大阪冬の陣、和議成立!
大阪城の外堀を埋める和議が成立した日です。
大阪の役は、徳川幕府が豊臣宗家を滅ぼした戦いです。
方広寺の鐘銘の「国家安康」は「家康」の文字を2つに切って徳川家を呪うものであり「君臣豊楽」で豊臣家が再び君主になろうという意図を秘めたものだ、という言いがかり(方広寺鐘銘事件)が大阪冬の陣に発展します。
かくして1614年11月、大阪冬の陣が起きます。戦況は真田幸村らの軍が一人気を吐いた他は徳川側の優勢のまま和議へ。和議の内容は書面で交わした分には非常に豊臣側に有利なものでした。淀君も満足だったのですが、その時に口約束で、大阪城の外堀を埋めることを豊臣側は同意しました。
しかし、この口約束というものがくせ者でした。
工事が始まると豊臣側はびっくりします。徳川側が外堀だけでなく内堀まで埋め始めたからです。
当然抗議しますが、きちんと書面で交わしたものではなく口約束であったために、豊臣方の主張を徳川方はのらりくらりとかわし、かわしている間に、きれいに工事は終わってしまいました。
かくして大阪城は完全に裸城になってしまいます。
そして、春4月。その裸城になった大阪城に対して、家康は諸大名に攻撃を命令。
4月26日、大阪夏の陣が開戦し、豊臣家は滅ぼされます。
自然をなめるな!
今日は、防災とボランティアの日とおむすびの日です。
【活用場面】
自然を相手にする難しさ!天を恐れよ!
1995年の阪神淡路大震災を受けて、防災とボランティアの日と炊き出しのおむすびの日になっていますが、自然界の驚異は人間の力では超えられない物があります。でも人災としての面も見逃せません!
平成11年8月14日、神奈川県玄倉川の中州にテントを張り、キャンプをしていた18人の人たちが、折からの大雨とダムの放水による激流に飲まれ、13人が命を落とした事故がありました。
この災害による事故は、油断と自然の驚異をないがしろにした行動だったのではないでしょうか?
当日の現地は晴天、川の水かさも少なくアウトドアとしてのキャンプをしている人たちは、ゆめゆめ激流になるとは思ってもいませんでした。
しかし、ダム管理事務所や警察は上流地帯の降雨状況を把握しており、その後もダム放流のサイレンを鳴らし、再三の警告を発して避難を勧告していました。
しかし、この勧告をリーダーをはじめとした大人が無視したばかりに、幼い子どもたちを含めた13名の命は水に飲まれてしまいした。
天災ではなく間違いなく人災です。自然に感謝し、自然を味方にする知恵こそが生きる知恵です。
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大自然との戦い!
1995年の今日午前5時46分52秒、京阪神地区でマグニチュード7.3の地震が発生しました。
死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名を出した大地震は、後に阪神・淡路大震災と名付けられました。
