たーのブログ

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彼女が死んだ。

人って死ぬんだ。
こんな簡単に。
平均寿命が80歳を超している世の中なのに。
こんなにも早く死んでしまうなんて。

まだ彼女が死んでしまった現実が受け入れられない。

死んでしまう病気だと頭では理解していたけど、
心のどこかでまだ生きるんじゃないかと思っていた。
そう信じたかった。

亡くなる直前まで憎まれ口をたたいていた。
憎まれ口をたたくぐらいだから、まだまだ生きると思っていた。
いま思えば、彼女は余命わずかなことを告げられていなかったかもしれない。

まだ大丈夫だと思っていたのに、
意識障害になったのか、
急に連絡が取れなくなった。
今でも突然、電話をかけてきて、いつものように憎まれ口をたたくんじゃないかと、ふと思う。


最後のお別れもできなかった。
ちゃんとお別れしたかった。
憎まれ口をたたかなければ、もっと優しくできただろうかとか、
色々と考えてしまう。

 

彼女は気難しい性格で、

さらに病気で精神的に追い詰められていることもあって、

すごく扱いにくかった。

最後の方はまともな会話もなく、

短文のメッセージのやりとりのみ何とか続けた。


最後に、穏やかで優しい時間を一緒に過ごしたかった。

いつも映画を見るときに一緒にエンドロールを最後までみたように、楽しかったことや悲しかったことを一緒に振り返って話したかった。

いつか一緒に歳をとって、陽のあたる縁側にすわって、お茶を飲みながらそんな話をするのが夢だった。


こんな形でさよならするなんて、
普通に別れるよりつらい。

後悔しかない。

彼女はツイッターに私の悪口を書く専用のアカウントを作って、そこに鬼のように悪口を書いていた。
なんて性格の悪い女かと思った。
悪口専用のアカウントまで作るか?
もうひとつの悪口専用アカウントでは父親の悪口を書きまくっていた。
そこまでするとは、すごい女だと思った。

でも憎まれ口をたたく彼女でも良かった。
生きていてほしかった。
性格の悪い女だったけど、生きていてほしかった。

彼女のSNSを改めて読んでみた。

こんな記述があった。2018年10月12日


「20111227へ戻してあげられたらいいのにね」(その日は初めて会った日、その後3年空白期間)
「肯定されてる訳じゃないから死んでしまいたくなる、突然死でもしたら喜んでくれるのかな もう嫌な想いしないから」

こんなこと思っていたのかな。
死ぬとか本気じゃないとは思うけど、このときはケンカでもしたかな。
覚えてない。
自分が性格が悪いことは自覚していたようだ。

ブスでもデブでも性格が悪くても、それでよかった。
ちゃんと私を好きでいてくれた。
愛情表現がすごくわかりにくかったけど、ちゃんと好きでいてくれた。
だからずっと一緒に生きてほしかった。
良い彼女だった。

つき合ってるだけで結婚してるわけじゃないから看取れなかった。
最後はどうやって死んでいったのかわからない。
たぶん脳に意識障害が出ただろうから、あまり苦しまずに行けたかな。
頑張り屋さんだったから、最後まで生きようと頑張ったと思う。

いつも車いすをこぐとき、一生懸命だった。
「スピードを出すと危ないからゆっくりこいで」と言っても一生懸命こいだ。
太い腕ですごい力でこいでいた。
いちどこの太い腕で殴られたことがあるが、すごく痛かった。
丸太で叩かれたかと思った。

変な所で妙に頑張るひとだった。
こがなくても私が押すのに、私が押すより早く進みたかったようだ。
頑張らなくていいのに。

彼女は両足が不自由だった。
他にも持病をかかえていた。
そのうえ、こんな病気になるなんて。
なぜ彼女ばかりこんな目にあうんだ。

 

彼女はまだいっぱい生きたかった。

完治したら一緒にしたいことをいっぱい話した。
もっと早くに亡くなってもおかしくない病気だったから、彼女はすごく頑張ったのだと思う。

私を好きでいてくれることにも一生懸命で頑張るひとだった。
「追いかけられるより追いかけたい」と言っていた。

今まで何人かと付き合ってきたけど、自分のことを本当に好きかどうか実感するのは難しかった。
けど彼女は、私を本当に好きでいてくれた。

それをすごく実感できた。
だから、彼女がいなくなって喪失感がとてつもなく大きい。

6月の下旬に連絡が取れなくなって、
何か月か経った。
6月は入退院を繰り返していて辛そうだったから、まずいなと思った。
だけどその後を知るすべがなくて、
彼女の実家に季節のお菓子をそれとなく送って様子をみた。
すると、9月2日に亡くなったという旨の連絡(11月9日)がきた。
やはりそうだったか。
6月下旬(6月24日)に連絡が途絶えたから、そこから意識障害になって、
まる2か月も頑張ったんだな。
本当によく頑張ったと思う。

生前に彼女が死んだらお墓参りをしてほしいと言っていた。
私は信心深くないけど、彼女は霊的なものを信じているようだった。
けど死んだ後の話なんかしたくなかった。
今を生きてほしかったから、
「ホーキング博士が死んだら『無』になると言ってたよ」
と言ってやったら、
彼女は泣きながら
「死んでも無にならないもん」
と言っていた。
だからどうしてもお墓参りをしてほしいと頼まれた。
今はまだ彼女の遺骨は実家にあってお墓には入っていない。

お墓に入ったらお参りしに行こう。
あの世でも悪口言ってるかな。
ちゃんと約束を守らないと、たたられたら、かなわんしな。

 

きみは死んでも無にならないと言ったけど、

ホーキング博士の言った通り、

やっぱり無になっちゃったよ。

 

きみの声も聞けないし、

顔も見られない。

抱きしめることもできない。

 

なんて無味乾燥な世界になったんだ。

ホーキング博士の語った宇宙とは、こんなにも何もない世界だったのか。

 

きみといっぱい過ごしたこと、

あれは夢だったのか、現実だったのか、

今となっては何もわからない。

何も無くなってしまった。

もう何もわからない。

 

もちろん、生きたかったのに生きられなかった本人が一番かわいそうなことはわかってる。

けど、残された側のつらさはどうしたらいいだろう。

こんなひどい目にあわせるなんて、きみをちょっと恨んでしまうよ。

 

無にならないと言ったきみ。

どこかから見てるかな。

また憎まれ口をたたいてるかな。

何も聞こえないよ。

このドラマを見て、共感できる人がどれくらい居るのだろう。
女なら共感するのだろうか?
もし共感できるなら、女とは、恐ろしい生き物だ。

「勝手に父親になれていいですね」という大竹しのぶさん演じる母親のセリフ。

なんだその言いぐさは。
アンタの娘が父親に何も知らせずに、精子をかすめ取って、ひとを騙す形で勝手に産んで勝手に死んだのだ。
子供が親の居ない子になってしまうことも考えずに。
少なくとも、難病にかかったなら、死ぬ前に事情を話して告知すべきだろう。


いったい、何を正当化しているのだろう。
女は何をやっても良いと思っているのか。


母親が死んでから、実はアナタの子です、勝手に父親になれていいですねとか、いったい何を考えているのだ。

中絶だって、あの強情な娘が女の権利だとか言って、一方的に勝手に決めたのだ。
中絶せずに産むことをちゃんと話し合っていたなら、学生結婚するとか、色んな選択肢もあったろう。
「産む産まないを決めるのは女だけの権利」などという一方的な主張がまかり通れば、
女は何をやってもいいということになり、やりたい放題で、子供の人権は無視され、男性は軽視され、このドラマの女のように、女のモラルは大崩壊するだろう。
本当にふざけた話。
腹が立ってしょうがない。

ていうか、有村架純ちゃんが可哀想で仕方ない。
きわめて常識的で良心的でひたむきな有村架純ちゃんに対して、海ちゃんの母親の傍若無人ぶりが際立っていて、どうしてこんな女に振り回されなければならないのか、

世の中やったもん勝ちか?

理不尽すぎる。

真面目な人間がバカをみる世の中であってはならない。
娯楽ドラマとしては面白いのかもしれないけど、本当に腹が立つ。

 

夏くんは最初から有村架純ちゃんに出会ってほしかったですね。

そしたらドラマにならないか。

あー

私が大激怒していること自体、このドラマにとっては大成功か

成田なにがし(38)という経済学者が「高齢者は老害化する前に集団自決すればいい」と言ったらしい。


これは炎上商法だろうから、これにコメントすることは炎上商法に乗っかることになるので、本当は関わりたくもない。
学業は優秀だったようだが、このような人格破綻者が日本の重要な意思決定に関わることが絶対にないことを強く願う。


だいたい、38歳という年齢は、もう若者という年齢でもない。
十分におっちゃんだ。
こんなおっちゃんが、受け身な発言をして「僕たちがうまくいかないのは全部、世の中のせいだ」みたなことを言って恥ずかしくないのか。
世の中の主力となるべき年齢で、受け身な発言はふさわしくない。
精神的に成長できていない。
未成年や学生ならいざ知らず、誰かのせいにしていい年齢でもない。

 

制度の変更には合意形成や手続きなどで長い年月がかかる。

もし、この人物の望むような法律が将来、成立したとしても、

その頃には自分が自決する羽目になるだろう。

誰でも歳は取るのだ。


私は常々、言論の重要性について述べている。
世の中にはびこる悪や問題点は、常に単純ではない。
とても複雑に巧妙に隠されている。
バイキンマンのような「私は悪です」という、わかりやすい悪など存在しないのだ。
必ず悪や問題点は、ずる賢く、偽善や欺瞞の裏に複雑に隠されている。
だから、これを指摘するには、多角的な視点を持った高度な言論と、それを表現する自由が必要なのだ。
それなのに「老人は自決」という幼稚で単純で短絡的な言説は、
何の役にも立たず、何の示唆もなく、何の解決にもならない、

ただ憎悪をあおるだけの、アホな発言だ。

天才学者だというなら人々が唸るような感心することでも言えというんだ。

 

だいたい、昔の人の話というのは聞きたくてもなかなか聞けない貴重なものだ。

菓子折りでも持って、こちらから礼を尽くして伺って正座して聞くような話だ。

そのような経験や知恵の塊であるお年寄りがたくさん存命していらっしゃることは、大変ありがたいこと。

それを生かすも殺すも、次世代に生きる若いひとの心持ち次第で、老害だなどというのは、とんでもないことだ。

 

前人たちの歩んだ道に敬意も示さず、あらゆる面で若者の方が優れていると思うのは、まさにバカ者で、

傲慢で全能感を持った中二病みたいな人間の言うことだろう。

ここで話題を変えて人類と人口扶養力の歴史について触れてみる。


本来、人間は多産な動物で、出産間隔が短く、1年ごとに次々と子を産むことができる。
たとえば、チンパンジーの出産間隔は5~6年で一生涯に数頭しか産めない。
このように人類は多産であるため、放っておいたら、どんどん人口が増えてしまい、その人口を社会が支えきれない。

 

つまり、
この人口扶養力の問題は、今に始まった話ではなく、

人類永遠の宿命なのだ。


だから江戸時代までは、子おろし、間引き、口減らし、姨捨(おばすて)ということが普通に行われていた。


教科書では習わないが、これらの悲しい歴史は知っておくべき歴史だ。


特に東北は自然環境が厳しく、天明の大飢饉などが起こるたびに大きく人口を半減させるような土地柄だった。
東北特有の「やませ」という冷害が起こると、翌年にまく「種もみ」さえも収穫できない壊滅的な状況になる。


そういう時は、食い扶持を減らすため、やむを得ず、人工的に間引きをする。

つまり、子殺しだ。

小さな子は、まだ人間ではなく精霊だとされ、育てられない場合は神に返すのだ。
しかし、村の掟に従って殺さなければなならい子供を、可哀想だからと内緒で生かした例もあるようだ。
柳田國男の『遠野物語』で有名な河童(かっぱ)や座敷童(ざしきわらし)は、間引きしたはずの子供が生きているのを目撃されてしまって、男の子は河童、女の子は座敷童と言ってごまかしたものらしい。


ちなみに、四国のお遍路は、年寄りが死ぬ準備をするために行く。
お遍路を一周すると1400kmもある。

アップダウンも激しく、死と隣り合わせの厳しい道程で、まさに死の行進だ。
古い街道の端に石仏が立っていることが良くあるが、多分そこで人や馬が行き倒れて死んだのだろう。


だからお遍路の衣装は、白い死に装束を着用し、卒塔婆の代わりに金剛杖を持ち、棺桶の文字が書かれた菅笠をかぶる。

最初から死ぬ格好で歩くのだ。


年寄りを姨捨山に捨てるのは、あまりに露骨で忍びない。
そこで、ある程度の年寄りになったら、旅費を与えてお遍路に行かせる。
すると、「ありがたやー、ありがたやー」と言いながらクルクルお遍路を回って、ぽっくり死ぬ。
本人も幸せだし、食い扶持も減る。
お遍路にはそういう意味合いもあったようだ。


そして時は明治になって日本は、欧米列強に負けない文明国を目指すことに決めた。

 

文明国は野蛮なことをしない。
前述のような野蛮なことをしていては、欧米列強と対等の文明国として認めてもらえない。

不平等条約を解消し、世界の一等国になるのが明治日本の夢だった。
だから帯刀をやめ、散切り頭にし、文明人らしく振舞い、間引き等の野蛮な行為は禁止された。


たとえば、堕胎禁止法ができ、日本は戦前まで人工妊娠中絶ができなかった。
中絶したら逮捕された。
(戦後、日本国憲法のもと優生保護法ができ、その付帯事項である「経済的理由による中絶」を拡大解釈することにより中絶が可能になった)

 

(参考)----------------------

戦争末期、旧ソ連(現ロシア)に占領された満州(中国東北部)などでは、多くの日本人が旧ソ連兵に、男は殺され、女は犯された。

戦争が終わって日本海側の新潟や舞鶴などの各港に彼らは引き上げてきたが、多くの女性はロシア兵の子を身ごもっていた。

そのままだと毛色の違う子や目の色の違う子が産まれてしまい、それは容認できなかった。

そこで当時、日本は中絶禁止ではあったが、入国時の「検疫」という名目で内密に多くの堕胎手術が行われた。

このような負の歴史も教科書には載らないだろうが、やむを得ない時には、傷害罪や堕胎禁止法で逮捕されるのを覚悟の上で手術が行われたようだ。

戦後、優生保護法ができなければ、このような人は皆、逮捕されてしまうわけで、少し前に話題になることがあった優生保護法は民主的な憲法下で成立した必要な法律だった。

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明治になって中絶や間引きを禁止したため、江戸時代は人口3000万人ほどだったのが、昭和初期には7000万人にまで急激に膨れ上がった。

その増えすぎた人口を養いきれず、さかんに移民が行われた。
ハワイやブラジルなどは移民先として有名だ。
中国にも進出して多くの日本人が大陸に渡った。

 

戦前の日本は、東京などの都市部は文明の恩恵を受けていたが、少し田舎へ行けば、電気はあったが、ガスも水道もない、江戸時代とあまりかわらない生活をしていた。

アジア中が泣いたというテレビドラマ『おしん』のような貧しい生活だ。

だが、私の祖母は、その『おしん』を見て言った。

「あんなの全然かわいそうじゃない。わてはもっとひどかった」

 

アジアの多くの人が視聴し、アジア中が泣いたという『おしん』よりも、実際の田舎の国民生活は、もっと貧しい人がたくさん居たということだ。

 

戦前の日本はそれぐらい貧しくて増えすぎた人口を養えなかった。

しかも子だくさんの貧乏だった。

4人も5人も子供がいるのが普通だった。

そのうちの1人か2人は大きくなる前に死んだ。

それぐらい貧しかった。

それが戦争をして大陸進出を目指した理由でもあるだろう。


縄文時代の人口は20万人ぐらいだったらしい。
ドングリや貝を拾って食べる狩猟採集生活をしていたため、ひとり当たり広大な土地が必要だった。
しかし現在、日本の人口は、1億2000万人を超えている。
昭和初期なら、この人口は社会が支えきれなかった。
しかし現在、普通に我々は暮らしている。


それはなぜか。
ひとえに、文明の力と貨幣経済の力があるからだ。
文明の力と、貨幣経済の力で、野蛮なことをしない。

それが文明人であり、文明国だ。


縄文時代の例でみたように、本来の日本列島の人口扶養力は、20万人程度ということだろう。
それが今では1億2000万人以上が生活できる。

逆に言えば、文明と貨幣経済の力が無ければ、縄文時代に戻って、日本国民のほとんどは死ぬのだろう。

 

「カネと命とどちらが大事か」と決めゼリフのように言う人がいる。

「自然を冒とくするな」と、国土開発を妨害し、文明否定をする人がいる。

 

しかし、今みたように、文明や貨幣経済がなければ、日本国民のほとんどは死ぬ。

国力が落ちて、技術力を維持できなかったり、購買力が下がったりすれば、命を失う人がでる。

 

失われた20年、30年という国力が低下中の日本は、皆が幸せに生きるためには、どうしても国力の低下は避けなければならない。


しかも日本は、ただの文明国ではない。

アジアで唯一のG7参加国であり、世界に冠たる先進国だ。


我々は途上国の時のような野蛮なことは、もうしない。
経済学者ともあろう者が、貨幣経済の力を信じず「老人は集団自決しろ」などと暴言を吐くとは、
何のための経済学か。
経済学を活用して、民主的な国民経済の健全な発展のために尽力しようという気概がまったくない。


ただカネが儲かればいいわけじゃない。
弱者を犠牲にしてでも儲かればいいわけじゃない。
「民主的な国民経済」の「健全な発展」が必要なのだ。
そのための経済学じゃないのか。


とにかく結論、

成田なにがしという、ヒトラーやプーチンよりもひどい、老人ジェノサイドの頭のおかしい人格破綻者の言うことなど、まともに聞く価値もない、ということだ。

声のでかい人間だけがクローズアップされている。
LGBTのようなやつらだ。


その一方で、不本意未婚については、この20数年、無かったことにされている。

ほったらかしにされている。


長年、放置したため、少子化は固定化され、もはや解決不能だ。
日本が人口増に転ずるとしても、我々が死んだあと、何十年もたってからだろう。


岸田総理は今ごろ異次元の少子化対策などと言っているが、それは少子化の本質をわかっていないから吐ける頓珍漢な言葉で、少子化問題は、もはや手遅れで、がんであれば末期がんの状態だ。

特効薬などなく、あとは痛みが出たら緩和治療をすることに政治の重点を今後シフトしていかなければならない。


少子化は、国力の低下、社会不安の増大など、様々な強い痛みがともなう。

マイノリティーは、マジョリティー層に余裕があってこそ保護されるもので、もう何十年も国力が低下し続けている日本は、疲弊しきってそんな余裕はない。


少子化の根本原因は、結婚したくても結婚できない、子供ゼロという不本意未婚の人が多数存在するためで、氷河期世代に広がった非正規に代表される不安定雇用が原因だ。


現在でも結婚している人に限れば、出生率は1.9程度で決して低いわけではない。
それが全体の出生率では1.3になるのは、子供ゼロという人が多数存在するからだ。
政府の子育て支援とは、既に結婚して子供を育てている人を対象とした支援で、3人目を産んでくれというものだ。
だが、50年前の第2次ベビーブームの時でさえ出生率2.1だったのに、当時より晩婚化が進んだ現在、2.1以上は望めない。


当時は、初婚年齢が若かったため第一子の出産が早かった。

だから第二子や第三子を産めた。
晩婚化の現在、30歳過ぎてから第一子を産んだら、第二子、第三子を産むのは大変だ。
そこにいくら支援しても物理的に無理なのだ。


しかも、今や結婚している人は特権階級であり、政府の子育て支援は、この特権階級に対する支援であり、不本意未婚者のことなど全く置き去りで、さらに格差が拡大してしまうひどい政策なのだ。


保育園を増やしても、子供ゼロという人にとっては、まったく関係ない。
こども手当を拡充しても、結婚できない人にとっては、まったく意味がない。
むしろ格差が拡大すれば、さらに少子化が進むだろう。

 

仕事も高負荷でバリバリやって、子供も3人産めという。

それができない人は、容赦なく、切り捨てる。

 

政府の少子化対策とは、すでに出産して育児を開始している人に対する「子育て支援」に過ぎない。

これでなぜ子供が増えると思うのか、さっぱりわからない。

因果関係が全くない。

 

事実、少子化が叫ばれてから20数年、少子化対策といえば

「保育園つくります」「育休とります」

と馬鹿のひとつ覚えのように言い続けたため、

一貫して出生数は低下し続けた。

いい加減、気づくべきだし、気づいているのに知らないふりをしているようにしか思えない。


経済格差の拡大による不本意未婚の増加、それこそが本当の少子化の原因で、子供ゼロという人がたくさんいるから子供が減っている。

これが事実だ。


だが、彼らはおとなしい。

多数であるが声が小さい。

そして、誰も気にも留めず、救済もされず、ほったらかしにされてきた。

マイノリティーへの過剰な配慮とは裏腹に、彼らは完全に政治から無視されてきた。


今日の日本社会は非正規の人間の犠牲の元に成り立っている。
雇用の調整弁として彼らは都合よく使われ、簡単に捨てられている。

少子化対策だという育児休暇だって、育休を取った正社員の代わりに非正規が入り、正社員が育休から戻ってきたら非正規がクビになることで実現している。

これを繰り返していて、非正規が結婚できるのか。

どこが少子化対策なのか。
この結婚と非正規の問題を何とかしなければ少子化は解消されない。


しかし誰もこれを問題だとは言わない。
自称リベラルによる抑圧と、マイノリティーへの配慮から本当のことが言えない。


たとえば、
未婚問題について口にすれば左翼やフェミニストがギャーギャーわめく。
非正規の解消について言及すれば大企業が黙っていない。


だから政府は口をつぐんで見て見ぬふりをする。
有効な政策が打てない。

 

ポリティカル・コレクトネスという言葉がある。

政府が結婚について言及することは「政治的正しさ」に反するのか。

昔はまわりの大人たちが未婚の若い人を心配して色々とお世話した。

しかし、今は結婚の「け」の字を口にしただけでフェミニストがギャーギャー騒ぐ。

マタハラ(マタニティー・ハラスメント)だとか何だとか、面倒見の良い世話好きなおばちゃん(又はおじちゃん)を極悪人のように扱った。

善意の気のいいおばちゃん(又はおじちゃん)は随分と傷ついたことだろう。

だから誰も何も言わなくなった。

それが本当に良い世の中なのか。

リベラル的な「正しさ」によって救済されるべき人が救済されなくなった。

徹底的に無視されて、ほっとかれるようになった。


LGBTにはやたら敏感な政府だが、
多数存在する不本意未婚の存在を決して認めようとしない。
政治から爪はじきにされている。
ずっとそうだ。
この20数年間、少子化対策といえば、男女共同参画と待機児童対策という、

リベラル的な政策しかしてこなかった。

男性の育児参加や育休取得、保育園の建設もやったらいい。

悪いことではないだろう。
しかし、これで子供が増えるわけない。

 

保守政党の自民党なのに、「リベラル的に正しい政策」しかしてこなかった。

だから子供が増えないのだ。

 

また、
この国は、まっとうに働いても、まっとうな生活をできることを保障していない。
一生、家庭も持てず、伴侶も得られない。子ももうけられない。
動物でさえ、つがいになって子をもうけるのに、この国は人権どころか動物以下だ。


フルタイムで働いても生活保護水準以下の生活しかできないワーキングプアの存在などは、
完全に憲法違反だ。
ただちに是正すべきだ。
憲法で保障するところの最低限度の生活もできない。

 

低所得の人間を「なまけ者に救済は不要」と批判する人間がいるが、

ひとは能力に応じて、その人なりに活躍するのが正しい。

 

今、高所得の人は。たまたま現在の経済環境に適しているだけで、その他の人が不要というわけではない。

それぞれが大切な役割を果たしている。

 

経済環境が激変すれば、

(たとえば、災害、戦争、パンデミックなどがあれば)、

いくらカネを持っていても意味などなく、

社会インフラを最低限維持する基礎的な仕事をする人が重宝される。

それは今回のコロナ禍で実感したことだろう。

スーパーのレジ打ちなどエッセンシャルワーカーという言葉も認知されるようになった。

 

職業に貴賎なし。

それが多様性というものだ。
ワーキングプアは、フルタイムで働いてるのであって低所得だからといって決して怠けているわけではない。

 

ワーキングプアはカツカツの生活だから貯蓄ができない。

それでも健康でいれば働き続けられる。

しかし、少しでも健康を損ねると、時給で働いているため収入が絶たれる。

すると家賃が払えず、あっという間にホームレスに転落する。

 

いつホームレスになるかわからない恐怖におびえながら、結婚などできるわけない。

 

昔は、生活破綻者と言えば自滅型が多かった。

ギャンブルにはまり、酒におぼれ、生活もだらしない自滅型だ。

しかし今は、フルタイムで普通に働いても普通の生活ができない。

結婚もできないし、子も産めない。

 

彼らにも、憲法第25条に規定する「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されるべきだ。

そして彼らが望めば、

家庭を持ち、伴侶を持てる、子を持てる、

そういう当たり前の人生を、当たり前に送れる、当たり前の環境を保障すべきだ。

 

彼らは決して望んで結婚しないわけじゃない。

みずからの自由意思で結婚しないことを選択したわけじゃない。

不本意ながら、

結婚したくても結婚出来ない、

環境が許さない、

当たり前の人生でさえ、叶えられない、

不本意未婚なのだ。

 

これは低所得者の遺伝子を将来に残させない、

低所得者ジェノサイドだ。

 

立憲民主党などの左系政党の支持母体である労働組合は、

正社員の集団であり、それは今や上流の特権階級であり、利権団体だ。

非正規が救済されないのは、労働組合の既得権益のせいでもある。

労働組合の正体は、善人の皮をかぶった悪魔だ。

 

つまり、非正規雇用の問題は、

右系政党からも左系政党からも見捨てられている。

この国は、本当の問題から目をそむけ、

真に救済されなければならない人を平気で見捨てる国だ。

 

このような不本意未婚の人たちを、岸田政権の異次元の少子化対策とやらで救済できるのか。

 

低次元すぎてびっくりするくらい異次元だ。


自民党は保守政党のはずだ。
もちろん政権政党であり責任与党だから、右から左までの幅広い意見を聞かなければならない。
しかし、決して保守政党としての役割を忘れてはならない。

 

防衛費を増額するなら、「増額した予算で防衛産業を育成し、安定雇用を増やし、非正規を解消し、少子化問題を解決する」と言ってほしかった。

それでこそ保守だろう。

それを言えないのは、野党やマイノリティーへの配慮からだ。


今回の秘書官のLGBT発言で支持率や選挙に影響があったとしても、それで揺らいで批判を恐れ、保守政党としての役割を放棄するようでは、何のための政党か。

何のために政治をやっているのか。
政治とは、政策の優先順位を決めるのが政治の役目であり、重点を置くべき政策があるはずだ。
LGBTに貴重な政治資源を煩わせている場合じゃない。

同性愛が好きな人が尊重されるのと同じくらい、同性愛が嫌いな人も尊重されなければならない。

 

それが多様性だ。

片方を一方的に駆逐して良いものではない。

それがフェアな世の中というものだ。

 

それなのに今回、総理秘書官がオフレコで、かつ、「同性愛者の存在や価値観は尊重する」として、公私混同した訳でもないのに、彼の個人的な嗜好が尊重されることなく、いとも簡単に更迭された。

虫ケラのように駆除された。

 

同性愛が嫌いな人も生きている。

彼らも人間だ。

虫ケラではない。

 

彼らにも人権がある。

 

これは自然な感情の吐露であり、その人が何が好きで何が嫌いかは個人の自由であり、他者が干渉したり強要したり出来るものではない。

彼らの思想信条の自由も憲法で最大限保障されているし、それを外部に表明する自由も尊重されなければならない。

 

他者を尊重できない人間は、自分の権利を主張すべきではない。

そんな身勝手は許されない。

 

自分の権利だけ主張して、他者を尊重せず、抑圧するなら、

それは単なる暴力だ。

 

今や日本は、声のでかいマイノリティーに抑圧されている。

言いたいことも言えない暗黒社会だ。

 

だが、たとえマイノリティーが言論を封殺することに成功したとしても、心の自由までは奪えない。

口を閉ざしたまま、地下にもぐるだけだ。

 

政治家が批判や反発を恐れて言いたいことも言えず、本心を隠し、嘘ばかりついていたら、有権者は正常な投票行動を出来ない。

選べない。

政治家が本当はどう思っているのか正直に言わなかったら、一体どうやって投票すればいいのか。

 

今は何を考えているかわからない岸田総理がヌルっと物事を決めてしまう。

安倍総理の時のような強い反発もないし、侃侃諤諤(かんかんがくがく)とした議論もない。

意思決定の過程もわからない。

ヌルっと決まってしまう。

非常に違和感がある。

 

妖怪ぬらりひょんだ。

 

これで圧力に屈してLGBT法案をヌルっと通してしまったら最悪だ。

岸田総理はそういう所がある。

当初のポリシーを簡単にくつがえし、圧力に流されて重要な決定をヌルっとしてしまう。

意思決定のプロセスを大事にしない人だ。

 

自由闊達(かったつ)に発言でき、高度な言論の自由や表現の自由が保障され、嘘をつかず物事に正直であること、これらは健全な民主主義には欠かせない大切なものだ。

 

 

※追記 

虫ケラのように切り捨てた秘書官がいる一方で、同じ秘書官の総理のドラ息子は説明さえもさせない。

今まで多大な貢献をした人を虫けら同然に切り捨て、身内のドラ息子をかばうようでは、誰も身を呈して総理のために働こうと思わない。

コアな支持者の人心が離れて政権維持も困難になるでしょう。

「該当なし」と記入した。


単なる無効票として誰も気に留めることなく軽く流されるだろう。

白票を投じても意味がない。

そうだろう。

だけど、ささやかな抵抗のつもりだ。
選挙に行くという有権者としての最低限の義務も果たした。


結果は現職の大村知事が4選し、圧勝した。

投票率36.43%(前回2019年より0.92ポイント増)

得票率は68%だったそうだ。

しかし、得票数では145万票ほどで、前回より30万票余り減らし、過去4回の選挙で最少だった。

 

つまり愛知県の有権者のうち24.8%程度の信任しか大村氏は得ておらず、

そして、380万人の有権者が投票していない。

 

まともな対抗馬が出ていたら逆転できていただろう。

2位は共産党の候補で大差をつけられていたし、

あとの4人は残念ながら陰謀論?とか意味のわからない些末候補だ。


河村名古屋市長は知事のリコールなどしている場合ではなく、対抗馬をきちんと擁立すべきだった。
対抗馬がいなけれリコールも意味がない。

 

あのリコール運動、不正偽造署名でひどい結果になってしまったが、

わたしは署名した。

 

大村知事は、あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」で、少女像を展示し、昭和天皇の写真を踏みつけにして燃やした。

 

その後、展示の是非や税金の使い道について抗議や説明を求める問い合わせが県庁に殺到した。

すると大村知事は、県庁の業務が電話対応で停滞したとして、あろうことか、その問い合わせをした愛知県民をテロリスト呼ばわりしたのだ。(電テロ)

 

納税者たる愛知県民が自分たちの税金の使い道について県庁に問い合わせる行為がテロだと言うのだ。

 

テロなどという言葉は、海外では政治家が軽々に使っていい言葉ではない。

テロと断定するまで慎重に調査したうえで使う。

本物のテロの脅威にさらされている国では本当に重い言葉だ。

 

しかし大村知事は違った。

いとも簡単に使った。

テロという言葉を、あろうことか、愛知県の有権者に対して。

 

 

(参考)

 

 

そしてリコールは始まった。

ボランティアでリコールに参加した人、本当にまじめに署名した人もたくさんいた。

結果は不正問題で終わってしまったけど、

それだけは知ってほしい。

まじめにやった人が一番怒っている。

 

今度からリコールを妨害したければ、不正署名を紛れ込ませれば、いとも簡単にリコールを妨害できるという、非常に悪い前例を残してしまった。


政治家は、なんという人材不足なのだろう。

まともな人間がいない。

絶望的になる。
隣の静岡県知事も再選してしまってリニア完成の見通しも立たない。


共産以外の主要政党がすべて相乗りする知事選だった。

自民、公明、立憲民主、国民民主

オール与党の談合選挙。

 

議会と馴れ合い、

政治家同士が批判や争うのを避け、

経済団体や労組の既得権益者が甘い汁を吸う。

何のための政党なのか。

 

政党は本来、近い考えの人が集まって他の政党に対して政策論争を挑んで民主主義を支える大事な仕組みだと思うが、
愛知県の政治家は民主主義を軽視している。

 

政党政治が機能していない。

選べない選挙。選ばせない選挙。

 

「みんな仲良く」と小学校の先生は言うだろうが、

政治家や既得権益者が仲良くしたら、

そんな世の中は終わってる。

 

こんな談合選挙は犯罪的ではないか

 

きっと、法律的には問題ないのだろう。

しかし、法律さえ守れば何をやってもいいのか。

これで民主主義が機能していると言えるのか。

 

選挙に行くだけが民主主義じゃない。

選べること、

それが大事

 

談合、癒着、利権

そんな言葉しか思いつかない。

 

根回しが終わっていて、選挙をする前に結果は決まっている。

政治屋や利権を持つ者が

談合の中だけで色んなことが決められて

有権者は蚊帳の外だ。

今回の安倍氏暗殺事件は、山上容疑者の統一教会に対する個人的な恨みが歪んだ形で安倍さんに向かった、と考えれば、

単なる殺人であり、厳密な意味ではテロではないだろう。


しかし、テロであろうが殺人であろうが、暴力によって政治家の言論が無残に奪われた、日本の民主主義に対する挑戦であることに変わりない。

「テロじゃないから云々」と言葉遊びをする人間の相手をする気はない。

 

また、「ひとの命の重みは総理大臣だろうが一般人だろが皆同じ」などと言った人がいるようだが、それも詭弁だ。

今回の殺害は意味の重大性が全く違う。


日本の元総理で、日本の国際的地位を押し上げるなど功績が顕著で、かつ、いまだ政権与党の最大派閥のリーダーで日本の政治に多大な影響を及ぼす人物、その人物が民主主義の根幹である選挙期間中に、しかも演説中に暗殺されたという象徴的な意味。

日本には五・一五や二・二六事件のような苦い苦い記憶がある。
 

本来なら、実行犯である青年将校たちは全て死刑にすべきだったし、軍部の上司も全てクビにし人事を一新すべきだった。

しかし、「気持ちはわかる」という同情論がかなりあり、国を憂いた青年たちの行動に全国から減刑嘆願が寄せられ処分も甘いものになった。


その厳正な処分をしなかったことが、のちに軍部の台頭や暴走、模倣犯の続出につながり、やがて日米開戦へと向かっていく。
政治家は言論の自由を失い、政治不在の中、誰も何も言えないまま、なし崩し的に日米開戦は決まった。

 

暗殺された犬養毅首相の葬儀は、暗殺の恐怖から、皆、口をつぐんでしまい、国葬ではなく、簡素な形でそそくさと行われたという。


もしも日米開戦前夜、安倍総理のような強いリーダーシップを持つ政治家が存在したなら、
国益にならない政治決定をしただろうか?

日本の政治が機能していたら太平洋戦争は回避できたと信じる。


よって、この殺害を成功体験にさせてはいけない。
いつか来た道を行ってはならない。
山上容疑者を擁護する人間がいるらしいが、まったく認められない。

今回、日本の民主主義を守るために、必要なことがある。

明確な態度で、強いメッセージを日本社会として出すことだ。

 

そのために次の2つが必要になる。
ひとつは、山上容疑者を全否定し、一切の妥協を許さず、厳罰に処すこと。
ふたつ目は、安倍元総理を丁寧に送ること。

この事件は、日本の民主主義への重大な挑戦であり、日本社会として何もしないという選択肢は、あり得ない。

そのための国葬だ。

国葬に反対だと言う人は、政治家の言論の自由が暴力によって奪われる恐ろしさを甘く見ている。


政治家に対する批判は当然あっても良いが、その批判は一定の敬意や尊重を前提としたものだ。

 

それが最低限の品位というものだ。

それが民主主義国の基礎であり、それが文明人というものだ。

 

敬意や尊重がなければ、まともな議論など出来るわけもなく、

それは決して民主主義などではなく、

表現の自由でもなく、

それは非文明的なリンチであり、野蛮な暴力だ。

 

他人を叩くことでしか生きがいを見いだせない下品で頭のおかしい人格破綻者たちが日本の分断を生んでいる。

 

出席しないことをわざわざSNSで高らかに宣伝するのは何だろうか?

厳粛に、とどこおりなく行われるべき儀式への不参加は認められても、品位を下げる侮辱や妨害は絶対に認められない。

 

各国からの参列者や弔意をしめす人々は一定数、存在するのだ。

 

それを認められず、

尊重もできず、

ひたすら攻撃する。

 

自分と考えを異にする人の存在を認められないし尊重もできない。

それがサヨクの本性だ。

言論封殺と粛清はサヨクの専売特許。

 

これは宣戦布告だろうか?  

これが分断でなければ何だというのか。

 

どんな時も他者への攻撃や誹謗中傷をやめられないサヨクの品性の無さ。

弔意を強要するなと言いつつ、他者がしめす弔意は尊重できない身勝手さ。

自分と他人の区別もできない馬鹿さ加減。

頭のおかしい人格破綻者たちよ、日本人の民度もここまで落ちたか。

ヘイト新聞・朝日
第四の権力の横暴


何が言論の自由か知らないが、言論の自由=批判されない権利ではない。

自分の権利だけを主張するなど、低質な人間のやることだ。

そんな都合のいい自由は存在しない。

 

大いなる自由には大いなる責任を伴う。

横暴な自由を行使すれば、激しい非難にあうのは当然で、その結果、どんなことになったとしても誰のせいでもない、すべては自由を行使した人間の責任だ。

それほど自由とは厳しいものだ。

 

この人たちが死ぬ時には、考えうる限りの罵詈雑言をあび、棒で叩かれながら死ねばいい。

 

朝日が安倍氏にしたのと同じように、そういう他者の自由も認めるなら、良いのではないか。

 

これは完全にヘイトだ。

死者を冒とくするヘイト川柳だ。

 

安倍氏への侮辱は許しがたい。

 

朝日新聞は、もはや多くの国民にとって受け入れがたい悪辣(あくらつ)新聞社だ。

国民の朝日新聞に対する憎悪は増大するばかりだ。

これまでの安倍氏に対する言説は、意見や批判というレベルをはるかに超えていた。

 

常軌を逸した異常なまでの罵詈雑言・誹謗中傷。

口汚く下品な言説を浴びせ続けた。

安倍氏を正当に評価せず、不当におとしめ、悪く見せようとする印象操作が盛んに行われた。

 

安倍氏が直接関与した証拠もないのに、とにかく安倍氏を悪者にしたいという勢力だ。

 

左派連中の日常的な感情やストレスのはけ口・標的として利用された。

安倍氏が首相を辞めたときには、もう悪口を言えない「安倍ロス」と言われた。

安倍やめろ」運動をしていた人間は、安倍氏が辞めたら「なんでやめるんだ」とこぞって言った。

 

こんなものは決して言論の自由ではない。

断じて違う。

 

叩きやすいやつを叩いてやろう。

みんなが叩いてるから俺もやってもいい。

 

このような、安倍氏にだったら何をしても構わないという、

敬意も尊重も節度もない狂気の人格破綻者たちの標的となり、

今回の銃撃事件につながったと強く思う。

 

(追記)

山上徹也容疑者を21世紀の安重根などといって評価する動きさえある。

「山上よくやった、神、祝杯」という声である。

本当に頭がイカレてるとしか言いようがない。

この日本は歪んだ精神のイカレた人格破綻者で満ちている。