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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^
さて、今回は「故郷」について。
皆さんは、故郷はどこですか?
どんな場所ですか?
今回は全くプライベートな話です。
前回『故郷について、そこはかとなく書きつくってみる②』の続きです。
④父親
親父は建設業で橋梁の仕事をしていました。
ですので、単身赴任が多く、
毎年一年の殆どを一緒に暮らすことはありませんでした。
小学校低学年の頃までは、
久しぶりに会う父親に照れくさく、
慣れた頃に出張に行ってしまうイメージでした。
父親が単身赴任先で、自分のことを思い出してくれるように、
エアガンの弾をいくつか入れといたら、
出張から戻ってきたときに、
「おまえのおもちゃの弾がいくつも入っとったがや。」
と文句を言われてショックを受けた憶えがありますw
親父は、普段はそんなに話す感じでは無く、
仕事から帰ってくると、熱いお茶を飲みながら、
新聞を黙って読んでいる感じでした。
でも酒を飲むと少し陽気になって、
よく私の足の爪切りや耳かきをしてくれました。
今ではタブーですが、大晦日は酔っ払いながら神社に行って、
わたあめを買ってもらいました。
とても気前のいい人でしたが、"二度と"と決めたことは、
絶対に二度としてもらえない頑固さもありました。
親父の絵のうまさはとても尊敬していました。
仕事こそが「誇り」であった、THE・団塊世代という感じです。
⑤母親
父親が単身赴任ばかりだったので、
私は家の中では母親と2人でした。
母親からは、何かを教えられたとか、
何かを躾けられたとかの記憶が殆ど無く、
私の歯は虫歯だらけで、学校は忘れ物がしょっちゅうでした。
思い通りの反応でなかったり、自分の意見を言うと、
「かわいくないね!!」と、
ヒステリーを起こして、戸をえらい勢いでバーンと閉めていたのが嫌でした。
私がいつまでも可愛い子供でいて欲しかったのでしょう。
中学生になると、
「あれ…じぶんの母親が変だ…。」
と気づいてしまって、それからはすざまじい嫌悪感になりました。
自分が30歳くらいになった頃には寛容になりましたが、
ずっと気は合わず、晩年もなるべく接点や会話は最小限に留めていました。
私は「親だからといって期待するのはやめよう。」という姿勢でした。
親父が逝去した後は、
片づけができない母親の代わりに片付けに行く度に、キレられ、
何度も大喧嘩してました。
母親が3年前に逝去したのちに、その頃母親に書いたノートのようなものが出てきました。
丁寧によく書かれてありましたが、母親に伝わることは無かったなと、
あらためて感じました。
お店の人の"営業トーク"をまともに信じる人だったので、
色々な無駄な買い物がバンバンしてありました。
そして片付けができない人だったので、
片付けは本当に大変でした。
死ぬ間際まで闘病生活をすることもなく、
付き合いたい人だけと付き合い、言いたいことを言い、
生きたいように生きたと思うので、幸せだったでしょう。
なかなか続きますね。
続きはまた明日!![]()
いつも有難うございます。

忘れられないことを何とかしたいときはアンフィニへ!
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