あれが原因だったかもしれない…と思うとき | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「原因」について。

皆さんは、後悔することや、

疑ってしまうことはありますか?

 

人間が、失敗や危険を回避したいというのは、

本能であり、とても当たり前な気持ちです。

 

そのために「原因」を知ることは、

大切なフェーズのひとつです。

会社などでは"PDCAサイクル"という手法で、改善を図りますね。

明らかな原因を知ることは、

"同じ過ちを繰り返さない"ことには必要なことでしょう。

しかし、原因は意外と複雑なものが多いです。

 

例えば、身内が精神疾患になったとします。

自分が気づいてあげられなかったから!?

会社が何かハラスメントをしたのでは!?

何か色恋沙汰でうまくいってなかったのでは!?

誰かにひどいことをされていたのでは!?

もう少し多く会うことをしていたら話してくれたかも!?

 

色々なことを考えて、

自分を責めたり、誰かを恨んだり、タイミングを後悔したり。

そこに感情を注ぎつづけることは漸進につながるでしょうか?

そうではありませんね。

 

更に危険なのは、

ものごとが停滞したり、うまくいかない状況を正当化するために、

"理由"や"原因"が必要になってしまうこともあります。

 

「あいつと出会わなければ、自分の人生はもっと良いものに…!」

「あんな親じゃなければ、自分はこんな辛い思いをしなかった!」

「もっと早く出会っていれば、こんなことにはならなかった!」

「世界がこんな悲劇に向かっていなければ、希望が持てるはず…!」

 

"原因"や"理由"というものにすがる限りは、

答えが与えられることは無いでしょう。

情念や執着が、自分を縛り付けるだけです。

 

余程でなければ、何かの理由ひとつで、

自分の人生は決まりません。

"可能性"を忘れる免罪符は、"理由"や"原因"なのです。虹



いつも有難うございます。

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