農閑期の暮らし方!
【活用場面】
日本本来の良さを大切に!
今日は「御事納め」や「御事終い(おことじまい)」といい、農作業を締めくくる日とされていました。
旧暦の12月8日から2月8日は、農閑期であるとともに厳冬期なので、野外を避けて屋内での作業を中心にするための節目であったともいわれています。
現代の社会は競争原理が主流で、企業は競争社会で戦わなければつぶれてしまい、個人も競り合わなければ生き延びることが出来ません。
しかし、この狩猟民族的な弱肉強食の姿が、我々日本人が本来求めていた幸福な生き方なのでしょうか?
かつての我々の祖先は、自然に感謝し、自らの汗と努力により恵みを得る農耕社会でした。みんなで協力し、みんなで作物を作り、みんなで配分する社会、そして誰も傷つけないみんなが笑って暮らせる平和な社会を目指していたのでは・・・
もちろん、農耕社会がすべて平穏無事なわけではなく、そこには我々人間の英知の及ばぬ大自然との共栄と言う難しさがありましたが、昔の日本人は自然への畏敬の念を持ちつつ上手に生活していたんだなあと改めて感心しています。
我が国固有の農耕社会の勤勉、団結、協力の姿を大事にしていきたいものです。
忘年会シーズンにタイセツなもの!
是非機会があれば使ってみて下さい!
幾山河、ブルースの女王!
姉と言うには年が離れすぎで、知らないかたの方が多くなってるのではと心配していますが、以前物まね番組の採点者として常に清水アキラに厳しい採点と酷評をしていた淡谷のり子さんの話です。
無理矢理、音の日と姉の日両方にかけてみました。
淡谷のり子さんは、明治40年青森の裕福な家に生まれ、東京の音楽学校に入校しました。
歌唱力があり将来を嘱望されていましたが、時期悪く青森の家業がつぶれてしまい、学費が工面できず、裸婦のモデルをしながら学校に通っていました。
その後、お金の為に歌謡曲の世界に入り、幸いにも良い曲に恵まれ、「別れのブルース」「雨のブルース」とヒット曲を出しました。
しかし、当時の日本は徐々に戦争に突入していき、淡谷さんが一番好きだった「夜のプラットホーム」と言う歌は、軍国主義に合わないという理由で発売禁止になりました。
淡谷さんは、戦場に赴き、死の旅に出る兵隊さんの前で、兵隊さんがリクエストする曲を歌うという、つらく悲しい日々を過ごしたと言うことです。
戦争が終わり、大好きな「夜のプラットホーム」を歌えると思っていたところ、既に二葉あき子さんの持ち歌になったおり、さらに全世界でヒットしていきました。
このときほど悔しく悲しい思いをしたことはなかったそうです。
その悔しさや苦しい苦境ををバネにし、努力を重ねブルース界において「ブルースの女王」として歌謡界で活躍・君臨するまでになったのです。
「人生、山あり谷あり。」です。未来を夢見ることも大事です。でももっと大事なのは、今を楽しく、充実させることです。なぜなら、今が変わらなければ、決して未来も変わりませんから・・・
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すばらしい友人は、「知的財産」です。



