深夜に再放送されていた
ファッションショー。

ネットから引用すると

2015年に大阪・グランフロント、2016年に東京・六本木ヒルズアリーナで開催し、今回で3回目となる「バリコレ」。(2017)

今年は、京都での開催が決定!全国から集まった6チームが、個性豊かなファッションでランウェイに登場します。さらに今年は、パフォーマンスチームも加わり、これまで見たことのない斬新なファッションショーになること間違いなしです!
総合プロデューサーは、はるな愛さん。

これまでの「障害」「マイノリティー」の概念を打ち壊し、「マイノリティーだからこそ、カッコいい!」というイメージを生み出す、新感覚のファッションショー

というのを再放送番組で観ました。

すごく胸が熱くなる思いでした。

中でも印象的だったのが在日韓国人の女性が

小さい時は着ていたけれど大人になるにつれ避けてきたチマチョゴリを着て涙していたところ。

その涙は?

という質問に応えた彼女の台詞を一語一句覚えてはいないのですが

確か、感動だけでなく

ニュアンスが、
チマチョゴリを着て喜んでいる自分を認めてあげられていることへの喜びみたいな、嬉しさからの涙を流していたんです。

喜んでもいいよ…って、
今まで悲しかったね…と
封印していた気持ちも
溶かされていたような涙でした。

彼女の場合はずっと
在日韓国人というルーツに関わることに苦しんできたみたいですが

皆、何かしらのコンプレックスを抱えていて

他人がどう見るか

他人がどう感じるか

他人がどう思っているか

という他人軸で考えることで苦しんでしまいます。

彼女のように、本当は
堂々とチマチョゴリを着て笑顔でいられる「私」でいたかった

なのに…
チマチョゴリを着て、手放しに喜べない「私」になってしまった彼女。

けれど、いつだって「私」が消えてしまったわけではなく

そっと影に隠れていたかもしれないけど

消えることはなくて…

その隠れてしまった「私」が、顔を出す。

本当はチマチョゴリを着るのが大好きな「私」。
無邪気にその衣装を身にまとい笑顔でいる「私」

それを嫌っていた「私」

でもやっぱり似合うよね
素敵だね、と認める「私」

どれも全てが大切な「私」という存在。

最近、自分を大切にする、自分の心の声を聞く、
というのを意識的にしているだけに

在日韓国人の彼女の涙は とても共感したし
素敵な涙でした。

いつだって完全に「私」が消えてしまうことはなくても

封印してしまった
隠してしまった「私」は

ここにいるよ~
って、時々顔を出す。

隠している「私」もいて
完全な「私」なんだよって気づいてもらうため

あらゆる出来事や人と
遭遇し、

欠けてしまった「私」を
掘り起こす。

在日韓国人の彼女は
チマチョゴリというファッションを通じてその
「私」を掘り起こしたのですね。

周りの目を気にして
自分までが「私」を嫌ったり冷たくしたり…

周りが何を言っても
言わなくても
自分が「私」の一番の味方♪

私の両親は他界して今いませんが、小さい時からよく叱られていた私。

しかも、何をしても何をしなくても、どうせ叱られるんでしょ、って(私の思い込みでしたが)大人になっても刷り込まれていたものがありました…。

今となっては
何をしてもしなくても、 怒る人はいない…わけなんですが

その呪縛から解き放たれると

自分の好きにしていい… わけなんだけど
なんの規制もなく叱られることもなく自由だよ、好きにしていいよ、
となると

案外、いいのかな
本当にこれでいいのかな?って、案外びくびくするもんなんですよね(笑)
昔、母が「墨絵」を通信講座で与えられた手本を真似て描く、ということに

ぶつぶつ文句を言いながら描いていたことがありました。

好きに自由に描きたいのに!って。

私はその傍らで
自分で顔料を買ってきて 自由に好きな絵を描いて楽しんでたのですが

じゃあ、これに好きに描いてみなよ(^o^)

と、母に促すと

何を描いていいか
わからない

なんて言ったんですよね。

なんかその時のことを
思い出しました。

自由に描くことが望みなのに、いざ自由が手にはいると躊躇してしまう

慣れていないだけなんだけど

今まで、これはダメ
あれはダメと自分に許さなかったことが
自由にできるとなると
それはそれで案外勇気がいるんですよね

自由にしていい
自分が好きなように
誰も文句を言わないから というのに…

チマチョゴリを着た彼女も、きっと誰も 今まで
着てはいけないとか
言ってないんです。

彼女のルーツを否定も
していなかったんです。

否定されたような気がしたかもしれなくても…。
そこに向き合う、対峙をするって

なかなか勇気がいるんですよね。

違ったんだ
勘違いだったんだ
ということに向き合う

それを許さなかった自分を許してあげる

それはサナギから蝶々へと、外界に飛び立つ
という

それはそれで自分を守ってきた硬い殻を打ち破る変容の時は …

逆子でもがいていた
蝙蝠が、産道を抜けて再誕生する瞬間。

暗かった産道を抜けて
一歩踏み出したバリコレにモデルとして自身の舞台にたった彼らににエールを送りたいと思った素敵な番組でした。

後半の再放送も近々あるようです。