日中戦争、南京陥落!
1937年12月1日、大本営は従来の方針を変更して、松井司令官に対して「海軍と協力して南京を攻略すべし」との命令を下達。
攻撃を前にした松井岩根軍司令官は「日軍百万すでに江南を席巻せり。南京城はまさに包囲の中にあり。今後の交戦は百害あって一利なし・・・日軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆及び敵意なき支那軍隊に対しては寛大をもってし、これを犯さず。東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり」と説いて、南京城を平和裡に明け渡すことを求める投降勧告文を作らせた。
この勧告文は12月9日、飛行機により南京城内に散布された。
12月12日、南京防衛司令官・唐生智は多数の軍民と共に降伏声明も出さずに場内から脱出した。司令官を失った支那軍は混乱状態となる。南京城から脱出しそこない逃げ場を失った多くの兵士は便衣(平服)に着替えて安全地帯にもぐりこむ者が多く、敗残支那兵のご多聞に洩れず、市民に対する略奪、暴行、放火の発生したことが居留外国人によって各所で目撃されている。
12月13日早朝、敵が大方逃げ出したので南京城内に突入する。各所で敗残兵、便衣隊の抵抗があったが、何とか南京城の占領を完了。(便衣兵の掃討が虐殺と誤認?)