道徳心が邪魔になってしまうときはどんなとき? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「表現」について。

皆さんは、どんな環境で育ちましたか?

教えられたことで何が強く残っていますか?

 

人間社会で生きている人は、

"人間"のなかで育てられてきた人たちですね。

 

色々な大人がいて、子供に対して接し方も様々。

コントロールしようとすることもあれば、

幸せを願って何かを伝えることもあるでしょうし、

自分の満足のためにしていることに気づかないこともあるでしょう。

 

子供は幼児期には自分中心の世界です。

やがて、私たちには"道徳心"が芽生えます。

 

守らなければいけないこと。

責任を持つこと。

自制すること。

優しくすること。

世話をやくことに喜びを感じること。

他者を傷つけないようにすること。

言葉を選ぶこと。

 

こういったことを身に着けていくことで、

社会的には役立つ場面が増えます。

 

道徳心を身に着けることで、

集団のなかでの自分の在り方を考え、

摩擦や失敗と感じる事象を少なくしようとしていきます。

 

しかし、そこには負荷がかかることがあります。

 

道徳心によって行われる全てが、心から湧き出る感情と、

一致しているときと、一致していないときがありますよね。

 

感情と道徳心が一致していないときに生じるのは"我慢"

心から湧き出た感情は、解放されません。

 

例えば、会社の理不尽さに腹が立っている人いたとして、

「会社というものは利益を求める集団ゆえに、急な方向転換は止む無しなのはわかります。

 でも、自分的には心の限界で、できている人がいるということは自分の能力が満たないと…。」

と、当人は誰かに愚痴をこぼしているように話しているつもりでも、

全く"健全な愚痴"、つまり感情の表現になっていません

 

「感情」と「道徳心」が綱引き状態では、

正常に表現が成されないのです。

 

子供というのは自由です。

ただし、何でもかんでも自由では社会で成り立ちません。

道徳心が必要になります。

それでも、大人になって社会に出て、

何かしらの立場になったり、年齢を重ねたとしても、

「感情」は自由に湧いてくるのが人間。

適切に「表現」できる場では表現したほうが健全なのです。

 

心から信頼できる身近な誰かに話してもいいですし、

"本音ノート"を作って言葉にしてもいいですし、

カウンセラーという専門家をつかってもいいので、

表現というものは人間にとって価値が高い行為なのです。虹
 

 

 

いつも有難うございます。

しんどくなったときはアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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