九州のある小学生のバレー部で起きた体罰隠ぺい問題から | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「認識」について。

皆さんは、誤解されたことがありますか?

意図と違う解釈をされるのは、悲しいことですよね。

 

人間と人間というのは、

簡単に気持ちの"すれ違い"が起きます。

 

不思議ですよね。

そして悲しいことです。

全然違う話のようですが、以下の文章をさっと読んでみてください。

 

「みさなん、まだまださむいすでが、おんげきですか。かぜなどひていないいですか。」

 

読めましたか?

多くの人が読めたのではないでしょうか。

よく見ると、言葉がおかしい箇所がたくさんあります。

 

人間の脳は、少々何かが抜けていたり間違っていても、

それを知識や経験から補う機能があるようです。

 

先日、大分の小学生女子バレー部で、

指導上の体罰の隠ぺいが、保護者によって行われ、

誓約書が話題に上りました。

 

これらに対して、

「カルト集団と変わらない!」

「被害を訴えた親御さんだけがまとも!」

「日本の古い風習の典型!」

「こんなことを大人がよしとしてるなんて、子供がかわいそう!」

などなど、テレビやネットでザワザワしてます。

 

伝統的なチームだそうですが、

一個一個見れば、然程おかしくもない文章もある気がするんですよね。

 

どれだけ理不尽な体罰的指導があったかはわかりません。

ただ是とするわけではないですけど…。

 

こんなものを"作らざるを得なくなった状況"というのは、

どんなだったろう…とも、考えてしまいます。

私たちは、この切り取った情報から何を見ているのでしょうね。

なぜこんなに人間同士、狭いところで争ってしまうのでしょう?

 

ひとつ、人間と人間というのは、

例え"同じベクトルの想い"があったとしても、

自分の経験、知識、形成された価値観によって、ものの見方は変わります。

 

そしてふたつ目、何故だか、

"自分以外の人間には完璧を求めがち"です。

 

この2点によって、よりよくありたいと願うもの同士が、

自分の世界の剣を早々に振りかざしたり、城門を閉じてしまうのは、

とても悲しいことですね。

 

人間同士のジレンマに、コミュニケーションという光が、

どれだけ照らせるのかということを考えさせられる事件と感じました。虹



いつも有難うございます。

すれ違った人はアンフィニへ!

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