大阪冬の陣、和議成立!
大阪城の外堀を埋める和議が成立した日です。
大阪の役は、徳川幕府が豊臣宗家を滅ぼした戦いです。
方広寺の鐘銘の「国家安康」は「家康」の文字を2つに切って徳川家を呪うものであり「君臣豊楽」で豊臣家が再び君主になろうという意図を秘めたものだ、という言いがかり(方広寺鐘銘事件)が大阪冬の陣に発展します。
かくして1614年11月、大阪冬の陣が起きます。戦況は真田幸村らの軍が一人気を吐いた他は徳川側の優勢のまま和議へ。和議の内容は書面で交わした分には非常に豊臣側に有利なものでした。淀君も満足だったのですが、その時に口約束で、大阪城の外堀を埋めることを豊臣側は同意しました。
しかし、この口約束というものがくせ者でした。
工事が始まると豊臣側はびっくりします。徳川側が外堀だけでなく内堀まで埋め始めたからです。
当然抗議しますが、きちんと書面で交わしたものではなく口約束であったために、豊臣方の主張を徳川方はのらりくらりとかわし、かわしている間に、きれいに工事は終わってしまいました。
かくして大阪城は完全に裸城になってしまいます。
そして、春4月。その裸城になった大阪城に対して、家康は諸大名に攻撃を命令。
4月26日、大阪夏の陣が開戦し、豊臣家は滅ぼされます。