もし、尖った石を裸足で踏んだらどうするのがよいか? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「専念」について。

皆さんは、自分の人生に専念できていますか?

それとも自分の人生にまつわる何かに執着していますか?

 

私たちは、自分の人生をよくしようと思いながらも、

自分では気づかないうちに

あれやこれや、意味のないことに気をかけてしまうことがあります。

 

"人生"と考えると、

「自分の歩んできたことは、他人にはわからない!」

そう肘を張ってしまいます。

 

では、別のことに見立ててみましょう。

 

例えば、角の尖った石を裸足で踏んだとします。

とても痛いです!

皆さんならどうしますか?

 

①「痛い!痛い!」とわめき続ける

②もう踏みたくないので歩くのをやめる

③二度と踏まないために占いに行く

④神様にすがるために神社仏閣やパワースポットを巡る

⑤「誰がこんなところに石を!?」と怒ってイライラする

⑥靴を履かず踏んでしまった自分はバカだと自分を責め続ける

いかがでしょう?

①~⑥のなかに自分の選択はありますか?

 

『石を踏んで痛かった』ということにしたらば、

①~⑥のような選択はバカげていると感じます。

 

しかし、そのストレスやトラブルの種類や、

大きさや感情的な関りによっては、

①~⑥のようなことに執着までしてしまうことがあります。

 

不安や後悔は、未来や過去にまつわるもの。

過去や未来は、"今"目の前にあるかといわれれば、

そうではありませんよね。

 

過去や未来は、勝手に自分の目の前を横切らないのです。

 

自分が目の前に用意したときだけ、

過去や未来は、自分の目の前に居座ります。

もちろん全く過去から学ばず、全く未来を描かずということが、

良いというワケではありません。

 

ただ、①~⑥のように、

過剰になってしまうと、"今"に専念できなくなってしまうのです。

 

今どちらに一歩を踏み出し、どこに向かうのか?

その足元に今、何があるのか?

私たちができる"最善"は、"今"に専念することなのです。虹



いつも有難うございます。

①~⑥のときはアンフィニへ!

.

ご予約は052-253-5040まで!

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