少し前のことになりますが、友達とお花見をして神社にお参りもしてきました。

そこで御神籤も引いたのですが

その御神籤がまた
今の私にドンピシャリ!

「潔く行きよ。誰のためでもない自分のための人生を…後悔と執着を捨て、今目の前にある喜びにこそ生きる意味を見いだせ」

というものでした。

昔からお節介やきなところがある私。
良かれと思ってしたつもりのことが感謝されるどころか迷惑がられたりすることも家族の中でもありましたし

昔は父に、優しすぎるところが欠点だと言われたこともある私。

けれど最近は自分の人生に集中しよう!
って以前よりそれを実践していて
まさに御神籤の言葉のように生きたいと思っていただけに

後押しされたようなメッセージでした。

そして、その後に
友達と映画「リメンバー・ミー」を観に行ったのですが、

始まる前にシナモンロールを買っていて、いざ食べようとしたらフォークがないんです。

結局友達がフォークを貸してくれて食べることはできたけど

忘れられた!

という思いのまま映画がスタート…なはずが、

何故か「アナ雪」が流れる…

(・・?

おまけかなぁ?

と思って観ていたのだけど、なんかそれにしては長い、

大丈夫?もしや部屋を間違えた?

でもチケット見せたよね?

アナ雪のおまけがあるなんて言ってた?

アナ雪この時間実は上映?

って、友達も私も心の中でざわざわしながら
リメンバーミーが始まるのを待っていたもんだから、

せっかくのディズニーからのサプライズプレゼントだったのに後半はあまり楽しめない自分がいました。

終わってから友達とその話をしたのですが
きっとその劇場にいた人たち全ての人が私たちと同じ感情だったわけでは当然ないと思います。

勿論中には私たちと同じく不安になった人もいるかもしれないし

もしや係員に確認しにいった人もいるかもしれないし

あれ?なんでアナ雪が?ラッキー♪

という人もいるだろうし

アナ雪で終わってもそれはそれでいいか♪

という人や

そもそも何も疑問に思わずアナ雪に集中していた人もいたでしょうね。

私たちは、
なんだ、オマケがあるよって教えてくれたらいいのに急なサプライズだったから喜べなかったわ!
みたいな感じがあった自分たちを見つけたと同時に、

良かれと思って親切なことをしたつもりが受け取ってもらえないことが
こうしておこっていたのかもね、というのを知れたり、

友達が植物園の入場券を
券売機で買って、入場する際に、何故か
おじさんがチケットをちぎるのを、これまた
良かれと思って?チケットをわざわざ切り離して、

はい、って手渡した瞬間、おじさんが

勝手に切り離さないで下さい(-_-)

と、ムッとされちゃった事件があったんですが

勿論切り離し無効、という場合もあるし
おじさんの仕事を奪ってしまったともいえるけど

友達は優しい気持ちからしたことだったんですね。

だから二人で1日の出来事を振り返り

余計なことをせず自分のことに集中しよう、自分を大事にしよう
でも人からの親切も
有り難く受け止めよう♪
というものでした。

チケットをちぎるおじさんも、友達が余計なお世話をしたとしても

ちぎっていただかなくても私がやりますから大丈夫ですよ、ありがとう♪
という返しでもいいわけですからね!

そしてさらに、映画を見終えてまたカフェに入った時にまた事件?がありました(笑)

生クリームが好きな私はウインナーコーヒーを頼んだのですが

出てきたウインナーコーヒーがどう見ても生クリームがない。
溶けたのか?あれ、ウインナーコーヒーってこんなんだっけ?

…と生クリームがのってるのを想像した自分が間違えていたのかと一瞬疑いそうになりつつ

友達にウインナーコーヒーってこんなだっけ?

と言った瞬間、店員さんが、あ(^o^;)という顔をしたので

あ、やっぱり生クリームが乗ってないですよね
(^o^;)というと

すみません、と
生クリームのせてもらえました。

二度も忘れられるなんて!

これは

「リメンバー・ミー」が
私にとって強烈なメッセージだったことを思い知る1日だなと思いました。

自分が望むオーダーに
ちゃんと耳を傾けることを忘れないで!

というのもメッセージだったかもしれません。

とはいえこの日はバスにすぐ乗れたり映画もスムーズに観れたりついていた1日でした。

そして友達には
困ってる人に手を差し伸べる温かい心は、周りの人も優しい気持ちにしてくれるすごくすてきなところだと思うよキラキラ

と言ってもらえ、
素直に有り難くその言葉も受け止めようと思えたし

そうした温かい心がある優しい友達に恵まれていることに感謝の気持ちに溢れた日でもありました。



深夜に再放送されていた
ファッションショー。

ネットから引用すると

2015年に大阪・グランフロント、2016年に東京・六本木ヒルズアリーナで開催し、今回で3回目となる「バリコレ」。(2017)

今年は、京都での開催が決定!全国から集まった6チームが、個性豊かなファッションでランウェイに登場します。さらに今年は、パフォーマンスチームも加わり、これまで見たことのない斬新なファッションショーになること間違いなしです!
総合プロデューサーは、はるな愛さん。

これまでの「障害」「マイノリティー」の概念を打ち壊し、「マイノリティーだからこそ、カッコいい!」というイメージを生み出す、新感覚のファッションショー

というのを再放送番組で観ました。

すごく胸が熱くなる思いでした。

中でも印象的だったのが在日韓国人の女性が

小さい時は着ていたけれど大人になるにつれ避けてきたチマチョゴリを着て涙していたところ。

その涙は?

という質問に応えた彼女の台詞を一語一句覚えてはいないのですが

確か、感動だけでなく

ニュアンスが、
チマチョゴリを着て喜んでいる自分を認めてあげられていることへの喜びみたいな、嬉しさからの涙を流していたんです。

喜んでもいいよ…って、
今まで悲しかったね…と
封印していた気持ちも
溶かされていたような涙でした。

彼女の場合はずっと
在日韓国人というルーツに関わることに苦しんできたみたいですが

皆、何かしらのコンプレックスを抱えていて

他人がどう見るか

他人がどう感じるか

他人がどう思っているか

という他人軸で考えることで苦しんでしまいます。

彼女のように、本当は
堂々とチマチョゴリを着て笑顔でいられる「私」でいたかった

なのに…
チマチョゴリを着て、手放しに喜べない「私」になってしまった彼女。

けれど、いつだって「私」が消えてしまったわけではなく

そっと影に隠れていたかもしれないけど

消えることはなくて…

その隠れてしまった「私」が、顔を出す。

本当はチマチョゴリを着るのが大好きな「私」。
無邪気にその衣装を身にまとい笑顔でいる「私」

それを嫌っていた「私」

でもやっぱり似合うよね
素敵だね、と認める「私」

どれも全てが大切な「私」という存在。

最近、自分を大切にする、自分の心の声を聞く、
というのを意識的にしているだけに

在日韓国人の彼女の涙は とても共感したし
素敵な涙でした。

いつだって完全に「私」が消えてしまうことはなくても

封印してしまった
隠してしまった「私」は

ここにいるよ~
って、時々顔を出す。

隠している「私」もいて
完全な「私」なんだよって気づいてもらうため

あらゆる出来事や人と
遭遇し、

欠けてしまった「私」を
掘り起こす。

在日韓国人の彼女は
チマチョゴリというファッションを通じてその
「私」を掘り起こしたのですね。

周りの目を気にして
自分までが「私」を嫌ったり冷たくしたり…

周りが何を言っても
言わなくても
自分が「私」の一番の味方♪

私の両親は他界して今いませんが、小さい時からよく叱られていた私。

しかも、何をしても何をしなくても、どうせ叱られるんでしょ、って(私の思い込みでしたが)大人になっても刷り込まれていたものがありました…。

今となっては
何をしてもしなくても、 怒る人はいない…わけなんですが

その呪縛から解き放たれると

自分の好きにしていい… わけなんだけど
なんの規制もなく叱られることもなく自由だよ、好きにしていいよ、
となると

案外、いいのかな
本当にこれでいいのかな?って、案外びくびくするもんなんですよね(笑)
昔、母が「墨絵」を通信講座で与えられた手本を真似て描く、ということに

ぶつぶつ文句を言いながら描いていたことがありました。

好きに自由に描きたいのに!って。

私はその傍らで
自分で顔料を買ってきて 自由に好きな絵を描いて楽しんでたのですが

じゃあ、これに好きに描いてみなよ(^o^)

と、母に促すと

何を描いていいか
わからない

なんて言ったんですよね。

なんかその時のことを
思い出しました。

自由に描くことが望みなのに、いざ自由が手にはいると躊躇してしまう

慣れていないだけなんだけど

今まで、これはダメ
あれはダメと自分に許さなかったことが
自由にできるとなると
それはそれで案外勇気がいるんですよね

自由にしていい
自分が好きなように
誰も文句を言わないから というのに…

チマチョゴリを着た彼女も、きっと誰も 今まで
着てはいけないとか
言ってないんです。

彼女のルーツを否定も
していなかったんです。

否定されたような気がしたかもしれなくても…。
そこに向き合う、対峙をするって

なかなか勇気がいるんですよね。

違ったんだ
勘違いだったんだ
ということに向き合う

それを許さなかった自分を許してあげる

それはサナギから蝶々へと、外界に飛び立つ
という

それはそれで自分を守ってきた硬い殻を打ち破る変容の時は …

逆子でもがいていた
蝙蝠が、産道を抜けて再誕生する瞬間。

暗かった産道を抜けて
一歩踏み出したバリコレにモデルとして自身の舞台にたった彼らににエールを送りたいと思った素敵な番組でした。

後半の再放送も近々あるようです。



お久しぶりです。お元気ですか? 私はとっても元気にしております(^^)/

何故かブログはずっと書く気持ちが湧かず、
何度か途中まで書くのですが、結局最後まで書くに至らず保存し、月日がまた流れる…を繰り返し
ひたすら他の人のブログを読んでいました。


手作りは続行中で、最近はイヤリングやブローチなどのアクセサリーが主ですが

その傍らで読書もしていまして、

最近気になるのが
心屋仁之助さん。

斬新な考え方もあるけど
ゼロポイントに繋がるような話しもたくさん。


『二つの真実』
2009/10/27 00:21

この時のブログに書いたのですが、心屋さんの話にすぐピンとくる人もいれば、理解するのが時に難しかったりタイミングが必要だったりする人もいると思います。
船井さんはわかる人にわかればいい…と言ってるわけですが、

わかる人にしかわからないでいいし

わからない人には

もっとわかりやすく噛み砕いて伝える人に出会えて府に落ちたり、タイミングがきて、言わんとする意味を理解出来る時がきたりするのだと思います。

選択にたいするレスポンス
2010/09/16 22:11

このブログで紹介した内容の一部を改めて載せます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

魂はあらかじめ様々な
選択をしてきているので

選択肢を間違ったのではないか?

そう思いがちですが

実は既に魂が決めた選択なので間違いは起こらない、

唯一選ぶ事ができるのは、選択に対する反応、
それをどう受け止めるかということだけだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということなんですが

3月始めに私が観てきた映画で

「あなたの旅立ち、綴ります」という素敵な映画があります。

主人公の老女ハリエット(シャーリー・マクレーン)と

訃報記事を書く、アン(アマンダ・セイフライド)との素敵な関係に最後は涙したのですが

印象的な言葉がありました。

目の前に起きていること、出会う人は、

最高の自分になるための挑発…なのだと。

もしかしたら私の解釈が違っていたかもしれませんが

確かそんな台詞でした。

生きていると決して良いことばかりではありません。

嫌な人に会ったり最悪な出来事に遭遇とか悲しい出来事だとか、

けれども、月日が経ったらまたその事さえも、
違って受け止められる自分がいたりして

当時は見えなかったものが見えて、
単なる悪い出来事、最悪なこと、嫌な人…ではない

それこそ、それらの全てが

最高の自分になるための挑発だったんだ

と思える時がきます。


その、「最高な自分」が
その視点をもたらしてくれるんです。

そう考えたら
いつだって誰もが
「今の自分」が「最高」なんですね!

…と思うこの頃、

わからない時は
「わからないことで知る」ことがあるからかもしれないし

わかっているけど知らないふり…を意識的なのか無意識にしているからかもしれない

なんであれ、
それもまた変化する時がくるし

過ぎてみたら
なんだ、大丈夫だったな
みたいなことがたくさん起きている。

例えば失恋した相手を忘れようと思っても脳裏から消えなくて苦しんでいたのに今では思い出しもしない…とか。

一生忘れなかったら
どうしよう?くらいに悩んでいた昔の「問題」は
なんの恐怖の対象でもなかったとか。

でもその時は問題視して悩んで、永遠にそこから逃れられないのでは?
という恐怖心を抱く…

まあ、年齢を重ねるうちに少しづつ悩んでる時間も少なくなってきてるのは

本や映画との出逢いが
人との出逢いが
そして経験が、生きる知恵を与えてくれたからだろうと思っています。

何であのとき、そう言えなかったんだろう

何であのとき
それができなかったんだろう

今なら出来るのに
今なら悩みにもならないのに…

という自分がこの先10年経ったら、また今の自分をもっと笑い飛ばすくらいに進化していたりするのかな~

だから、「問題」に見えるようなことがあっても

それは問題ではなく、さらなる「最高な自分」になるための

「挑発」ですね。

まだ、磨くところあったのか~!

まだ輝ける要素があるんだ~!

ってことですよね!