誰かを不幸にして誰かが幸せになることについてどう思うか? | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「幸せ」について。

皆さんは、どうやって生きていますか?

何か信条はありますか?

 

誰かを不幸にして幸せになると、

幸せにはなれない…。

そんなような言葉は聞いたことがありますか?

 

これは、もしかしたらロシアの思想家トルストイの言葉かもしれません。

 

他人の不幸の上に
自分の幸福を築いてはならない。
他人の幸福の中にこそ、
自分の幸福もあるのだ。

誰かを誰かを騙したり、奪ったり、

意図的に足蹴にして、幸せを得ようとするよりも、

他者に貢献することで、人間は幸せを得られる…という感じでしょうか。

 

皆さんは、どう思いますか?

 

これはある意味、真理だとは思いますが、

偏って捉えると、危険な意味となってしまいます。

 

極端な言い換えをするならば、

"自分を犠牲にしてでも、他者を幸せにしなければならない"

そういったことになり兼ねません。

 

例えば、かけっこで順位がつく場合、

誰かが一位になります。

もし一位になれば、誰かは一位じゃなくなります。

 

先ほどの偏りを当てはめてしまうと、

一位が幸せで、二位以下が不幸。

自分は一位になってはいけない…と、なってしまいます。

 

大前提として2点。

 

①犠牲感と貢献感は違う

犠牲感は、必ず不満を生み出します。

「こんなにしてやったのに」「あの人はずるい」こういった気持ちです。

貢献感は、お互いが幸せになれます。

 

②人間万事塞翁が馬

一時の幸せが幸せとは限らず、不幸せも然り。

人間が大きく成長したり、大きく気づきを得られるのは全力なときです。

成功失敗は関係なく、どう捉えるかは自分に委ねられています。

 

人間というのは、経験や環境から、

偏った考えをもってしまうことは珍しくありません。

しかも、自分の人生を経ての考えなので強く根付きます。

真理はもっとシンプル。

仏教でいうところの中道ですね。

 

自分が最もいい音色でいることができたなら、

自分は幸せですし、自然と周りに貢献し、

周りもまた幸せになるのです。虹



いつも有難うございます。

偏ったときにはアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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