「〇〇のため」という知らないうちにしてしまう暴力 | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

【カウンセリングルーム「アンフィニ」/名古屋市中区】 
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皆さん、本日の心の天気はいかがですか?

心理カウンセラーの青柳雅也です(^^

このブログで、心理カウンセリングや心理学を身近に!

 

さて、今回は「為」について。

皆さんは、面倒見がいいほうですか?

そうでもないですか?

私たちは、誰かと関わるとき、

大切な人と関わるとき、

ただの通りすがりであったとしても、

相手がうまくいっていない状態を認識したら、

"何かをしてあげたい"

そう思うことがあります。

 

もちろん、個人差はあります。

 

□道に迷っていそうな人をみかけたとき

□同僚が元気がないとき

□知り合いの身内が亡くなったとき

□家族が健康を害したとき

□友達が失恋しているとき

などなど。

現状への心配。

元気づけたい。

解決方法を見つけたい。

助けたい。

そう思うことは「優しさ」や「人情」でもあります。

 

人が人に対しての「優しさ」は、

「優しさ」の循環を生むともいわれます。

 

ですから「優しさ」や「人情」は、

人間としての行為で、"正しい"と認識されやすいですね。

 

"正しい"と思ったことは、

他者に対して施しやすくなります。

しかし、それは盲目になったときには暴力になってしまいます。

 

例えば、わかりやすいのが"教育虐待"。

「子供の為、早起きして朝勉強させます。」

「子供の為、高い塾代を払って塾へ行かせます。」

「子供の為、付き合う友達を管理します。」

「子供の為、通帳やお金の管理をします。」

「子供の為、使っているアプリの管理をします。」

「子供の為、部屋のドアは開けっ放しにします。」

「子供の為、進路は親が決めます。」

この状況に、「ええぇ…!?」と思う人もいれば、

全く疑問に思わない人もいます。

「子供の為ですから。」

 

と。

 ↓こんな事件に発展することもあります。

自分の劣等感を子供で解消しようとする母親は愛か狂気か?

 

"〇〇の為"に人間が行動できることは、素晴らしいことです。

しかし、それが「正しさ」によって独りよがりになったときは、

暴力や狂気になってしまうという危険性があるのです。虹
 

 

 

いつも有難うございます。

子供の様子がおかしいときはアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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