人間が周りを見れなくなるときどこを見てしまうのか? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「質」について。

皆さんは、どんな人が周りにいますか?

どう関わっていますか?


余程、孤島の無人島で生き延びている以外では、

たったひとりで生きている人は、いないでしょう。

 

人間はひとりでは生きられない"かよわい"生き物です。

周囲には、様々な人間関係があり、

どれだけ多くの友人、知人に囲まれていても、
全てを話せる人間は、ひとりもいない場合があります。

逆に友人が少なくとも、
何もかも受けとめてくれる人間がいる場合もあります。

 

普段、調子がいいときや、

何も問題が無いときは、今ある人間関係の中で人は過ごしますが、

うまくいかなくなったり、苦しみの絶頂がやってきたときはどうでしょう?

 

そういうときに向いてしまいがちなのが…。

 

神仏のほうに向いてしまうということです。

 

どうにもならないようなことと思っているから、

この今ある世界にはヒントも救いも無いと思って、

神仏というオールマイティーなほうに向いてしまいます。

 

人には謝らず、神仏には謝ったり、

人には頼らず、神仏には頼ったり、

人には相談せず、神仏には相談してしまうのです。

最悪な場合は「死」に向いてしまいます。

 

神仏にしても、死にしても、

わからない未知なるものに、人間は向かってしまうのです。

 

もうちょっと身近なとこで言えば、

えせスピリチュアルであるとか、占いといったものもそうですね。

 

そんなときこそ、

自分の周りをもう一度見渡してみてください。

ちゃんと言葉を交わしてください。


本当に信頼できる"絆"が一つでもあるのなら、
そんな有難いことはありません。
"絆"とまでいえない関りだったとしても、

本当の意味で心配してくれる人間がいるかもしれません。

 

気を付けなければならないのは、

"快"か"不快"で判断してしまわないこと。

心が弱っているときは、少しでも"不快"さを感じたものを避けようとします。


本当の人間関係は、
数量ではありません。

"質"なのです。

 

そういう質を見失わない自分でいられたらいいですよね。虹

 

 

 

いつも有難うございます。

見失ったときはアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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