。



確認して

話す時に

自分が解っている単語は
他人も解っているだろうと
決めつけて話す人がいる。

会話の快適さは
平易な言葉の質量で決まる。

横文字は極力使わない。
難解語は翻訳して。
注釈をアクセントに。

肝心なキーワードを
理解されないと
目的の意思伝達には
程遠くなる。

難しいことを
簡単にするのは
難しい。


能力の高い人が
社会の上席の人が
指導者が

話をする時には
平易への翻訳
心掛けないといけない。

理解できないのは
聞く側でなく
話す側の責任だ。


同調で

一方的に自分の言い分を

怒涛の如く話し
会話を終わらせる…。
これほど虚しいことはない。

聞く相手の
テンポに合わせながら
理解度を確認しながら
意見をもらいながら…
話さなければならない。

特に意見をもらった時の
同調度合いは大切である。

話してはいるが
相手の知識や知恵を
上手く引き出すために
相手が話しやすい
話し方が重要。

互いのリズムやテンポが
噛み合った会話は
楽しいし
有意義だし
次につながる。

会話は独唱ではない。
合唱である。




巧みな話をする人は
聞く人を何時の間にか
引き込んでいる。

相手にとって心地よい…
トーンやアクセントに
リズムやテンポに
ピッチやピリオドに
魅了されていく。

それは天性のものか?
そうではない。
やはり場馴れ・経験により
培われていく。
何気ない会話ひとつ
疎かにしていては
話手の魅力は身につかない。



■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。




玄中玄
句中玄
体中玄


臨済義玄





臨済宗の開祖の教えである。
は真理や真実を指す。

物事の本質を見抜く時に
もっと言うと、その人物に
真実があるかなしやを計る時
言葉や振舞いや仕草・・・
人の真意は現れる。




真の中の真の意味だが
言葉に出さず
態度にも出さず

滲み出るものである。

しかし、現代社会は
心の内をなんらヒントもなく
見抜くことは
はなはだ難しい。

普通に、気負いなく、淡々と
過ごす日々の中に
それは育つ。

それは人生の幹となり
生きる糧になっていく。
真の中の真・・・
それが魅力の根源でもある。




言霊という言葉がある。
発した言葉は・・・

他人を動かし
環境を揺らし
自分を変える


言葉にはそんな力がある。
言葉は

施し
癒し
鼓舞する


また
言葉は

凶器であり
脅しであり
怨恨も招く

全て真の真が姿を変え
音として現出する。

罵詈雑言
言訳三昧
怨みつらみ


を続けていると病気になる。
細胞が壊れるからだ。




人は他人の表現具合で
その人を判断する。

気遣い上手は
評価が高い。


粗暴目立てば
評価が低い。


何もしなけりゃ
評価もない。


その表現は全て
真から発している。

その真が清明であれば
それを人は感じる。

その真が邪悪であれば
それを人は避ける

体を動かすのは真である。



自分は人見知りで・・・
自分は不器用で・・・
自分は心配性で・・・


そんな言は発しないことだ。
出来ない理由ととられる。

それを言いたい自分の
真に焦点を当てねばならない。

なぜ人見知りなのか?
なぜ不器用なのか?
なぜ心配性なのか?

遺伝でも、環境でも、影響でもない。
全ては思考である。

思考のベクトルを変え
思考のフィールドを変え
思考のネガティブを変えるのだ。


それで自分の真は輝き始める。