■自考能力開発の為にテーマに対して3つの着眼を独自に考えてお読みいただくと効果的です。

人間の嫉妬は、彼らが自ら
いかに不幸に感じているかを
告げるもので、
彼らが他人の行為に絶えず
注目しているのは、
彼らみずからが
退屈していることを示すものだ。
ショウペンハウエル

小人閑居して不善をなす・・・
未熟な者が暇をしていたら
つまらない事に手を出す・・・。
些事にこだわるばかりに
眼の前の大事を疎かにし
些事の良否左右ごときで
腹を立て、文句をまき散らす。
それが重なり
自分の身の上を嘆き
それを人のせいにする。
それが重なり
自分の人生をはかなみ
それを世間のせいにする。
それが重なり
自分の運命を怨み
それを天のせいにする。
自分を含め
誰もが望んでいない姿・・・
人ごとではない。
嫉妬
他人の成功や栄達に
やきもちを焼く・・・。
人間は確かに比較の生き物だ。
しかし、この比較の扱い方により
人生が大きく変わってくる。
切磋琢磨して自分を鼓舞する。
自分のレベルを確認する。
目標を定めて努力の柱にする。
比較はこのような扱いを
しなければならない。
自分の成長に役に立つ扱い・・・
これが比較の使い方である。
嫉妬に陥る背景は
強欲、支配欲、金銭欲、名誉欲・・・
これらに代表される卑賤の欲である。
この卑賤の欲は
”恐怖心”から生まれるものである。
人に好かれないから金が無いと・・・
バカにされるから出世しないと・・・
今の地位を奪われたくないから・・・
自分がネガティブな環境と
誤解している世界に
自分が陥るのが怖いのである。
だから他人に先を越された場合
脅威に感じ、嫉妬は起こる。
競争社会だから比較は
当たり前なのである。
問題は比較の捉え方ひとつで
それは大きな力になる。
他人との比較は参考である。
過去の自分と比較することが
嫉妬を生まない着眼である。
不遇
人は環境によって
生活そのものはもちろん
性格や考え方、行動様式まで
変わってくるのである。
環境が自分の理想と
かけ離れると
その差に・・・
ついていない
運がない
天に見放されている
こんな感情で日々を過ごす。
誰にも人生の中で
不遇、もしくは不遇感を
味わった、感じたことは
あるはずである。
現状と理想の差を
埋める思考をしないと
不遇感は芽生える。
その不遇意識は
周囲に負のオーラを
まき散らす。
よって一番肝心な人の縁が
断ち切れ、築けず、消えていく。
まずは今を受け入れることしか
解決策はない。
不遇な環境で・・・
これだけはやり遂げる。
ここまでは作り上げる。
こうなるまで続ける。
こんな姿勢で
遠くの理想形でなく
近くの到達目標を掲げ
動いてみることだ。
自ら考え
自分で動き
結果を出していく。
この単純なサイクルが
当たり前になった時
不遇感は雲集霧散している。
そうすると、不思議に
新しい世界が開けてくる。
夢か?魔法か?奇術か?
そんなものではない。
単純な話だ。
誰かが観てくれていただけだ。
絶望
絶望感は誰にも
感じたことはあるかもしれない。
もうだめだ・・・
あとがない・・・
自分はダメな人間・・・
こんな時、
人は自暴自棄になりやすい。
絶望感は、特定の分野や世界で
自分が歩んできた道が
閉ざされてしまったと感じる状態。
こんなに頑張ったのに・・・
あれだけ尽くしたのに・・・
真面目にコツコツきたのに・・・
これ以上のことは
もう出来ない。
これ以外のことを
今さら出来ない。
これ以降は
もう考えられない。
人はこんな時・・・
自死を選ぶか?
逃避を選ぶか?
ジッと待つか?
最悪なのが自死である。
人は生きている以上
何かやらなければ
ならないことがあるのだ。
命は無限ではない
いつかは死を迎える。
それまでは生きねばならない。
逃避も逃げ方である。
失地回復
捲土重来
汚名返上
悔しさの熱情をもって
逃げる・・・一時撤退である。
この悔しさが重要である。
それがなく逃げたのなら
間違いなく復活は難しい。
ジッと待つ・・・待ち方がある。
この時間をゴルーデンタイムに
してしまうのである。
どういうことか?
待つだけに時間はある。
その時間をどう活かすかである。
それを自己の鍛錬練磨に使う。
知識・知恵・知性のサイクルを
グルグルと回すのである。
これまで手を付けなかった分野
これまで避けていた分野
これまで嫌っていた分野
これらに取り組むことで
見えていなかった世界が
見えてくる。
それは希望になりうる。
絶望は希望がないからである。
希望は他人が
授けてくれる場合もあるが
自分でその光を灯す方が
スピード感が違ってくる。
絶望の壁の上を見ると良い。
これを壺中天の教えという。
怨恨は誰も得をしない。
他責社会がはびこる
世の中であるが
めぐり巡って自分に返ってくる。
実は善行も同じである。
ただ返ってくるペースが
遅いだけである。
だから善行は忘れる方が
返ってきた時に感動がある。
怨恨は誰も幸せにはしない。
まず、恨んでいる当人の
健康が間違いなく病む。
罵詈雑言を水に浴びせかけて
その分子を顕微鏡で見ると良い。
ぐちゃぐちゃの分子構造だ。
もっとひどいのが
罵詈雑言を発した側の分子構造だ。
ぼろぼろになっている。
水は負の波動を感知するのだ。
そう、人体の65%は水なのである。
怨恨は誰もが望んでいない。
恨まれる方は知らぬ間に
恨まれている。
「そんな恨まれることはしていない」と
いつもそう思っている。
恨む方も、恨んでいる自分は
好きではないし、憎んでさえいる。
しかし、人はそれぞれの価値観で
日々を営んでいる。
だから、相互の価値観が合致することは
ほとんどないのだ。
それがピタりと合えば、
それは僥倖、稀有、奇跡だ。
他人と合わない価値観を
すり合わせていく
融合させていく
組み合わせていく
この知的作業が
世の中を支えているのだ。
怨恨退治には知性を磨くことだ。
