涙が心の浄化から安酒に変わるとき | 青い柳の樹のように  - counselor's blog -

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名古屋の老舗カウンセリングルーム「アンフィニ」の代表カウンセラーの青柳と申します。
少しでも多くの人にカウンセリングや心に関心を持つ機会になって頂ければという願いを込めたブログです。
皆様の生活に身近に感じられ「気づき」になれますよう。

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心理カウンセラーと心理学を身近にするブログです。
皆さん、本日の心の天気はいかがですか(^^

さて、今回は「可能性」について。

皆さんは、忘れられない過去がありますか?

過去に縛られてしまっていることがありますか?

 

自分では選ぶことのできない幼少期や、

懸命に生きていても、避けることのできない出来事は、

人間には必ず降りかかってきます。

 

悲しいとき、悲しいのかすらわからぬほど麻痺したとき、

人の目からは涙がこぼれます。

 

毎日を泣いて暮らす日から、やがて、

思い出しては涙が流れる日へ。

涙を流すということは、通過儀礼のようなもので、人間には必要です。

 

ところが、そこから先は、

糧にして生きられる人と、怒りやトラウマとして生きてしまう人とは、

生き方に差が出てしまうことがあります。

 

それはなぜでしょう?

人間は、時折、

「変わりたい。」「今の状態から抜け出したい。」と言いつつ、

実は心の底では、ただ"楽でいたい"と思っていることがあります。

 

変わったり、現実を受け入れて進むことには、

覚悟や努力が必要です。

 

覚悟や努力をするくらいなら、

自分が苦しんでいることをもっともらしい「理由」に仕立て上げてしまえば、

何か言い訳が付くのです。嘆いていられるのです。

 

その際には、涙は心の浄化から、

ただの"安酒"になってしまいます。

名著「星の王子さま」でも、王子さまが出会う大人のひとりに、

『酔いどれ』がいます。

どうせ俺はダメなやつなんだと、嘆きながらも、

いつも酔っぱらっているのです。

 

あるいみ変なプライドで、どこかで自分のせいじゃないと頑なになっている。

酔っても酔っても前に進まない、その状態を"自己憐憫"といってもいいでしょう。

 

一見冷たい言いように聞こえますが、

誰もが"可能性"を持っていることを忘れないでください。

可能性があることに気づいたとき、手にした安酒を捨てられるのです。虹



いつも有難うございます。

可能性を信じたい人はアンフィニへ!

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ご予約は052-253-5040まで!

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