みかりんのささやき ~子宮頸がんワクチン被害のブログ~

みかりんのささやき ~子宮頸がんワクチン被害のブログ~

私の娘が子宮頸癌予防ワクチン「サーバリックス」接種直後から熱や吐き気、痛み痺れが現れ、片手、両足が疼痛に。そのままCRPSに移行しました。
CRPSは治ったものの、今は副作用などと戦いながら少しずつ治癒に向かって邁進する日々です。

私のブログにご訪問いただきありがとうございます。
全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会代表の松藤です。
このブログは娘が接種した子宮頸がん予防ワクチンの副作用から起こった事を中心に日々の事を書いています。
アメンバー申請は、何度かコメントなどをやり取りした方や実際にお会いした事のある方などに限らせていただきます。
たくさんのメッセージやコメントをいただきますので、すべてのものにお返事は出来かねます。

また、娘と同じように子宮頸がん予防ワクチンの副作用を疑う症状のある方、ワクチン接種後数ヶ月してから突然身体が痛み始めたり、リウマチになった方。全身性エリテマトーデスになった方など。
そして、以前痛みがあったけれどもう治った方など、ぜひメッセージ下さい。情報共有させて欲しいのです。
副作用被害に遭われたと思われる方からのものには必ずお返事いたします。
今後のことも含めて少しでも健康になるための方向性を一緒に模索しましょう。
全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会へのお問い合わせは電話・FAX:042-594‐1337 へお願いいたします。

娘の記録として書いているこのブログ。

やはり記録として残します。

これは5月26日。

手が気持ち悪い。おかしい。

と言って半日続いた状態でした。お昼から真夜中まで。

午前中、娘と出かけて昼に帰宅してから。

娘が子宮頸がん(HPV)ワクチンを接種したのは2011年秋。

副作用が出たのは2011年10月19日。2回目の接種直後から。

今は2024年ですから既に13年ほどです。

手に出たのはとても久しぶりですが、足はいまだに毎日起こっています。


今また、HPVワクチンが接種を再開していますが、治療法は確立されておらず、被害者は今も副作用としての後遺症を抱えたままの人がまだまだいるのです。

再開したから安全と思っている方がいるかもしれませんが、娘だって安全だと言われて接種している1人。

副作用被害が多数出た段階で、国が治療法を含めた救済を怠っていなければ、被害者の心も身体もまだ救われていたかもしれません。

副作用は病院で否定されることが多いのです。しかも治療方がないならば病院だってお手上げ。

治療法に予算を後々つけたと厚労省は言いましたが、患者に塩を塗るような予算付けで、副作用を認めない医療班に多くの患者を診させて否定する方向に舵を切ろうとまでしたのでね。

我が家の場合、自治体からは重篤な副作用患者はいないと議会で言われ、副作用が隠蔽されていたわけですし。

否定と隠蔽。

この体質が変わっていないまま、そして薬液もそのままで再開し、キャッチアップなどと言ってまた若い少女達、女性達にHPVワクチンを接種させようと自治体も含めて躍起になっています。

もちろんキャッチアップは無料なので、期限付きですしお早めに!

という感じですね。

娘は若いうちから入退院を繰り返し、一時期は記憶を失わせ脳に障害を負わせられた。その事実は全く消えないのでこうして記録はまだ更新される訳です。


音がうるさいかもしれませんが、ご容赦を。

子宮頸がん(HPV)ワクチン接種後から何十と症状が出たのだけれど、皮疹も悩まされている症状の一つだ。

背中から頭皮にまでびっしりと赤い発疹が出て、それがかさぶたのようになって剥がれる。その間、痒みが出る。かさぶたになった場所は、色素沈着する。これが次々に年がら年中起こるので、皮膚はポツポツと赤い斑点。それが日に日にうっすらとマダラになる。

特に背中がいつもひどい。

実は、今でもこれが起こっている。

12歳で接種し、今は25歳。

長く長く悩まされているものの一つだ。

接種前にこんな症状はなかったし、接種して副作用にあった人の多くに同じような皮疹の症状の子がいたので間違いなく副作用の1つだろう。


本人はもう、健康な状態がどんなものなのか分からないと思う。

今でさえ常に普通の人よりずっと低空飛行で生活し、その不調が常々当たり前のものだからだ。足の震えもそう。毎日、足は震えている。

会社に行って、帰ってくる。

食事をして、時には少しだけでも横になる。頭痛で嘔吐まですることも多い。

体調不良ならばリモートワークに切り替えてもらう。

助けられながらの綱渡り生活。


それでも、旅行に行ったりする。

友人と。

修学旅行も行かなかった分、行けるならどんどん行くといいよと送り出す。

旅行先で具合が悪くなり、ほぼホテルで横になっていたなんてこともあるらしい。一緒に行く友人は心が広いのだと思う。感謝。

25歳。

定期的に通院しているが、人並みに楽しんで「生きている」を実感して欲しいと思っている。


もちろん、こんなことが起こらなければよかった。でも、娘の副作用から見えた世界も沢山ある。薬害など特に。

国民の苦しみを理解し癒すような、手を差し伸べてくれる国であることを望む。

患者から目を背けないよう、厚労省は国民の健康と製薬会社の利益を天秤にかけたりしないよう、常に正しい方向に舵を切れるよう柔軟に動いて欲しい。

過去、何度となく厚労省に行って話し合いをしてきたけれど、頭が硬くて驚くような方々が多かった。

声は聞いたとしても、聞いただけのガス抜き。

患者に寄り添う対応をする人は、すぐに異動になり半年や数ヶ月で、さようなら。

するとまた、一から仕切り直し。

のらりくらりと、ガス抜き。

薬害は特にそうなのだろう。

私から見て、厚労省はそういう場所。




娘は無事、社会人最初の一年を終えました。引き続き社会人続投。


しかし、身体に痛みが出ていたり、急に意味もなく悲しくなる発作が続いたりと、今をもってしても子宮頸がんワクチンの副作用は息長く娘を手放してはくれません。

リモートワークがなければ、1年も仕事は続かなかったのかもしれないです。


顔の表面や背中や腰。皮膚のちょっと内側がゾワゾワ、ビリビリと痛むのだそうで、そんな話を娘から聞くと、ため息が漏れます。

娘は特に顔に痛みが出てくるのです。あと足の裏の腫れや痛み。

酷い時は足が床につけなかったし、水に浸かると水に触れている場所に痛みが出てお風呂も大変でした。意識喪失もあったのでお風呂に入れるのはとても大変でしたが。

でも、まだ完全には治らないんですよね。

網目のように娘の身体中、細胞の中を、蔦が這うように絡まってその蔦が枯れてもなお毒を出し続けている感じ。

いつになったら娘を解放してくれるのだろう。


今も食事にはとても気をつけているし、前の日の残り物のようなおかずは絶対に食べさせないようにしています。大抵、そういう時間が少し経ってしまった食事は、体調を悪化させるから。

あと、外食したとしても食べるものも限られていて、過去に食べても大丈夫だったものや店にしか行かないようにしています。

あまり外食自体する方ではないですけど、ちょっと冒険して食べたことがないものを友人との外食で食べたあと、具合が悪くなったなんてこともあるので、相当気をつけないといけないのです。

ある意味、外食は「具合が悪くなる・ならない」の賭け。


「お嬢さん、以前より良くなってよかったですね」

と言われることも多いですが・・・

仮にまだ娘に痛みや発作があると伝えたところで、私も苦しくなります。だから「ありがとうございます」とだけ、返すようにしています。

相手に他意は全くなくて、心から良かったと言ってくれているのは私も分かるのです。充分にありがたいことなのです。

諦めずに、娘にとって悪い要素や悪化すると思われるものを私が親として遠ざけて、コツコツと実践して続けるだけ。

子どもへのギフトは毎日の小さな積み重ね。


娘の腫瘍の件は別の病院に行くことになっていますが、紹介状が出来上がってこなくて待ち状態になっています。ちょっとした医師とのトラブルがあって、紹介先の病院を変えてもらうことにしたのもあり、紹介状ができたという知らせがまだ来ないのです。

生検後、良性腫瘍という言葉を医師から聞いて、本人はホッとしていましたが。


人生は物事を絡ませながら続いて行くもので、雪だるまを作る工程のようだなと思うことがあります。

何でもかんでも自分の行動に伴って人生に色んなものがはりついてきて、いつの間にか抱えるものが大きくなっているような感じ。

誰もがみんな、そんな感じなんでしょうけどね。






2024年、早々から地震や飛行機事故などの大変な災害が起き、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。


娘も今年早々からショッキングなことがありました。

腫瘍が見つかり、先月生検しました。

会社の健康診断で指摘を受け、12月に病院を受診していました。

今日、その結果が出たのですが、良性腫瘍とのことですが橋本病疑いです。

更に専門医に診てもらった方が良いということで、今度は専門医に紹介状を書いていただくことになりました。


毎月、病院にはワクチン副作用の診察として通院していましたが、他の異常には気が付かなかったというか。

ワクチン接種後にがんが進行したり、がんができる事案も頭に入っていながら・・・、痛恨です。


それでも、今の会社に入ったことで見つかった病態ですので、本当に有難い会社です。このまましばらく見過ごしていたかもしれないので、感謝しきれません。

腫瘍は良性ということで安堵したのですが、橋本病ということで、また心配です。


息子も来月、手の手術を大学病院ですることになっていて、色々と心配がつきません。


私は近所で長期アルバイト先を見つけて、今年から長期で働き始めました。月に6〜7日くらいの仕事でほぼ事務&受付です。

持病がありますが、老後に備えて働けなかった分を回収しなければと思ったりしています(結構切実です)。


娘の『足の震え』は、もう治ることがなさそうで何年も変わりません。むずむず脚もしかり。

それと一生付き合って行くという他ありません。

ワクチン接種後の過酷な日常生活を送りながら、目に見える症状を受け入れて、そうなってしまった結果と付き合って行くしかないというのは、とても酷なことです。特に本人にとって。もちろん、全力で治療や病院を探し、その労力も普通ではありません。

でも、それが現実で我が家に実際に起こったことなのです。

私も長い間介護と介助で働けませんでしたし。家庭の財政が狂うのも当然なのです。







11月13日の昨日。

杉並区役所の区長室にて杉並区長の岸本聡子氏、ならびに杉並保健所所長と保健予防課長の3人にお目にかかりました。

山田宏氏、田中良氏と、過去の杉並区長にはお目にかかっていますが、昨年杉並区長になられた岸本聡子氏にお目にかかるのは初めてでした。

杉並区内で過去に子宮頸がんワクチンといわれてきたHPVワクチン。私の娘に起こったそのワクチン副作用と、それに対して杉並がどのようなひどい対応をしていたのか。

一からご説明させていただきました。


そして、私の娘の他にも杉並区内で接種した副作用のお嬢さんが新たに判明しており、そのお嬢さんも一緒でした。

このような場をセッティングしてくださったのは、杉並区議会議員の曽根文子氏。被害にあった人の救済が取り残されないように、そして新たな被害者を生み出さないようにと長きに渡り奮闘されている議員さんです。


自治体の保健所の方々は5、6年、早いと2、3年で人が替わります。ですので、今回の方々もまた新しい方でした。

杉並区がHPVワクチン副作用の子どもがいるのに「重篤な患者はいない」と議会で断言した過去の過ちは、決して繰り返してはなりません。どんなことであれ、被害を隠してはいけないのです。

そして、HPVワクチンの被害がどのような状況だったのか。娘の一事例ではありますが、詳細をお話ししました。

症状の詳細まではご存じないようでした。


また、今回ご一緒した被害に遭っておられる当事者のお嬢さんは、杉並区で接種後にすぐ引っ越してしまったため、娘のように被害が炙り出されていなかったのです。

杖をついてゆっくりと歩いておられました。

また、娘と同じように記憶障害や意識喪失、疼痛や頭痛など、やはり同じような症状を抱えています。


今回、被害を知ってもらうという意味で、とても有意義な面会になったと思います。

私たちの受けた苦痛も、少なからずご理解いただけたようです。


東京都ではこのHPVワクチンを男子にも接種させたいということで、その予算も組んでいる様子です。

既に厚労省の副反応報告に男子と思われる死亡者の情報も掲載されたということです。悲しくもその方は亡くなる必要があったのでしょうか?

詳細が不明のようなので、製薬会社から報告が上がった内容なのかもしれません。

国が再び推奨に舵を切ってしまったHPVワクチン。

何も知らずに接種して被害に遭い、「知らなかった」では済まないのです。

ですから、被害を知っていただくこと。それが一番です。

推奨再開によって新たに被害にあった方々。医師が「安全だ」「大丈夫だ」「あれはワクチンのせいじゃない」というような安心させる言葉を使って接種を促され、接種した方々です。

被害にあった途端、医師はちゃんと対応してくれなくなったという話。

過去から変わらず、何度となく繰り返されるのです。


新たに被害にあった子ども達は、あと何年苦しむのでしょう。何年、生き地獄のような生き方をしなければならないのでしょう。

先はとてつもなく長いのです。苦しむ時間が。

他人事で済ませて良いことではありません。

被害を知ってください。