merry X'mas ☆ミも過ぎてあっという間に今年も残すところあとわずか。

来年はどんな年になるでしょうね?

2019年の全ての人へのメッセージをお送り致します。

イルカ、
スネーク、
ジャガー、
オオヤマネコ、
アライグマ
トンボ、
イタチ

まず意識していくのが
調和です。そしてバランス。 呼吸。

生活のリズムというものを改めて見直してみるのにも良い時、

阿吽の呼吸といいますが 呼吸は共同で何かをするときの,お互いの調子。という意味があるように
そのバランスをうまくとること。

呼吸が浅いな…と思う時は、日常で調和されていない何かがありますよ、というサインです。

自分自身の心と身体、のバランスだったりするかもしれないですし

そしてその調和が乱れている事に気づいたなら
まずは意識を変える事です。

つまりが今の意識では無理があるよ、ということなのですから

何か違う視点を意識してみる事で、大きなより良い可能性も見えてきます。


自分さえ良ければ…という意識ではなく、公明正大もキーワードですね。
高潔さを大切に。。

おしゃべりを慎み
先を見通す為に、暗闇でも目を凝らして観ること。

耳を澄ませば、
心にこだまする羅針盤となる声が聞こえるでしょう

誰かへのサポート、ボランティア

その行為は素晴らしいものの

自分の井戸が干上がっている状態で無理をして誰かに水を与える…ではなく

まずは自分を調え
充分に満たされている上で今出来ることを最大限に…となれば決して無理をしての行為とはなりませんね

幻想を打ち砕き真実を見据える

複合的な視点で世の中を見てみれば

問題に思えていた事を
また違った意味に捉えることが出来るでしょう

そうした事から周りを見てみると誰にどんなサポートが必要なのかも自ずと見えてきます。

平成31年4月30日をもって平成が終わります。

新しく切り替わる年という事で

私たちの意識にも様々な変化をもたらす年となる事でしょう

慣れない時こそ
リズムも乱れがちですが
調和を意識していく事が
必要不可欠な理由もそこにあります。

何かが変わる時は、
肉体的にも精神的にも
その変化の環境に身を置くこと自体に、自身とのエネルギーを調和させるまで幾分時間を要することもあります。

だからこそ様々なところで調和を意識していく事が大切になります。

調和を意識するには
何がバランスを欠いているかをよく視る作業も必要です

自分さえ良ければではない周りを見渡す余裕、
先を見通す力が(インスピレーションなども)調和の助けになることもあるでしょう

調和の為には誰にどんなサポートが必要なのか

それには自分が調和をもって誰かをサポートできる状態にあるか

などなど、全て繋がってくるのですよね。

調和とは、空気を乱さない為に我慢するとか
そういうことでもありません。

我慢するという形ではなくても何か調和する方法はないか?

と調和を意識することが既に調和を生み出すきっかけになっているとも言えます。

最近ますます健康意識が高まっていますが

人生100年、とも言われ始めたこの頃

心身共に健康であることも大事な要素になってきています。

とはいえ、病気が悪だという捉え方ではなく
それさえ調和に向かうためのプロセスかもしれません。

調和は特別2019年に限った事ではありませんが
さらにあらゆる角度での調和を意識していく事が
様々な解決の糸口にもなるでしょうし、そこを強く意識することが
行動にも強く影響を及ぼす1年となる事でしょう

新しい年を皆様が調和と共に迎えられますように。

来年も宜しくお願い致します。

それぞれの美学

テーマ:

常識だとか非常識だとか
時代、国、年代、環境にも色々左右されるところがあって

それこそ育ってきた環境で培われた常識や、

同じ親元に育っていても全てにおいて環境が同じでないからなのか(学校や友人とか)

いわゆる常識も非常識も価値観によるところも大きい…

その価値観とは、
正しいか正しくないかは別として

つきつめたらその人の美学なんじゃないだろうか? …美学も美についての価値観なのだけど。。

常識なのか非常識なのかで、揉める時って

普通さ!とか
ほとんどの人の価値観が
同じであるように言いがちだけど、

現に、辞書を引けば常識について、一般の社会人として,だれもが共通してもっている知識や分別…
とある。


この、誰もが…が曲者で
時代とともに、常識までもが簡単に覆る世の中。

いい国作ろう鎌倉幕府で覚えたはずの鎌倉幕府の成立年1192年が、研究の末、

いい箱作ろう鎌倉幕府…で1185年が常識となったというのですから

もはや常識を語るのも気を付けないと非常識に。。。

で、改めて、美学も価値観のひとつなんだけど

まぁ、美学というほどの意識はないかもしれないけど

要するに好むか好まないか…程度には人は反応すると思うのですが

口下手な人の言葉に傷付いた…としても

傷付いた本人は相手に傷付けられたわけではなく

ただ、相手の持つ美学と、自分の美学が違うだけ。

現代アートが好きな人もいれば古典アートが好きな人もいる。

どちらも芸術として認められたものだけれど
当然好き嫌いはある。

で、その美学の違いは
究極、現代アートと古典アートのどちらが優れているか?みたいな、答えの出ないことに論争を繰り広げているだけかもしれない。

究極、、共感してほしいとか認められたいというのが根底にあるのかもしれない。

同じ気持ちで安心したいのかもしれない。

同じでなくてもいいのに

相手の出方が自分の想像を越えた発言や行動をした時、

なんで!?普通はさ、!
と、反論したり、いかにも自分が正しいかのように言ってしまう。

だけれど最近思うのは

なぜそのような美学を持ったのか?

なぜそれが否定されたかのように悲しくなるのか?

相手には相手の美学があるだけなのに、

相手もあたかも自分が正しい、そっちが間違いだ!

みたいな態度にくると
たいていその事に囚われて、悲しんだり怒ったり。

けれど、その先を見ると なぜその美学を持ち出すのか、なぜその美学を正しいとか常識にあてはめてまで主張したいのか?
そこには、親が植え付けた言葉だったり過去の何かしらのトラウマが隠れているのかもしれないし
認められなかった過去の思いが顕になって再現されているのかもしれない。

もう、その思いは手放してもいいよ…と。

それは、ある意味今まで自分を守ってきたかもしれないけれど…。

そのそれぞれの美学に潜む過去の思いに、
振り回されるている自分がいるから反応してしまう…ような気がするのです。

前回のブログのメッセージで記したこの部分、

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


悩みがあるとき、それは
曇ったレンズの眼鏡をかけて世界を見ています。

その眼鏡で見ていた世界はあるときまでは自身を守ってきたことでしょう。

しかし、自身の行動や考えを制限してもいたのです。

もう、その慣れ親しんだ習慣を変えるべき時がきました。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

それは、こうした事も含むメッセージなんだと思います。

価値観の違い、といえば
そうなのだけど

価値観が合わないというのはもはや問題ではなくて

自分の美学に固執すると
世界が見えなくなる…

その反応を変える時がきた…のです。

皆違っていていい…と
口にするのは簡単なことだけれど、日常些細なところでこの違いを無意識に受け付けられずにいることって意外にあると思います。

その反応を変えるには
なぜその美学を持ったのか?

なぜそれに固執してしまうのか?

を、深く見つめていくと単に、相手が間違ってるとか、受け入れてくれない、認めてくれない、共感してくれないとか相手ありきの事から

違う側面が見えてくるような気がします。

美学についてネットで色々見ていたら

森瑶子さんの、
非常識の美学という本に出会いました。

なかなか興味深い本で
すらすらと読める本ですのでお勧めです。

自分がこだわる美学にも
陰陽それぞれの側面があるということかなと感じています。

嫌いは好きの始まり、なんていうタイトルのエッセイがあったり

我がままの美学というページもあります。

逃がした魚は大きかった、というタイトルのページには

恋愛と結婚は別、と考える友人が遊ぶには楽しいが出世コースから外れた元カレと別れて、将来出世しそうな見合い相手と結婚するも

一緒になってみると
夫は無趣味で退屈な人だった。

そんなある日、風の噂で元カレが結婚し海外で暮らし、牧場を買い、
つつましく人生のスタートを切ったという話を耳にした友人が

自分が失ってしまったものの大きさに呆然とした。

しかし著者の森瑶子さんが、最後に締めくくった言葉は、 なるほどね、と思う的を射る言葉でした。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

もし、昔のボーイフレンドと結婚したとしても
あなたは彼のオーストラリア移住計画に対して
顔色を変えて反対していたと思うのよ。

そんな、海のものとも
山のものともつかない無謀な人生計画なんて
とんでもないわ、と。

あなたは、安定した生活の保障だけを求めていた、そしてそれを手に入れた。

安定ということが
退屈と同義語だということは、

知らなかったみたいだけど。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

ある意味、友人の結婚に対する美学により元カレとは御別れしたのだろうけれど

安定と退屈のワンセットを考えたら

その美学に固執する前に もう一つの側面があることも忘れてはいけない。

結局、価値観の違いは
もう一つの側面があることを忘れて自己主張をお互いにしている…のかもしれないなぁ~と考えさせられるこの頃です。

価値観の違いがあることに反応するときは、

自分がこだわる美学にももう一つの側面があることを忘れているとき

そしてその反応は
癒すべき側面があることを教えてくれている

そう考えることによって
答えの出ない論争の世界が、

違う世界として見えてくるような気がします。



こんにちは。下半期メッセージと題しましたが
もう7月も終わり8月に入ってしまいました(^^;
実は最近、私はキューバに旅行してきました。

久しぶりの長いフライトは少々疲れましたが
カラフルなクラシックカーを間近で見られて
カラフルな街並みと陽気な音楽や歌に癒された素敵な旅でした。

ただカラフルとはいっても色褪せた感じのCOLORの世界。クラシックカーを見てさらに過去へとタイムスリップした感じでした。

そしてキューバでは「馬」をよく見かけました。
日本ではあまり普段見ないだけに私にとってはメッセージになりました。

馬のメッセージは
powerです。自分にしかないpowerを認め、活かすことですね。

メッセージというのも、どう捉えて実行に移すかは人それぞれ。日々の生活に是非下半期のメッセージを役立てていただけたらと思います。
ちなみに今年の初めにアップした2018年のメッセージを改めて読んでみると、

結構そのメッセージ通りに新たな自分作りへと
一皮むく時期だったなと振り替えってつくづく思いました。

なので良かったら
年始のメッセージも合わせて読んでみるとより
良いかと思います。

さて、下半期のメッセージです。

メッセージを運んでくれたアニマルたちは、
とんぼ、スパイダー、あり、カラス、コウモリ、レイヨウでした。

これらのアニマルをひとつでも目にした時には、改めて下半期のメッセージを噛み締めて心にとめてみてくださいね。

霧のような幻想という世界に真実というメスを入れるときです。

自分が見ていた世界が
実はもっともっと大きな世界だったことに気づくでしょう。

悩みがあるとき、それは
曇ったレンズの眼鏡をかけて世界を見ています。

その眼鏡で見ていた世界はあるときまでは自身を守ってきたことでしょう。

しかし、自身の行動や考えを制限してもいたのです。

もう、その慣れ親しんだ習慣を変えるべき時がきました。

新たな人生模様を織り出すタイミングがきました。

まだまだ人生には先があります。もはやこれまで…と、悩みに押し潰されて限界を設けて悲嘆に暮れていたとしたなら

その先をご覧…と、
自分がこれからも人生模様を織り成す無限の存在であることを思い返す時がきたのです。

それにはどうしたら良いのか?というと

全ては完璧なタイミングで起きているという事。
焦って、未来を心配しなくても

あなたに必要なものは
必ずパーフェクトなタイミングで手に入る事を自分に許しましょう。
それを信じるようにと…

勿論その引き寄せたい何かを、より射程距離に引き寄せる術がないわけではありません。

しかし果報は寝て待て、という事を念頭に

今出来ることに集中しましょう。

今出来ることとは、
自分に正直でいること、
自身の意見、行動に意識的でいること。

それは自分が本当に望んでいることなのか?

本当にやりたいこと?

本当にやりたいことしてる?

やりたくないこと我慢してやってない?

自分に課した、聖なる約束を破っていない?

バランスを失ってないか?

改めて自分に問いかけて
みることで自分に嘘をついていないか?正直でいるか?を見極めていけるでしょう。

古い慣れ親しんだ自分から脱却し、完全に新しく生まれ変わるまでは、

不安も痛みも確かにあるかもしれないけれど

必ず光の世界に再誕生する事を信じて

抵抗せずに成長パターンに合わなくなった何かを死なせる必要があります。

新たな世界を見るべく
聡明な行動を起こす時がきました。

そしてその行動を起こすタイミングはまさに今、

下半期は聡明な行動と共に新しく光の世界が始まります。

…をしたい、と望む。

それを始める!と強く決意する。

そしてそれをする!!!
ぐちゃぐちゃ考えず
素直に思う自分の人生を
織り始める!

やってみなくてはわからない、歩んでみなければわからない世界がある。

停滞してるように見え
突破口がないように見えても道はあり、続きがあります。

あなたがやりたいことは何ですか?

どうせ無理…と何かのせいにしてずっと諦めてきたことはありますか?

年始の2018年のメッセージにあるように一皮むけた自分に出逢うべく
さらに聡明な行動を起こしましょう!