昨夜、天秤座満月のお月さま。
シンクロらしき事もありましたんで、
先月思いっきりやらかした事件について
詳細は書けなくても
自分の思いは書いておきたいと思った。
長いけど心理学に関心があるような
人なら読めるのかな?
ーーーーーーーーーーーーーー
ある方に思い立ってメールしたのです。
何で今頃な事を蒸し返して。
その方が冷たくなった気がしたのを
単に自分が嫌われただけかもしれないが
(それは全く仕方のない事だ)
これというほどな事件はなかった。
礼儀正しい方とお見受けしていたので
単に虫が好かない程度で
つれなくするのは
何とも不自然だと思っていたのを
ある時ふと思いついた事があって。
まぁ友人?が何かしたかと疑ったわけです。
メールした方とは
おそらくお互いそんなに近い関係、
重要な間柄という訳ではない。
なのにかなり以前に起きた
そんな事を何故か今更
確認したくなってしまったのですね。
オチが見えていると思うけど
友人?が何かしたなんて事実はなかった❗️
どころか相手の方には
わたしに冷たくした意識もなかった。
単に当時忙しくて
全体にレスポンスが滞っただけだった。
なのに長いこと悩ませてしまいましたねと
大人の対応で謝られた(~_~;)。。。
いやー冷たくなったと思った事自体
気のせいと思う気持ちもあったし
(だから余計確かめられなかった)
当時のその方の大変さは重々知っていた。
起こったことはそれだけだ。
この件、何でここまで拗れたかって。。。
「何か悪いことが起こったとしたら
それは原則自分が悪いためである」
信念がわたしにあるためである。
だから自分の側にあるに違いない
問題点をともかく探した。
何でそんな信念ができたかというと
「何か悪いことが起こったとしたら
わたしが悪いはずはないので
それは原則相手が悪いためである」
という破れ鍋に綴じ蓋の
家族に囲まれていたからです。
何か問題が起きたとしても
人間対人間のお互いの常識の違いというか
どっちのせいともいえないすれ違いが
実際には大部分だと思うのだけど、
それは一言で言えば
コミュニケーション不足というわけだが。
コミュニケーションなんていうのは
相手を理解したい、
納得できるものなら受け入れたい、
仲良くやっていきたいと
原則思っている人に対して
有効なのであって、
「言い合いならわたしの土俵ね、
思いのままにしてやる」と
思っている相手にやっても
不毛なばかりか
あとあと自分が損をするだけなのだ。
与えたデータを
思いがけないところで利用されて
わたしの足を掬うタネにされる。
これをオカルちっくに言うと
「悪魔と対話してはいけない」
と言うんだが(ーー;)
(相手のペースに引き込まれるからね)。
誰しも完璧な人はいない。
何か人間の間に問題が起きた時に
よくよく考えれば
自分の側にも何らかの理由
(悪いって意味じゃないよ)はある。
ただその内省を相手だけに要求する。
そして見つけたでしょうと
鬼の首を取ったように嘲う。
まぁそんなご家族だった。
というのは全く上手に立ち回れなかった
わたしの邪推であって
多分当の本人は
「わたしはいい子なのに!
わたしが何か間違っていたなんて
受け入れられない!
そんな事を言うあなたって酷いわ」
くらいなところで
思考停止していたんじゃないかな。。。
知らんけど←
いつも彼らは
うちわで済まそうとした。
外に話が漏れるのを嫌った。
自分が後ろ暗いことをしている
自覚はあったんだろう。
わたしはなんだかんだ言って
彼らが好きで自ら迎合したのだ
(まぁ本当の幼少時はそうして
生き延びるしかなかったけども。
子どもの初期設定は
家族が好きなものだけど)。
依存と支配の心理戦なんです。
出る言葉と実際の思いが違う
裏表のある不毛な
コミュニケーション?を
ずっとしていたために
わたしはすっかり何も信じられなくなった。
そうなると
不毛な心理戦を延々としてきたが。
相手の気持ちを慮って(たつもりで)
一緒に陰湿な閉じこもりをしていたが。
これからはチャンスがあれば
衆人環視の社会の中で
質問などをして綴じ蓋の人も
風に晒してやりたい。
その中で自分の考えていた事が
間違いと本当にわかればそれもいい。
さしあたりこいつに何かすると
面倒な事になると思わせたら上出来。
わたしが先回りして飲み込んで
受け入れてしまっていたので
ラッキーと便乗していたその人たちでも
突きつけてやればまた変わる事も
ある「かもしれない」。
綴じ蓋の方たちとはお付き合いというか
接点がまったくなくなるのが
(別の面を合わせて付き合えるようになる)
理想とも思うが、ご縁というか
この経験を選んで産まれた理由ってのも
あるのかもしれないと思わなくもない。
ともあれ。
今回その方の胸を借りたような
「良い間違い」の経験がわたしには足らない。
色々感じ取って(だけで)
こういうものだと思い込んで
受け入れてしまっていた部分が多い。
それが
「そうかもしれないけど
でもそうではないかもしれない」
という緩みがやっとできているので。
自分の全てが変とは思っていないのだが
(結構真っ当な
人間とも思っているのだが)
この信念領域から脱するにあたって
これからもたくさんわたしは
こうした恥をかくんだろう。
変化していく、
成長していくってこんな事だろうとも思う。