朝礼スピーチのねた ブクロ -441ページ目

トレド戦争終結!

 1835年から1836年に起こった、アメリカ合衆国オハイオ州隣接するミシガン準州の間の無血の境界紛争


 この紛争は、1787年から1805年までの間に可決された、矛盾する州と連邦の立法行為のさまざまな解釈に由来し、言い換えればそれは主として五大湖地域のある一定の特徴を持つ状況の乏しい理解から生じた。


 1835年初頭には、どちらの側も他方の降伏を強いることを意味した法律を可決したが、どちらも係争地域の権限を譲ることを嫌がり、彼らは民兵組織を立ち上げ、一方の州当局に従った市民に刑事罰を設けるのを助けた。

 両方の民兵はトレド近くのモーミー川の両側の位置に動員されて対峙したが、お互いのけなし合い以外にはそれほど相互の影響はほとんどなかった。この「戦争」の唯一の軍事的対立は、一人の犠牲者も出さずに、空砲が撃たれたという報告で終了した。



 これにより「戦争」は非公式に終結した。

 しかし、会議の招集それ自体に議論がないわけではなく、立法府が会議への招集に同意しなかったので、会議は不法であるとある者は言った。結果として、決議は拒否され、多くのミシガン居住者はこれをあざ笑った。議会は最終的にその解決を受け入れる前に、会議の合法性を問題にした。これらの要素のために、当時の長く続いた有名な寒波によることもあって、この出来事は後に「凍傷になった会議」として知られるようになった。


 1836年12月14日、極度の財政危機に直面していたミシガン準州政府は、アメリカ合衆国議会とアンドリュー・ジャクソン大統領の圧力のもとに土地を諦め、議会で採択された決議案を受け入れた。その譲歩の結果、ミシガンは、その州制とアッパー半島のおよそ4分の3と引き換えに、そのストリップへの主張を諦めた。当時この譲歩はミシガンにとって乏しい成果と考えられたが、後の銅と鉄の鉱床の発見とアッパー半島の豊富な木材はストリップの損失を埋め合わせて余りあった。

シャクルトンの統率!

今日は、忠臣蔵討ち入りの日、南極の日です。(忠臣蔵も書きたいなあ!でも今日は、シャクルトンです。)


【活用場面】

 究極の統率!命の大事さ!


 アーネスト・シャクルトンはアイルランド生まれの探検家であり、南極大陸横断という目標を達成しなかったが、奇跡的な統率者としてその名を残した。


 シャクルトンは、南極大陸横断を目標にかかげながら、南極大陸にたどりつくことさえできなかった。目的を達するという意味では、そのはるか手前で失敗したことになる。

 ところがその失敗から、人類の成しとげた偉業のなかでもとりわけ心を打つ奇跡が産まれた。

 エンデュアランス号の乗組員28名が船を失い、氷の世界を一年近くさまよった後に、一人も欠けることなく生還した事実は、人間にこれほどの力があったのかと、心の奥にずっしりとした感動を呼ぶ。


 エンデュアランス号の奇跡は、シャクルトンとその一行が心をひとつにして、奇跡を自分たちの力で勝ち取った物である。

 それはまさに船の名前が暗示するように「エンデュアランス(不屈の忍耐)」によって、希望の持ちようがない状況のなかで希望を持ち続けたこと、自分の野性を信じたこと、仲間への忠誠、そして神秘体験、シャクルトンの体験のひとつひとつが「生きのびろ! 生きのびる力を人間は持っている」と伝えてくれる。この本は、決して諦めず、生きのびたいと願う人々への応援歌である。


 この記事では伝えられない感動があります。是非ご一読を!

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日中戦争、南京陥落!

 1937年12月1日、大本営は従来の方針を変更して、松井司令官に対して「海軍と協力して南京を攻略すべし」との命令を下達。


 攻撃を前にした松井岩根軍司令官は「日軍百万すでに江南を席巻せり。南京城はまさに包囲の中にあり。今後の交戦は百害あって一利なし・・・日軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆及び敵意なき支那軍隊に対しては寛大をもってし、これを犯さず。東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり」と説いて、南京城を平和裡に明け渡すことを求める投降勧告文を作らせた。
 この勧告文は12月9日、飛行機により南京城内に散布された。


 12月12日、南京防衛司令官・唐生智は多数の軍民と共に降伏声明も出さずに場内から脱出した。司令官を失った支那軍は混乱状態となる。南京城から脱出しそこない逃げ場を失った多くの兵士は便衣(平服)に着替えて安全地帯にもぐりこむ者が多く、敗残支那兵のご多聞に洩れず、市民に対する略奪、暴行、放火の発生したことが居留外国人によって各所で目撃されている。


 12月13日早朝、敵が大方逃げ出したので南京城内に突入する。各所で敗残兵、便衣隊の抵抗があったが、何とか南京城の占領を完了。(便衣兵の掃討が虐殺と誤認?)