自分は絶対的な正義で、相手は絶対的な悪? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「記憶」について。

皆さんは、何か誰かにやったことが、

ひどく後悔の記憶として残っていますか?

 

では、誰かにひどく傷つけられて、

ひどく、嫌悪的な記憶として残っていることは、

どれくらいありますか?

 

生きていると、

こういったことはしばしば起きます。

 

記憶としては、圧倒的に、

誰もが"嫌悪的な被害に遭った記憶"のほうが、

多いのではないでしょうか?

 

人間は、自然界で生きる生存競争で、

ネガティブな記憶を強く感じて残すようにできています。

 

ポジティブな記憶が強い個体と、

ネガティブな記憶が強い個体なら、

後者のほうが、生き残ることができますよね。

 

そして、人間には、

自分を正しいと思っているところがあります。

 

デール・カーネギーの言葉でも、

「泥棒でさえ、自分が正しいと思っている」というくらいです。

そうすると、

人生において、加害者と被害者の記憶は、

全く違うものになります。

 

いじめられっ子といじめっ子。

病んだ部下とパワハラ上司。

顔色を気にする子供と虐待親。

 

加害者にしてみれば、

「え?そうだっけ?」

「そんなこともあったような…。」

「あれは理由があってさ…。」

と、よっこいしょと思い出すようなものです。

 

被害者からすれば、

加害者から、どんな気持ちにさせられたかは忘れられないものですし、

何年経っても、出会うことすら苦痛かもしれません。

果たしてそれは絶対なのかといえば、

感じた感情は絶対であったとしても、

何かしらの偏りが生まれてしまうのでは?

 

人間は"ネガティブな記憶"を嫌いながらも、

大切にしてしまうという生き物です。

色々な角度から向き合ったとき、薄い記憶に変化するかもしれません。

 

よく、スピ系や宗教哲学で、

「ゆるす」ということが高尚に扱われるのは、

ある意味、自分自身にとってメリットが大きいからかもしれませんね。虹



いつも有難うございます。

相手が許せないときはアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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